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赤木名城(奄美大島) [城]




平成に体験したコトは


平成中に載せなきゃねっ!と、


久々にブログにアクセス。


パスワード覚えてた、よかったス。


まだ。


あるチュウハイマーじゃないくさ!





この2年、冬はマラソン夏は山登り。


かなーり、走って登ったな。


マラソン6フル9ハーフ山45ピーク。


でも、城には全く行ってない。。。





変われば変わるもんだな。


でも、ドランカーなのは、、


いまーも、変わらずっス、、、









2019年2月下旬。


奥さんが奄美大島にヨガレッスンへ


勝手に付いて行って、奄美大島観光。



素晴らしいス、奄美大島!


ホントにココ!イイ!


そのうち移住するぞぅっ!





とりあえず来年、


奄美大島ジャングルトレイル50キロ


走りに来よっと。





観光がてら途中で見つけたお城。


赤木名城。


オット オシロヤン.jpg




アカギナジョウ1.jpg




アカギナジョウハココノボル.jpg




アカギナジョウ セツメイバン.jpg




ノボルカ アカギナジョウ.jpg



アカギナジョウ.jpg




2月なのに、ハブにびびつて。


藪漕ぎせずに麓で断念してしまつた。

 


 



令和もイロイロと周ろうっと。











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ホグワーツ城 [城]





2017年12月寒い日




あっという間に今年もあと2日。


早いもんだ。


ネタは沢山、でもブログは放置。


単にブログのパスワード忘れてただけかも。


本当にアルチュウハイマーになったのかな。。。







お城に全く行けてなかったけれど。


今年最後に魔法の城に行ってきた。





ホグワーツ城  in  USJ !




ハリーポッターファンには堪らない。


原作11冊を10回は読んだぞ、それがし。


スゴイわココは。


ホントに絵になるな。


ヨクデキテル.jpg



ホグワーツエーヤン.jpg





アトラクションもホグズミード村も楽し過ぎ。


ワンド・マジックもハマるう。


同じくハリポタ好きのチビと魔法体験を堪能。








夜のお城もさらーに。


イイね!


プロジェクションマッピング。


スゴイなこれも。


プロジェクションマッピングヤケン.jpg




まさにマジック、、、


いやー


マジでマジカル。。。


まー じっくりと。。。


見惚れてしまった次第。

















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高須城 [城]






2017年5月27日(土)




伊吹山に登った帰り道。




いつか行こう、と。


思っていたんスよね、ココには。


それがし美濃出身で。


今は尾張に住んでる身ですし。






歴史小説で。


よーく登場する。


尾張支藩 高須藩。


尾張本藩へ幾度も血を帰し、


藩主を何度か輩出した。


そう。 チョー名門。




特に幕末では。


尾張藩主、一橋家当主、桑名藩主、会津藩主など。


高須藩出身の兄弟達が大活躍。


あの会津藩主で有名な松平容保さんも。


ココの出なんですよね、実わ。








そんな名門。


今は。


なーんもなーい。


お城跡だった案内版を。


2つ見つけたくらいス。


ココカ.jpg






風化する郷土の歴史。


そんなもんなんですけれど。




それがしが読む範囲ですが。


歴史小説の中では、


スゴイ存在感なのにな。


うーん、残念。


高須城.jpg







かつての古地図と見比べると。


お堀だったらしい所。


うん。


なんとなくいいな。


雰囲気あるなぁ。


高須城2.jpg





水郷の中のお城跡。


名門の尾張支藩。




雰囲気はある。


ても、何もない。


もつたいないかもな、とおもつた次第。














三原城 [城]

 

 

 

2017年4月1日(土)

 

おおっと。

もう4月。

早いなぁ。

あっという間に刻は過ぎる。

イロイロあったけど。。。

春がやって来たからな。

 

まっ、いっか。

 

 

お城巡りに淫してた時に。

いつでも行けるから、と。

後回しにしていた場所。

 

しかーし。

いつ行くんや。

心の声にあらがえず。

やっと来られたぜいっ。

 

ココは。

 

なんとっ!  

駅直結っ。

新幹線ホームからの石垣。

三原城。

ミハラエキシンカンセンホーム.jpg

 

一旦改札出なきゃダメだがね。。。

 

でも、すぐ分かる。

駅コンコースに、バッチリと案内が。

すっげーな。

ミハラジョウハアチラ.jpg

 

 

駅前、駅近、数あれど。

何処もココには敵わない。

だって。

駅ナカ物件っスからね。

なんともエキゾチック。

エキチョッケツ.jpg

 

 

駅直結階段から、天守台。

とってーも広ーい。

振り返ると、、、

新幹線によって。

思いっきり分断破壊。

ココまでとはな。

想いがおよばなかったス。。。

ミハラジョウテンシュダイ.jpg

 

 

外へ出て、グルリと散策。

おおっと。

すんごい立派な石垣。

かつては。

海の上に浮かぶ壮大なお城だったらしいス。

ミハラジョウオオキイネ.jpg

 

 

三原の街をブラブラ散策。

ああ。

ここはいい街だな。

観光協会でもらつた

マップ片手に遺構を確認。 

ミハラジョウ1.jpg

 

コレはっ!

なんとも凄いっ。

御船櫓。

石垣の土台が。

岩礁だっ!

こんなの初めて見たよ。

フナイリヤグラ.jpg

 

うん。

来て見て良かった。

三原城を堪能。

長年の懸念が解消した次第。

 

 

 

 

 

お城の後は。

広島へ。

久闊を叙し、お好み焼き。

ホントに美味かった。

 

朋友に案内頂き社会見学。

オトナノシャカイケンガク1.jpg

 

オトナノシャカイケンガク.jpg

 

こちらも。

ニッポンジンとして。

来て見て良かった。

また、来ようっと。

 

 

 

 

 

 

 


久しぶりの岡城 [城]

 

 

 

2016年3月24日(木)

 

お休みをもらったので、嫁さんとお城見学。

大分県竹田市にある岡城。

 

久しぶり、数えたら6年ぶり。

カマボコのような手すりの石も健在。

優美な曲線美、ヨカですね。

沖縄のグスクのよう。

との感想に、それがしも同感。

グスクノヨウ.JPG

 

 

三の丸高石垣。

崩れているのかな、進入禁止。

うーん。

ブルーシートが物悲しいっス。

ブルーナキブン.JPG

 

 

桜にはちくと早かった。

チラホラ程度。

サクラパラパラ.JPG

 

 

 

あとは、ゆっくりと。

石造りの素晴らしさ。

造形美を堪能。

 

埋門のような入口やら。

ヨメサントオナジタカサ.JPG

門扉を滑らす石造りやら。

スゴイヨ.JPG

整然とした雁木やら。

ガンギモイイ.JPG

門の礎石やら。

スゴイネ.JPG

 

 

足元にも見逃せない遺構がゴロゴロ。

ホントにいい処だな。 

また来よっ、と思った次第。

 

 

 

 

 

 


2周目 広島城 [城]

 

 

 

2015年12月12日(土)

 

広ーいお堀に天守が映り込む。

うーん。

天気がイマイチで残念。

風で水面が揺れているし。

ヒロシマジョウテンシュ.jpg

 

 

なぜだかな。

止められないもんだな。

お城巡り。

 

 

先週の高知城にて、

100名城は完結したはずなのに。

今日は広島城。

ニノマル.jpg

 

ヒロシマジョウテンシュダイ.jpg

 

 

天守内部に突入。

ウロウロ見学。

スタンプはもう押しませんが。 

テンシュカラ.jpg

 

それにしても。

観光客層が福岡とは全く違ってた。

欧米の方々がえらい多かったス。

 

 

 

 

お城の後には、広島名物 お好み焼き。 

朋友に連れられてお好み村へ。

コレは、旨いっ!

お酒にとっても合いマス。

オコノミムラ.jpg

 

アフター.jpg

 

色々と語らい酒を酌み交わす。

亦楽しからずや。 

 

 

ということで。

2周目始まっちゃいましタ、の巻。

ゆっくり周ろっと。

 

 

 

 

 

 


高知城(日本100名城) [城]

 

 

 

2015年12月5日(土)

 

現存天守に現存本丸御殿。

日の本ココだけ 現存セット。

古のサムライ建築を今に伝えてくれる。

 

心の底から、キャッ!とスル。

お城のワンダーランド、高知城。

さすがっ!  南海の名城。

 

 

 

 

震える気持ちをおさえつつ 城内へ。

 

おっと。

コレはっ!

 

追手門と天守閣が一緒に望めるなんてっ。

このセットも日本でココだけ。

すっげース。

なんとも稀少なスポットだらけだ。 

コウツジョウ1.jpg

 

 

 

 

やっと来られた、、、

なんとも長かったなぁ。

最後がココで良かった。

ホントに素晴らしかった。

 

100名城スタンプラリー7年半の旅。

無事高知城にてコンプリート。

まっこと良かったぜよ。 

 

 

 

 

 

今日は。

嫁さんとの夫婦道中なんで。 

ゆっくりとあっちこうち。

お散歩 in 高知城。

それがし一人だと。

あちこうち走っちゃうんですよね。

 

 

いろんなお城見てきたけれど。

こんな飛込み台の石樋は初めて。

うん。

見て得した気分。

イシトイ.jpg

 

 

 

すぐには本丸へ向かわず。

ぐるりと。

三の丸から紅葉並木、御台所屋敷跡。

元に戻って詰門へ。

それがしにとっては至福の散策。

コウチジョウ2.jpg

 

コケムシテイル.jpg

 

コウチジョウ3.jpg

 

 

 

 

 

おっと。

この詰門。

本丸と二の丸を分断する空堀に架けられ、

二階は廊下、一階は貯蔵庫。

しかーも。

今も現役!

後で二階を渡って本丸に行ったもん。

 

こんなん、残ってるなんて。

まさに奇跡。

ホントにありがとう。

コウチジョウ4.jpg

 

 

 

 

三の丸から望む天守。

うーん。

イマイチだなこのアングルは。 

テンシュ.jpg

 

 

ゆーっくりと見てまわる。

ラストキャッスルだからな。

余韻を味合わないと。

 

 

二の丸から本丸へ。

詰門二階の廊下を渡る。

さっきの二階部分はこうなるのか。

すんごいや。

サアイクゾ.jpg

 

 

 

 

 

くぐり抜け、渡った先は本丸ゾーン。

現存天守に現存御殿。

そう。

日本で唯一、本丸建物群がすべて現存。

ココは江戸時代から変わらない。

なんとも堪らない至福の空間。

コウチジョウテンシュ.jpg

 

 

 

受付にて100名城スタンプを押印。

イロイロ思い出したけど。

とりあえずホッとした次第。

 

 

本丸御殿に突入。

何故だかフルオープンで開放的。

ただ、、、寒かったス。

質実剛健という趣き。

これまた感じのいい空間でしタ。

ホンマルゴテン1.jpg

 

ホンマルゴテン2.jpg

 

ホンマルゴテン3.jpg

 

なんと。

御殿が天守に連結してたぞっ。

スゴイな。

眼福な物件の数々。

今まで残ってくれていてありがとうございました。

 

 

 

 

 

天守の高欄から眺める本丸建物群。

うっとりと鑑賞。

ため息の出るような美しさ。 

日本人に生まれて良かったス。

コウチテンシュカラ.jpg

 

100メイジョウコンプリート!.jpg

 

 

 

最後も。

日本で唯一の現存物件。

忍び返し。 

シノビガエシ.jpg

 

 

とてもとても言い尽くせない。

その素晴らしさ。

日本で唯一の現存物件の数々。

今まで残っていてくれて、本当にありがとう。

 

 

残ったものは残したもので

偶然なんかじゃないよ

宇宙の意思があるとしたなら

確かに働いたんだろう、、、

なんていう、あゆの詩を思い出した次第。

 

 

 

以上、日本100名城スタンプラリーは無事終了。

次から何をしようかなっと。

 

 

 

 

 

 

 


根室半島チャシ跡群(日本100名城) [城]

 

 

 

2015年9月5日(土)

 

『チャシ』はアイヌ語で『柵囲い』。

どうやら、砦、祭祀の場、見張り場など

多目的な用途で使われていたらしい。

 

北海道内には500以上のチャシ跡が確認される。

特に道東地方は分布密度が高く、

根室市内には32ケ所が現存している。

ほとんどがオホーツク海を臨む海岸段丘に作られている。

 

なーんてことを。

観光協会でもらったパンフレットで確認。

見学が出来る2つのチャシを教えていただく。

 

 

 

ノツカマフ1・2号チャシ跡。

日露外交交渉発祥の地らしい。

うーん。

荒涼とした最果て感。

ノツカマフ.jpg

 

ノツカマフ コレ?.jpg

 

 

 

 

 

 

ヲンネモトチャシ跡。

温根元湾の西岸に突出した岬の上に盛土を行い、

壕で区画し盛土頂上に平坦面を2ケ所作り出している。

どこかどれか、よう分からん。

ヲンネモトッテ.jpg

 

ヲンネモト コレ?.jpg

 

 

 

湾から見たらよう分かる、

と言われたけれど。

お供え餅のように見える、って。

ヲンネモト.jpg

 

 

 

黒い雨雲が恨めしいけど。

再訪することはないだろうからな。

荒涼とした景色を心に刻んでおこう。

 

 

 

ファーイースト最果ての日本100名城。

根室半島チャシ跡群、アイヌの砦。

 

ココのスタンプは難易度高いから。

押せてホッとシチャったシ。 

こんな所まで来チャったシ、見チャったシ。

いい経験しチャったシ、の巻でしタ。。。

 

 

 

 

 

 


高祖山城 [城]

 

 

2015年6月13日(土)

 

今日は山登りというかハイキング。

高祖山城(たかすやまじょう)

福岡市西区の西端、周船寺の南。

標高416m 高祖山の頂上。

タカスジョウトハ.jpg

 

古代朝鮮式山城の怡土城(いとじょう)の跡に築かれ、

ほとんどがその遺跡。

怡土城が、朝廷によって築かれた大陸からの防衛線、

我が国有数の古城、とは知っていたのですが、

興味湧かない時代背景に、今までスルーしてました。

 

トレーニングになるからな、と登って見てきた。   

何度か登っているコースから足を伸ばすと高祖山。

 

頂上の上城あたり。 

曇っていて眺望が悪かったのが残念。

タカスジョウ1.jpg

 

タカスヤマチョウジョウ.jpg

 

1586年 豊臣秀吉公が九州平定の軍を起こした時は、

徹底抗戦の構えで2000人が籠っていたというけれど。

うーん。

こんな山の中で、大変だっただろうな。

 

最後は、秀吉公の大軍を見て驚愕。

戦わずして無血開城され、廃城となる。

糸島戦国史の拠点、楽しく登ってきました。

 

 

 

 

 

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ココから備忘録。

思うことあり、今年はバイクにも乗らず山登りばかり。

ランニングアプリなのでイマイチ見にくいなコレ。

ヤマノボリ.PNG

 

今日は一番下のチビと2人で山登り。

もとい、ハイキングなので。

張りっきんぐで、スピードと距離に挑戦。。。

 

叶嶽神社駐車場 13:15

→ 叶岳 341m → 高地山 419m 

→ 飯盛山・高地山分岐 → 飯盛山 382m 

→ 飯盛山・高地山分岐 → 高祖山 416m 

→ 野外活動センター → 叶嶽神社駐車場 17:15

 

途中休憩は最低限に、11.7キロ 4時間(正味3時間半) 

分岐からの飯盛山往復3キロ 1時間、コレは効いた。

この周回コースは、しんどさも距離もイイ感じ。

また来ようっと。

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秋田城 [城]

 

 

2015年5月10日(日)

 

古代大和朝廷が、蝦夷に備える城柵を造る。

その城柵が北進しココまで来たのが始まり。

あー北まできた、だから秋田なんだ。。。 

北方経営の拠点が、ココ秋田城だったらしい。

 

資料館みたいなところでそんなこんなをお勉強。

渤海国からの使節を歓待した迎賓館の役割とか。

水洗トイレがあったとか。 

ふーん、なるほど。

福岡の鴻臚館と同じような処だったんだな。

 

 

そのあとはお散歩。

曇っててとっても寒い気温10度。

門や塀やらが復元。

アキタジョウ1.jpg

 

 

こう見ていると多賀城やら大宰府みたいな感じがする。

アキタジョウ.jpg

 

 

アキタジョウトハ.jpg

 

 

 

おっと。 

あそこが復元された古代の水洗トイレ。

気になるね。

どうなってるんだろ?

当然和式だよな。

わし気になってしゃあない。。。

コダイノトイレ.jpg

 

中に入って和式であることを確認した次第。

 

古代に想いを馳せる。

不思議なところだったな。

 

 

 

 

 


久保田城(日本100名城) [城]

 

 

2015年5月10日(日)

 

秋田県秋田市の久保田城。

ふーん。

久保田なんだ。

秋田じゃないんだ。 

 

えっ。

秋田城は別なんだっ。

知らないことばっかりだな。

 

 

常陸の国から1602年転封された名門佐竹氏。 

関ヶ原の戦いで西軍寄りだったから、左遷かな。  

減封されての来たので、あえて大規模な城は築かず、

簡単な土塁を低い丘の上に築いただけ、と本で読んできたけど。

いやいやどうして。

素晴らしい土造りの巨城だったス。

 

 

 

いざっ、本丸へと登ろうとすると。

おっと。

手すりがあるぞ。

なんて登城者フレンドリーなんだ。 

今は千秋公園として市民に愛されている。

クボタジョウ.jpg

 

 

えっちらおっちら登ると。

囲まれたっ、スゴイ土塁。 

土造りながらも防御力レベルの高いクランク。

土塁の下は土留めの石垣が効いている。

クボタジョウ2.jpg

 

上からみるカクカク。

いいね!

臨時的に木戸を設ければ、防御力がさらにアップ。

と、本に書いてあったけど、納得っス。 

クボタジョウ1.jpg

 

こちらは現存建物、御物頭御番所。

番所の現存は、全国でもレア。

登城者の査察が役割なだけに武骨な雰囲気。

ゴバンショ.jpg

 

 

 

本丸を散策。

とっても広く気持ちがいい。

天守代用の2階造りの御書院があったらしい。

土造りの台座。 

ゴショインアト.jpg

 

 

御隅櫓。

コンクリ造りの模擬建築。

思わず造っちゃいました感満載だけど。 

しっかりお金を払い見学しました。

ここで100名城スタンプを押す。

よし、あと2つ。 

スミヤグラ.jpg

 

 

 

目的を果たしたので、あとはまったり。 

本丸を取り囲む土塁上をテクテク。 

土木工事技術の高さが感じられる。

うーん、なんとも素晴らしいなあ。 

リッタイカン.jpg

 

そうか、石垣じゃないからか。

斜面にツツジを植えられるんだ。

お城だけど。

庭園の要素も加味されて、雰囲気最高。

老若男女が散策されている理由がよくわかる。

とっても気持ちがいいスポット。 

イイカンジノテイエン.jpg

 

 

こっちのクランクも立派。

ゆるやかな坂道に手すりの用意。

ほんとにフレンドリーだな。

クボタジョウクランク.jpg

 

 

土造りの巨城、久保田城。

高いながらも緩い斜面の土塁。 

 

立派なお城なんですが。

何とも登城者に優しい。

城下の人達と一体になってたんだろうな。

とっても感じのいいお城でした。

 

 

 

 

 

 


盛岡城(日本100名城) [城]

 

 

2015年5月9日(土) 

 

岩手県盛岡市。

南部氏20万石の居城 盛岡城。

 

良質な石材がない東北のお城は、

土塁で築くことが多いけれども。

その中にあって、花崗岩が豊富に取れたココは。

なんと、総石垣造り。

東北地方では異色の存在、最北の総石垣城郭。

 

 

名古屋から秋田空港経由。

やっと着いた。

遠かったス。

それがしの100名城めぐりもカウントダウン。

歴史文化館でスタンプを押したら、残すは3つ。

 

 

 

さあっ、石垣をじっくり見ちゃるけん。

と、三の丸から反時計周りで歩き始める。

おおっ、すごい。 

エッジが効き上へと立ち上がる姿。

迫力あるなぁ。

モリオカイシガキ.jpg

 

各種お城の本で予習してきたけど。

どこを歩いているかなんてどうでもいいや。 

荒々しいながらも素晴らしい完成度に魅入ってしまふ。

 

うーん。

なんか切れそうやな。

モリオカジョウイシガキ.jpg

 

 

ノリオカジョウイシガキ1.jpg

 

 

モリオカジョウイシガキ2.jpg

 

 

 

それにしても、ココの石垣は荒々しい。

矢穴の跡だらけ。

というか、わざと残しているのかな。

いろんな石垣見てきたけど。

ココまで痕跡あるのは他にはない。

恐竜の歯型のようやな。

ギザギザ.jpg  ギザギザコレモ.jpg

 

 

上見ても、下見ても。

矢穴だらけ。

石を切り出した時そのままの姿。 

もういいわって、言いたくなる in 岩手。。。

ウエノギザギザ.jpg  シタノギザギザ.jpg

 

威嚇のためか誇示のためか、

それともただ単にメンドくさかったのか。

とにかく矢穴の数にはビックリ。

ちくとアナには食傷気味かな。

 

 

 

石垣の他には何も残っていないけど。

今日は広場で何かの行事をやってるみたいで人が沢山。

岩手公園として市民の憩いの場になっている。 

本丸の方まで行く人は少数だったな。 

モリオカジョウイシガキ1.jpg

 

モリオカジョウイシガキヤ.jpg

 

 

 

最北の総石垣のお城。

矢穴だらけの荒々しい石垣。

あそこにも矢穴、ここにも矢穴。

 

まさにアナだらけ。

ありの-ままの-姿 見せてもらいました。。。

素晴らしいお城、また行きたいな。

 

 

 

 

 


横須賀城 [城]






2015年4月4日(土)



来たよ、横須賀城。

静岡県掛川市の横須賀。

うーん。

神奈川かな、と勘違いしてしまう地名。

掛川駅から車で約30分。






かつては海辺のお城だったけど。

1700年代の大地震で海岸線が後退。

今では海辺は遠くなりにけり、の状態。



ココ横須賀城名物は、、、

玉石積みの石垣。

そう、玉石垣っ!

いつか見てみたいっ、と思っていたんス。





やっと来られたヨ。

おおっ。

なんと! 

石が丸いっ。

ヨコスカジョウ1.jpg



今までは。

カッチリとしたエッジの効いた石垣ばかり見てきた。

でも、コレもありだな。







じつと。

正面から見ていたら。



なんか、粟おこしのように見えてきた。

さらに。

まじまじと観察。

うんっ。

麦チョコのようにも見えるな。

アワオコシ.jpg









よっし。

上からも見てみよう。

どっちから見るのがいいのかな。



上?   正面? 

それとも。

下から?



えっ、 やっぱり。

横っすか。。。 

横須賀城だもんな。

ヨコスカジョウ2.jpg







かつては三重四層の天守閣がそびえていたらしい。

今は、なーんにもない天守台。

在りし日の模型やら、いろんな解説文があるので。

よく読みながらお勉強。



地理的に重要な場所だからな。

名門が入ってたんだ、と理解した次第。

ヨコスカジョウテンシュ.jpg






あとは北の丸を歩いたり、

隣の丘 松尾山に登ったりと、ウロウロ。





それにしても。

普通の河原石なのに。

積み上げたらこうなるんだ。

いい雰囲気だな。

ヨコスカジョウノR.jpg





不思議な感覚、玉石垣。

石材調達が困難な処で考えられた様式。

職人魂やこだわりが伝わってくる。



さすが、素晴らしい!

たましいが 中に入ってるだけあるな、玉石垣。。。

素晴らしかった、また来よう。












さすがの金沢城 [城]

 

 

 

2015年2月22日(日)

 

加賀百万石の居城、金沢城。

3年半振りの石川門。

 

前来た時は工事中だったけど。

今日は完全なるお姿。

鈍く白く光る鉛瓦が眩しいっ。

目にしみ入るや。

イシカワモン.jpg

 

 

入城したら。

あらっ。

二の丸広場前は人がいっぱい。

 

何かやるんですか?

と、聞いてみたら。

放鷹とのコト。

タカを空に放つ催しらしい。

ヒトオオイネ.jpg

 

ふーん。

そんなことあるって。

知ってたか?

 

知らなたっか。。。

もとい。

知らなかった。

 

 

 

二の丸広場は立ち入り禁止。

遠くから五十間長屋をパシャリ。

ゴジュッケンナガヤ.jpg

 

アレ誰?

ズームアップすると。

鷹匠さんやった。

シラナタッカ.jpg

 

 

 

 

残念ながら。

鷹には全く興味がないのでスルー。

復元の菱櫓を見ながら、ブラブラ散策。

ヒシヤグラ.jpg

 

 

五十間長屋の内部を見学。

内部から見た鉛瓦屋根、絵になるな。

ナカノヨウス.jpg

 

ナマリガワラ.jpg

 

 

 

さあ、やっと着いたよ。 

それがしの金沢における最終目的地はココ。

三十間長屋。

久しぶりに見られて良かったヨ!

サンジュッケンナガヤ.jpg

 

 

スバラシイス.jpg

 

 

ヤッパリイイネ.jpg

 

 

サイコウダネ.jpg

 

三十間長屋の脚元に魅せらせて。

グルグル2周しながら。

しげしげと舐めるように観察してしまっタ。

 

さすがの技かな。

やっぱり芸術品だな、コレは。

 

金沢城三十間長屋石垣。

最高でした。

また見に来よう。

と、思いを新たに金沢城を後にした次第。 

 

 

 

 

 


立花山城 [城]

 

 

2014年12月7日(日)

 

福岡市東区と新宮町と久山町の境。

標高367mの立花山。

今ではトレッキングで有名な山だけど。

かつては、九州最大の山城、立花山城。

 

チビのサッカー関係で近くの小学校にやって来た。

うーん、サッカー終了まで相当時間があるしな。

よしっ。

こういう機会はあんまりないから、登っておこう。

 

 

クルマで少々走り、駐車場から歩き、登山口へ。

結構な数の老若男女が登り下りしていタ。

トレッキング人気恐るべし、立花山。

タチバナヤマヘヨウコソ.jpg

 

今まで、いろんな山城登ってきたので。

山城経験値だけは高いよう、それがし。

九州最大の山城といっても、大した事ないっちゃろ。

と、思って舐めてかかったら。

結構しんどい山登りに、最後はヘロヘロに。

タチバナヤマノボル.jpg

 

 

 

豊臣秀吉公をして。

「その忠義鎮西一、剛勇また鎮西一」

と、賞せられた立花宗茂で有名なお城。

戦闘力の高さでは戦国有数の武将。

4万を超える島津勢をココで迎え討ち負けなかった御仁。

 

この何年かハマっている2人の人気作家の作品。

葉室麟の「無双の花」と、上田秀人の「孤闘 立花宗茂」

を読んで、立花宗茂と立花山城を予習してきたけど。

かなーりの山登りに本の内容を思い出すのがどうでもよくなる。

 

そうだ、宗茂は婿だったんだ。

ココは。

数少ない女城主、誾千代(ぎんちよ)のお城だったな。 

 

そんなこんなを考えながら登って行くと。 

ところどころに石垣が残っている。 

 

後に福岡城を築く時、破却されたんだけど。

こんな山の上の石垣だけは。

持って行けなかったんだろうな。

タチバナヤマイシガキ1.jpg

 

 

 

寒ーい季節なのに、汗だくになり、やつと頂上到着。

ちょうどお昼時なので、トレッキングの方々が沢山。

じつと待つて、誰もいなくなつてからパシャリ。

タチバナヤマサンチョウ.jpg

 

 

 

おおっ。

すっげーっ。

博多の港を見下ろす、とはこのコトだな。

 

立花山山頂から見る眺望、サイコーだな。

海に向かって180度超開けている。

皆様が登りたくなる理由が分かりもうした。

タチバナヤマカラミルケシキ.jpg

 

この景色見ながら、お昼ご飯やらコーヒータイムやら。

山登りの人たちは優雅な時間を過ごしてましタ。

 

 

それがしは。

登城完了したし、景色も堪能したから、さっさと帰るとしまス。

下りる途中で、曲輪のようなところがあったので、慣れない藪漕ぎ。

キレイな石垣を見つけ、なんか嬉しかっタ。

タチバナヤマイシガキ.jpg

 

 

九州最大の山城。

数々の戦闘の経験値、女城主誾千代、立花宗茂。

スゴイ歴史の割に。忘れられた感が満載。

 

お城好きには複雑な処ですが。

山登り好きには素晴らしい処には違いない。

博多の港を見下ろす眺望、その爽快感。

 

また来よう、

今度は城好きじゃなくて、山好きとして。

と、思った次第。よカ山でしタ。。。

 

 

 

 

 


七戸陣屋(七戸城) [城]

 

 

2014年8月30日(土)

 

ななのへ、とカーナビに入力すると。

ななの部屋、とかいうスナックが出てくる。

 

どこにあるんや、七戸城。 

えっ。

しちのへ、と呼ぶのがが正しいんだ。

 

ううむ、そうなんだ。

今までまったく知らなかったっス。

 

 

 

持っている本『日本名城百選』には。

七戸城と載っている。

他の本には、七戸陣屋と載っている。

帰って、よーく本を読み比べたら。

 

室町時代初期に築城され、戦国時代末期まで七戸南部氏の居城。

南部氏の居城の中では最北に位置し、北方防衛の最前線拠点。

1591年に豊臣秀吉軍によって落城。

ということは、ココまでは七戸城なんだろうな。

 

時が経って。

七戸藩は盛岡藩五代藩主の弟が五千石にて分家。

1819年に盛岡支藩として大名に列せられる。

中世七戸南部氏が築いた七戸城をベースに陣屋が構成される。

10か所の曲輪を持った壮大な城構えのうち、

本丸・二の丸が使われていたらしい。

なるほど、この七戸藩は七戸陣屋になるんだな。

 

 

やっと理解できましタ。

かなーり夕方で暗いっス。

しかも雨が降ってきたので。

そそくさと、駆け足で見学。

シチノヘジョウ.jpg

 

 

台地の先端にある宝泉館の空堀。

うーん、残念。

よく分からなかった。

必見ポイント、って本に書いてあったんスが。

シチノヘ カラボリ.jpg

 

 

今は神社の境内地になっている本丸。

柏葉公園の二の丸。

ブラブラと歩いていると、気持ちいい広場に。

おおっと、あの感じ。

向こうにあるのは土塁だな。

シチノヘジョウ コウエン.jpg

 

 

土塁の向こうには水堀。

うんうん、雰囲気あるなあ。

いい感じっス。

シチノヘジョウ ミズボリ.jpg

 

 

雨が降ってきたので。

存分に見られなかったのが残念。

または来れないだろうから。

本を読んで復習しときマス。

 

中世城郭の雰囲気が感じられた陣屋でしタ。

 

 

 

 

 


八戸陣屋 [城]

 

 

 

2014年8月30日(土)

 

青森市八戸市、八戸陣屋。

外様の南部氏、2万石。

 

盛岡藩三代藩主が後嗣を決めずに死去したため、

幕命により盛岡8万石、八戸2万石に分割される。

1664年に盛岡支藩として成立、八代藩主時に城主格になる。

 

一応この案内石を見ると。

昔は城跡だったということが分かる、

が今はただの公園。

ハチノヘジョウ2.jpg

 

 

公園をウロウロするも、城跡ではなくリアルにパーク。

かろうじて土塁っぽかったのでパシャリ。

ハチノヘジョウ3.jpg

 

市役所横の公園、昔も今も八戸の中心地なんだろな。

市街地化が進み、今は門を残すのみ。

そう、門しかなかったもん。。。

 

 

南部会館の表門がかつての遺構。

角御殿表門とのこと。

お城の痕跡はコレくらい。

ハチノヘジョウ1.jpg 

 

脇の潜り戸しかあいていないけど。

あの扉を開けてみたいな。

どんな音がするんだろ。

 

 

がーっ、と開くのかな。

 

いや、きっと、、、

ぎーっ、と鳴るのかも。

 

ぐーっ、とはないか。

ぐーっ、と押すんだ。

 

そしたら。

ごーっ、と音するのかな。

 

 

やっぱり。

げーっ、と鳴るんだろうな。

 

なんといっても、ゲートですもんね。。。

 

 

 

 

 


根城(日本100名城) [城]

 

 

2014年8月30日(土)

 

ココは青森県八戸市根城字根城47。

そのまんまの住所。

 

ということで、やって来たのは、根城。

弘前城から約2時間、とっても遠かった。

博物館で100名城スタンプを押印。

 

フムフム、こんな感じだったんだ。

見学スポットの本丸までウロウロしながら向かうことに。

ネジョウ.jpg

 

 

博物館横の空掘が雰囲気を醸し出している。

ネジョウ  ホリキリ1.jpg

 

本丸からの帰りには向こう側から、

馬淵川方面からぐるりと戻ってくる。

空堀の底をブラブラ散歩、うんコレはいいっス。

ネジョウ  ホリキリ2.jpg

 

 

有料ゾーンの本丸は、イロイロと復元。

発掘調査を重ね、学術的な検討を重ね、

復元された中世の城館らしい。

重ね重ねお疲れさまでした。

ネジョウ シュデン.jpg

 

 

有力な鎌倉御家人であった南部師行によって築城される。

南北朝時代には奥州における南朝方の中心的な存在だった南部氏。

根城は南部氏の居城として続いたが、秀吉公時代に壊され、その後廃城に。

 

 

おっと、竪穴式の建物が復元されている。

ちょっとビックリ、どこかの遺跡みたいっス。

ネジョウ カジコウボウ.jpg

 

 

お城跡というよりも、芝生のキレイな公園でしタ。

 

 

 

 

 


弘前城(日本100名城) [城]

 

 

 

2014年8月30日(土)

 

やっと見に来られた、弘前城。

 

日本に十二だけ現存する天守閣の一つ。

空の青と欄干の赤のコントラスト、現存天守がキマってる。

ワンダホーでビューチホーな本当に絵になる姿。

 

弘前城は天守の他に、なんと3基の櫓・5棟の門もが現存。

まさにココは。

お城のテーマパーク、夢の世界。

アカトアオ.jpg

 

 

 

8月の暑い夜、酔いながらイロイロと調べていたら。

弘前城の天守閣が、今年の秋から工事で移動する、らしい。

工事完了、まで約10年。

 

今の姿は当面見られなくなる、ということを今更ながら知ったので。

行かなきゃ、青森に。

弘前城を拝みに行かなきゃ。

ということで、小牧空港から青森空港に飛び立つ。

 

 

 

備忘メモ。

6:20発ミッドランド前からバスにて小牧空港へ。

7:45発フジドリームエアラインに乗り。

9:00に青森空港着、レンタカーを借りて弘前城着10:00。

なんと。

福岡の自宅へ帰るよりも早いじゃないか。。。

 

 

 

かつての縄張りがそのまま残る広大な弘前公園。

外掘沿いを駐車場を探しキョロキョロ。

折の効いたお堀沿いから中を伺うが、

樹木が生い茂る土塁に囲まれ見通せない。

わざわざ外から見えないようにしているのか。

まさにテーマパークだな。

 

弘前文化センターに車を停め、テクテクと城内へ。

おおっと、見えてきた東門。

土塁で造られた枡形虎口にどーん。

めっちゃ大きい、迫力満点。

ヒガシモン.jpg

 

 

東門をくぐり、まっすぐに天守方向へ向かう。

だだっ広-い城内、それにしても静かだ。

静謐という言葉が似合う、素晴らしい空間。

 

二の丸のお堀にかかっている石橋を渡ると。

ココにもどーんっ。

 

東内門。

1階部分が特に高いのは雪の影響を考慮しているらしい。

それにしてもデカイ。

小人になった気分でくぐり抜ける。

ヒガシウチモン.jpg

 

 

二の丸を散策していると見えてきた。

チラチラとは見えるが、さすが8月、葉っぱが生い茂っている。

ミエテキタ ヒロサキジョウ.jpg

 

我慢できずにポクポクと駆け寄るも。

うーん、葉っぱで見えないっス。

桜の名所の弘前城だからしょうがない。

桜の季節にいつかは見に来たいけれど。

今は桜がウラメシイ。

キガジャマッス.jpg

 

 

 

二の丸から本丸馬出へとかかる下乗橋。

橋から望むと。

とうとう現れた現存天守。

三重三階の小さな櫓、でも存在感アリ。

イイ! 美しい! 絵になる! 素晴らしい!

ヒロサキジョウテンシュ1.jpg

 

 

 

ココから有料部分になるのでお金を払い本丸へ。 

裏からみた天守閣、のっぺりとした表情。

切妻破風や狭間で飾られた表向きの顔とチガウ。

それがしはどっちも好きデス、お城なんで。

ヒロサキジョウテンシュ2.jpg

 

こじんまりとした天守内部に入り資料を見学。

100名城スタンプをココにて押印。

内部から眺める岩木山方向、雲に隠れている、残念。 

イワキヤマホウコウ.jpg

 

 

 

弘前城の由来をば。

最初は南部氏が津軽地方を支配下に置いていたが、

南部氏の郡代であった大浦為信が独立、津軽氏と改姓し津軽地方の支配者になる。

小田原の陣に南部氏の機先を制して秀吉公に拝謁、津軽の支配権を公認される。

 

そんなスタートだから、津軽と南部の両藩の対立は深刻で、

戊辰戦争の際には奥羽列藩同盟を離脱し官軍につき、ここでも南部藩と対立。

 

1603年に藩祖津軽為信が築城計画を開始。

2代目の時1610年に着手、翌年に完成。

以降廃藩に至るまで260年間、津軽藩政の中心地となる。

最初は4.7万石、のちに10万石の外様大名。

実収は数十万石と言われたが、寒冷地の悲しみで冷害に弱かったらしい。

 

今でこそ城下町らしい落ち着いたたたずまいだが、

当時はむしろ北のフロンティアで躍進する新興大名。

その意気込みが感じられる、この地方で初めての石垣造りのお城。

 

天守閣・3基の櫓、5棟の門が現存、すべてが重要文化財。

東にはシンデレラ城、西にはホグワーツ城があるのなら。

北には弘前城があるぞ。

まさに、お城好きには夢の国、素晴らしいお城のテーマパーク。

 

 

さあ、次のアトラクションに行くぞ。

二の丸から三の丸へは南内門をくぐる。

現存天守を拝見したあとでは、有り難みが薄くなってきたかも。

なんとも罰当たりな事を思ったりしてしまう。

ミナミウチモン.jpg

 

 

お堀越しに望む未申櫓(ひつじさるやぐら)。

天守から西南の方角(未申の方角)に立つ三重三階の隅櫓。

どの櫓も裏から見ると、のっぺりとした表情だったデス。

ヒツジサルヤグラ.jpg

 

 

こっちは東南の方角(辰巳の方角)の辰巳櫓。

木が邪魔で見えにくい。

土塁が滑り堀に落ちそうで怖かった。 

タツミヤグラ.jpg

 

 

やっとたどり着いた追手門。

創建時は裏門だったのが、4代藩主時から表門に。

うん、凄い、迫力あるっス。 

オウテモン.jpg

 

 

 

南の端っこ、追手門でUターン。

三の丸、二の丸を経て、再び下乗橋。

またまた天守閣をじっくりと眺める。

やっぱりイイっス。

ヒロサキジョウテンシュ.jpg

 

 

さあ、まだまだ。

次のアトラクションは何かな。

 

おっと、逆光だ、葉っぱが邪魔だな。

北東の方角(丑寅の方角)の丑寅櫓。

桜や紅葉の季節にまた来たい。

どんな表情に変わるんだろ。

ウシトラヤグラ.jpg

 

 

とうとうたどり着いた北の端っこ。

よくココまで来たもん。。。

ということで、北門(亀甲門)。

隣の松のデッカさと北門の存在感にウレシくなる。

キタモン.jpg

 

 

 

北門からは、本丸を左手に望みながら反時計回りに散策。

桜のトンネルで有名な西の郭を通り、二の丸へもどる。

性懲りもなく、天守閣を眺めること、本日3回目。

 

 

 

足を棒にしながら、たっぷりと歩き回った3時間弱。

昔と変わらぬ縄張りがそっくりそのまま残っている。 

最北の現存天守閣に加え、3基の櫓に5棟の門も現存遺構。

まさにお城のテーマパーク、ココは夢の世界。

 

あー、帰りたくない。

本当にいいお城だったな。

またいつか絶対に来るぞ、と心に誓った次第。

 

 

 

 

 


岐阜城登山 [城]

 

 

2014年7月21日(月)

 

今日は何しようか、と朝起きて考える。

もとい。

今日はどの城にしようか。

 

それがしは、よーく知った場所だけど。

チビたちには新鮮だから。

という理由で岐阜城へ向かう。

長良川の堤防沿いを走り20分くらいで到着。 

 

 

9:00に山麓のロープウェー乗り場前でバイバイ。

嫁さんと2人の娘はロープウェーに乗っていく。

それがしと一番下のチビ男チームは歩くことに。

 

 

最初サクサクと登っていくと。

出てくる分かれ道。

今日は、コッチだね。

老人でも幼児でもないからな。

馬の背登山道。

ウマノセ.JPG

 

 

 

一直線に山頂まで登るコース。

それがしイロんな山城登ってますが、この道はしんどかった。

中学校の時にこの道登った記憶がフツフツと湧き上がる。

30年近くぶりだな、と鳥取城なみのしんどい急斜面と格闘。

ダンガイゼッペキ.JPG

 

 

 

崖にへばりつき、両手を使い登っていく。

トレッキング姿の人たちが登る中、

デッキシューズのそれがしとサッカー少年のチビ。

体力だけには自信があるので、ノンストップ登山。

 

 

 

こんな急斜面だと、アレをやりたくなるね。

 

 

ファイトーッッ!!!

ファイトー.JPG

 

 

 

イッパーツッッ!!!

イッパアツッ.JPG

 

やっぱり親子だからかな以心伝心。

仕込んでないけど、一発ポーズを決めてくれタ。

 

 

そんなこんなやってると携帯が鳴り、出てみると。

9:10のロープウェーに乗り、3分で上に着いたよ、とのこと。

 

うーん、ミスチョイスだったかな、馬の背。

あまりの暑さに閉口しながら。

汗がダクダク体が溶け出した頃、天守閣直下で登山道は終了。

 

この時点で9:30ということは、30分で登ったぞ。

なんか妙な達成感を味わう。

 

 

 

ふと見ると、ロープウェーで登ってきた嫁さんたちがやっと来た。

チンタラ歩いてきたら、ちょうど同じ時間になったらしい。

土砂降りに出逢ったようなそれがしたちの汗だくの姿は、

ロープウェー集団から見ると異様な人たちに映っている様子。

 

そんなの気にせず、行列を作っている岐阜城天守閣に突入。

天守閣というか、展望台だなココは。

眼下に蛇行する長良川を見ながら景色を堪能。

ギフジョウカラノゾム.jpg

 

 

帰りはロープウェーで下りましタ。

あっという間だったな。

岐阜城、というよりも金華山登山をしただけ。

しんどかったけど、貴重な体験ができた、と思っておこう。

次登るときはロープウェーだな、と思った次第。

 

 

 

 

 


名古屋城見学 [城]

 

 

 

2014年7月19日(土)

 

3連休の初日。

今日は、嫁さんとチビ3人が単身赴任先の名古屋に来た。

といっても、それがしの実家に行く途中に寄っただけデスが。

 

それがしのアジトを確認した後、昼飯は味噌煮込みうどん。

福岡育ちのチビたちにはどうやら厳しい味だったようス。

赤ダシで育ったそれがしには、なんちゃあなかったけどな。

 

 

 

で、ココまで来たら。

 

 

そう、名古屋に来たなら。 

 

 

アレでしょ。

 

 

 

 

尾張名古屋は城でもつ。

 

 

 

 

昔から、そう謳われているからには。

行かなきゃ。

ということで、名古屋城見学。

 

 

 

それがしは、よーく知った場所ですが、

初めて家族全員でやって来た。

まずは、復元途中の本丸御殿。 

ナゴヤシホンマルゴテン.jpg

 

 

何度来ても、いつ見ても。

素晴らしいっス。

早く完全復元にならないかな、これからがとっても楽しみ。

ナゴヤジョウジョウダンノマ.jpg

 

 

 

小さい頃から、それがしにくっ付いて

イロイロなお城に行っているチビたち。

生意気にもアーだコーだとウルサイ。

 

 

じゃあどうだっ、と連れてきた清正流石垣。

おおっ、熊本城と同じだ、とミョーな感動をしていた様子。 

ナゴヤジョウイシガキ.jpg

 

 

清洲櫓を裏から見学した後、再度天守台方向を振り返る。

素晴らしい脚線美。

思わずウットリと見惚れてしまいました。 

ナゴヤジョウイシガキ2.jpg

 

 

 

やっとチビたちに見せられた名古屋城。

紹介はしてなかったですが。

しっかりと金のシャチホコも目に焼き付けましタ。

 

ということで、チビたちへお城の英才教育をした次第。

小さい頃からの刷り込みが重要デス。。。

 

 

 

 

 


五稜郭(日本100名城) [城]

 

 

 

2014年6月7日(土) 8日(日)

 

国内最大規模の西洋式城郭。

★★★★★

  五稜郭

★★★★★ 

 

幾何学紋様の縄張り。

なんとも美しい尖がり具合。

函館タワーから望むスター・フォート(星形要塞)。

★ゴリョウカク★.jpg

 

うーん、素晴しいっス。 

絵になるとは、この事を言うんだな。

 

なんとも不思議な形。 

じつと、見ていると。

あっという間に時間が経っていタ。

ウットリと魅入ってしまい、時間感覚を喪失。

 

 

 

 

 

 

翌朝、天気は雨。

傘を差しながらブラブラお散歩。

 

半月堡(ラヴェランって言うらしいス)の先端。

コレも尖っっているなあ。

しかも舳先のように上を向いている。

えらいツンとスマした石垣ス。 

ヤッパリトガッテル.jpg

 

おっと。

こいつもツンと上向き。

 

画面遠くの石垣も、ツンとしている。 

しかも舳先に止まっとるのはカモメじゃないスか。

国際貿易港函館は洒落とんしゃーす。

トガッテル.jpg

 

 

 

タワー下から始めたお散歩は1周1.8キロ。

1周して半分もどって2.7キロで城内へ。

 

裏門から突入、だんだんと雨も止んできた。

いつまでも降っとレインもんね。。。

 

おっと。

内部が見渡せないよう、門の向こうには見隠塁。

あっさり艦砲射撃にヤラれた感がある五稜郭だけど。

こうして見ると結構、防御力高いような気がしマス。

タノモウ.jpg

 

 

 

1584年日米和親条約が締結され、函館の開港が決定された。

幕府は函館奉行所を再置することにし、ココに西洋式城郭を築城。

幕府軍事顧問フランス人の意見を参考にしたが、

書物を頼りにして当時の日本人がほぼ独力で築城。

 

16世紀イタリアで考案、築城され、重火器の進歩にともなって、

フランス、ヨーロッパ、全世界に普及していった世界標準の城郭。

 

正五角形の頂点の位置にそれぞれ稜堡(バスティオン)を配し、

外周を石垣で築き、その上に土塁を設け弾除けの役割としている。

全体に水堀を巡らせて、さらにその外周には長斜堤を設ける。

 

城郭の南側に、馬出状の半月堡を1か所だけ設け、大手としている。

どうやら、予算の都合上、半月堡は1つだけになったらしいス。

 

 

 

 

裏門から城内に入り、いつものように土塁上をウロウロ。

こうやって歩くと。

桜が植えてあるし、至って普通のお城と変わらんな。

オサンポゴリョウカク.jpg

 

 

おっと、こういうのは普通のお城とはチガウ。

大砲をゴロゴロを引っ張ってきたスロープ。

ゆるーい勾配がなんともいい味だしてマス。

スロープ ゴリョウカク.jpg

 

 

 

復元された函館奉行所庁舎。

時間が早いのでまだ開いておりません。

じっと待ってもいられないので、お散歩継続。

ブギョウショ.jpg

 

 

 

日本に3つしかない希少物件、はね出し石垣。

五稜郭ではアノ石垣もコノ石垣も。

はね出しなので有り難みが薄れるけど。 

一度上からじっくりと見てみたかったんデスよね。

 

おおっ、こうなっているんだ。

うん、大満足っス。

ハネダシイシガキ.jpg

 

ハネダシノウエ.jpg

 

 

 

下からもじっくりと観察。

ああ、アレは登れんな、はじき返されること必定だな。

あのツンとした上向きの尖がり具合。

なんとも堪らないっス。

ノボレンナコレハ.jpg

 

 

 

 

北の大地の幾何学紋様、五稜郭。

星型の縄張り、鋭い半月堡。

ツンとした鋭角の石垣、はね出し。

和風では出せない、西洋風の味付けでしタ。

 

本当に素晴らしかったっ。

また絶対に来よう。

 

スター・フォート(星形要塞)を見てきまスター、の巻でスタ。。。

 

 

 

 

 


四稜郭 [城]

 

 

2014年6月7日(土)

 

五稜郭の北、約3キロの緩斜面台地に造られた四稜郭。

その呼び名からてっきり。

五稜郭mini というべき存在かと思っていた。

 

実際に、行って、見てみた、散歩した。

うーん。

結論は。

 

四と五の間には、はるかなる差があるっス。

昔からよく言いますもん、四捨五入って。。。

 

 

 

フムフム、そうなんだ。

四稜郭とは、の説明書き。

なるほど、蝶が羽を広げたような形の稜堡なのか。

ヨンリョウカクトハ.jpg

 

 

上から見ると不思議な幾何学紋様。

なんかの宗教施設のような感じがするな。

コンナカンジ.jpg

 

 

防御陣地の四隅には砲座。

大砲をゴロゴロと引っ張ってきたスロープが残っている。

こういうのは普通のお城にはないな、と興味深く観察。

ヨンリョウカク1.jpg

 

 

しかーし、あまりにも小さい。

土塁の上をグルグル歩くもすぐに終了。

50m四方のイメージ。

コレは200mトラックくらいの大きさだな。

ヨンリョウカク2.jpg

 

 

『城』の語源は、『土より成る』なので。

お城と言えばお城とも言えなくもないけど。

歴史やら語り継ぐべき話やらが何もない。

うーん、来なくても良かったかも。 

 

 

 

まっ、どうでもいっか。

 

 

ココは。

五稜郭に行ってきたよ、と言う人に対して。

 『 えー、四稜郭ってのもあるんだよ。

   それがし行って見たもんねー。』

と、言えることが出来るようになっただけ、来た甲斐がある。

お城好きとしての下らない優越感を得るためだけかな。

 

 

そう、これから。 

四もなかなか良かったよんっ、と知ったかぶれる。 

 

四の五の言わずに。

はよ次に行っとけや、と言われそうなので。

 

さっさと、五にレッツ・ゴー だな。

 

 

 

ということで、五稜郭へと向かった次第。。。

 

 

 

 

 


松前城(日本100名城) [城]

 

 

 

2014年6月7日(土)

 

北の大地に3つある日本100名城の一つ、松前城。

北海道松前郡松前町字松城、

函館から車で約2時間強、約100キロの道のり。

 

 

 

あー、ホントに。

遠かったっス。

 

 

 

北海道における唯一の藩であり、

三百余侯のなかで知行高をもっていない唯一の藩。

藩経済は、北海道物産でまかなわれていた。

 

 

 

司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』によると。

 

 『小藩とはいえ、相当な城である。

  安政二年(1855年のことス)に竣工したばかりの

      新造の城で、面積二万千三百七十四坪、

      天守閣は三層で、銅ぶきの屋根をもち、

      壁は白亜の塗り込めになっており、

  しかもペリー来航後にできた新城だけに、

  城の南面、海に向かって砲台を備えている。』

 

と紹介されていた。

 

 

 

フムフム。

城内に合った模型を見ながら、本を取り出して読み返す。

マツマエジョウモケイ.jpg

 

 

 

天守は昭和24年に焼失した後に再建されたらしい。

資料館となっている天守受付にて100名城スタンプをゲット。

 

お金を払い資料館を見学。

うーん、あんんまり見るべきものなかったな。

天守から海も望めなかったし、残念でしタ。

 

 

 

肩を落とし天守を出てブラブラ。

おおっと。

コレはすごいものだ。

 

うん。

すごい門だもん。

現存遺構の本丸御門。

ホンマルゴモン.jpg

 

 

三重三階の層塔型天守とのコラボ。

スッキリとした、というかアッサリとした天守。

 

おっ、と。

晴れてきたぞ、ラッキーだな。 

 

 

ココ、松前城は。

本丸御門の存在感アリまくり。

絵になるなぁ。

マツマエジョウ.jpg

 

 

 

 

松前城は日本における、最後に築城された古式城郭。

江戸時代に発達した軍学の到達点とも言える。

 

ラスト・キャッスルであるゆえの最新の石垣は、

精緻な加工で完成度が高く、

パズルのようにカッチリしている。

 

 

遠くから微妙なグラデーションを楽しみ、

近づいてはつり加工のような石垣をナデナデ。

うーん。

これは、いつまでも。

見てて飽きないっス。

マツマエジョウ ホンマルゴモンイシガキ.jpg

 

 

切込接(きりこみはぎ)と亀甲積(きっこうづみ)というらしい。

どちらも美しいな。

マツマエジョウイシガキ.jpg

 

 

 

こちらも現存遺構、本丸表御殿玄関。

玄関だけでも立派だな、家代わりに欲しいな。

ホンマルオモテゴモンゲンカン.jpg

 

 

 

 

土塁の上に登ったり下りたり。

城内をウロウロしていたら。

耳塚やら闇の夜の井戸やらを発見。

説明書きをフムフムと読む。

いろんな歴史や出来事があるもんだ。

 

 

 

こじんまりとした内堀から見る天守。

あの天守は、この角度から見るとなかなかいいな。

本丸御門と一緒じゃない方がいいんだな、と再確認。

ウラカラマツマエジョウ.jpg

 

 

 

七つあった砲台の一つ、五番台場。

スロープがないから、大砲を据え付けていたんだろうな。

ダイバ.jpg

 

 

 

 

海への防御は完璧。

だけど、戊辰戦争のときには。

土方歳三率いる旧幕府軍に、

防備の手薄な裏から攻められ、あえなく落城。

 

悲しい歴史のお城なんだけれども。

近代の銃撃戦を経験し、砲弾を浴びせられた。

そう言われれば、

石垣も弾が当たったような痕跡が数多くあったかも。

 

 

 

土方が攻めてきた搦手門はこっちかな。

いったん下まで降りて、坂をエッチラと登ってくる。

 

橋を渡り、搦手二ノ門の手前に三本松土居。

コレは!

心憎い配置だ、向こうが見えないぞ。

美観的にも素晴らしいぞ。

 

むむっ。

計算しつくされた虎口っス。

カラメテモンアタリ.jpg

 

 

 

 

 

北の大地の唯一の藩。

日本で最後に造られた古式城郭。

精緻な石垣、心憎い虎口。

近代戦の実戦経験値と土方歳三。

堪らないフレーズばかり。 

 

 

素晴らしかったス。

また来て見たい。

ホントにイイお城でしタ。

 

 

 

 

 

 


小幡城 [城]

 

 

2014年5月3日(土)

 

茨城県東茨城郡茨城町小幡城ノ内。

やっと来れたよ、小幡城。

 

20年前、水戸支店から会社人生を始めたそれがし。

第二の故郷茨城は、隅から隅まで車で走って営業してましタ。

けれども、小幡城は。

今ほどお城に淫してなかったので、スルーだったんデス。

 

『全国屈指の巨大空堀が巡る堅城』

と、日本名城百選(小学館刊)には紹介されている。

酔いながら読んでいて、いつか来てみたいな、

と思っていた。

やっと思いが叶った、うれしいよ。

 

 

茨城空港から車で約10キロ。

おおっと、ココか。

 

やうやうと、たどり着いた入口。

確かに。

立体迷路の入口のようだ。

巨大空堀が、コッチにおいでおいでしている。

招き入れられるミョーな感覚。

オバタジョウイリグチ.JPG

 

日本名城百選(小学館刊)によると。

小幡城は低湿地に面する微高地に築かれた平城で、創建は1417年。

小幡氏は江戸氏と50年にわたり抗争するも、1523年に滅亡。

江戸氏は1590年に佐竹氏に滅ぼされ、その後は佐竹氏の重要な支城に。

しかし、1602年佐竹氏の秋田移封にともない廃城になる。

 

 

うーん、歴史的には何も面白くない。

伝えられている歴史上には出てこないけど。

この城は、日夜抗争の繰り広げられた戦いのお城なんだろな。

 

山の上にあったり、深い河川の際にあるわけでもない。 

広ーい関東平野のど真ん中。

何も依るべき地形のなき処で、なんとか生き残るべく造った。

そんな感じが満載の素晴らしいお城。

ココは、まさに立体迷路。

入り込む人間の方向感覚を麻痺させる。

三国志における諸葛亮孔明の八卦陣のよう。

 

 

案内板を読みながら勉強。

フムフム、現在地はココか。

ダンジョンに入る前に位置確認しなきゃ。

復活の呪文も書いとかなきゃ。。。

すみません、ドラクエ世代なんで。

オバタジョウトハ.JPG

 

 

ふっ、と 気配を感じ横を見ると。

おばあちゃまが、、、

どこからか出現。。。

 

どこから来たの? 

何しに来たの?

あなたこそ、という言葉を飲み込み、

問わず語りの質問に答える。

おばあちゃまは筍堀りに来ているらしい。

 

それがしは、福岡からお城を見に来たと言うと。

じゃあこっちよ、と。

あないしてくれるといふが。。。

オバアチャマニサソワレテ.JPG

 

 

誘われるように後をついて行く。

すると、巨大な空堀の底に。

コレは、土塁なのか、空堀なのか。

すごい高さ、逃れられないス。

箕輪城や滝山城よりもコンパクトだけど、

より立体感というか迷宮感を感じる土の造形。

マッテクダサイヨウ.JPG

 

ああっ、まぼろし  

じゃなかったんスね、おばあちゃま。

一緒に筍堀りに来た方と合流。

それにしても、この空堀の大きさはすごいな。

かつての土木工事のチカラに圧倒されました。

ゴアンナイアリガトウ.JPG

 

アッチを行ったら本丸だから、ということで。

おばあちゃまにサヨナラを告げ、彷徨うことに。

ココまでありがとうね。

リッタイメイロ.JPG

 

チョットノボル.JPG

 

メイロウエカラ.JPG

 

クネクネメイロ.JPG

 

 

要所に案内図があるのですが。

今どこを歩いているのか分からないっ。

全く方向感が掴めない。

 

横矢が効いていたり、折りが効いていたり、

戦いの拠点としては見るべきところもありますけど。

それにしても。

お城なのか、立体迷路なのか、ダンジョンなのか。

何が何だか分からなくなってきた。

 

すごい不思議な感覚が味わえるスポット。

本丸にたどり着き、空を仰ぎ。

シューワ キマッセリー、

と、思わず歌いたくなる、ファンタジーゾーン。

ホンマル.JPG

 

 

変な感覚におちいり、

あちらこちらとウロウロとして見ていたら。 

めっちゃキレイな土橋を発見。

しばし土橋に見惚れてしまい、

向こうからコチラ、こちらから向こう。

ウレシクて4往復往復してしまったス。

キレイナドバシ.JPG

 

 

この土塁もすごかったな。

600年前の造形美なんだろうな。

ドルイノウエ.JPG

 

 

かつての遺構がそのまま残る小幡城。

打ち捨てられた感満載の立体迷路。

 

一度体験したら、また行ってみたくなる。

ココはクセになる。

誰かを連れて行きたくなる。

 

誘い込まれるように空堀底を歩くと方向感が麻痺。

高い土塁に阻まれ、うっそうとした木々に囲まれ、

空間感覚も時間も喪失してしまう不思議な気持ちに陥る。

時空を超えたようなおばあちゃまにも出会えた。

不思議な体験をしたお城でしタ。また行ってみよう。。。

 

 

 

 

 


津城 [城]

 

 

2013年12月29日(日)

 

三重県津市、津城。

 

伊勢津藩32万石の祖である藤堂高虎。

主人を八回替えたともと言われるが、時の流れに従った誠実な人物だったんだろな。

だって、豊臣秀吉公、徳川家康公などの天下人に信用され、愛されてたんだから。 

 

お城の世界では安心の高虎ブランド。

17もの城を築き、それらほぼ名城と賞賛されているくらいの築城名人。

ここ津城も、幕末まで藤堂家十二代の居城、当然 Made by 高虎。

 

 

津駅からゆっくり歩いて15分。

見えてきた見えてきた。

おおっ、犬走(いぬばしり)があるぞう。

久々に見た藤堂高虎築城術、いいねっ。

ツジョウイヌバシリ.jpg

 

お堀沿いに石垣を堪能しながら見学。

戌亥櫓台石垣。

垂直に立ち上がる高石垣 & 犬走 とくれば高虎メイド。

タカトラノイシガキ.jpg

 

 

現在では遠浅の海岸だが、津は古く「安濃津」と呼ばれる良港で、

海上交通の要地として賑わった。

1580年織田信長公の弟 信包によって築かれた津城、

1608年に藤堂高虎が入封して大修築される。

北の安濃川と南の岩田川を天然の堀とし、その内側に内外二重の水堀を備え、

西の丸、本丸、東の丸が内堀の中に連郭式に並んでいた。

天守台はあったが天守は建てられず、本丸四隅は天守台と三基の櫓、

それらを結ぶ多聞櫓で囲われていたらしい。

 

 

本丸に入り、ウロウロするも特に目を引くものはなかったス。

藤堂高虎の銅像もなんかイマイチだったなあ。

じゃあ、あの石垣の上をブラブラすることにしますか。

こういう高いところ好きなんデス。

タノシイサンポ.jpg

 

 

さあ、いくぞっ。

心を決めて、戌亥櫓台石垣上から覗き込む。

ひゃあ、こりゃ高いな。

お尻がキュッとなりましタ。 

キュッ.jpg

 

 

何もないけど、模擬復元した三重の櫓が建てられている。 

モギヤグラ.jpg

 

 

築城名人、藤堂高虎の居城。

高虎印の石垣と犬走、名人技を堪能しましタ。

今年最後のお城訪問には格好のお城。

来年はもっとお城に回りたいな、と思った次第。。。

 

 

 

 

 

 


桑名城 [城]

 

 

2013年12月29日(日)

 

三重県桑名市、桑名城。

 

東海道五十三次の宿場町、蛤の時雨煮が名物の桑名宿。

江戸時代には木曽川・長良川・揖斐川の河口を渡る橋はなく、

名古屋南方の宮宿との間を渡し船がつないでいた。

東海道における唯一の海上路で、移動距離は七里で約4時間の船旅。

宮宿、桑名宿とも旅籠数で東海道1位と2位の規模だったらしい。

 

かつての喧騒さを感じさせない静かな町並みをウロウロ。

桑名駅からゆっくり歩いて15分ほどで到着。

揖斐川の水を天然の外堀として取り込んでいた水城。 

クワナジョウエズ.jpg

 

だだっ広くのっぺりとしている。

かつては四重六階の天守が屹立していたというが、その気配はないっス。 

 

 

それもそのはず。

幕末期の桑名藩主 松平定敬は、京都守護職の会津藩主 松平容保の弟。

京都所司代として兄と一緒に幕府を助け、鳥羽伏見の戦いでも主力として戦い、

徳川慶喜とともに江戸に脱出し、後に函館まで転戦。

そのころ桑名では、抗戦か恭順かで藩論が分かれ、くじ引きで抗戦としたが、

下級藩士の反乱で一転して恭順に。

家臣らの説得で函館から連れ戻され、新政府軍に桑名城を無血開城。

 

しかし、本丸の櫓は敗戦の証として燃やされ、堀の石垣は四日市港を造るため取り去られる。 

象徴的な権威としてのお城を破壊することで、新しい時代が来たのだと、

新政府は力を見せつけたかったんだろうけどな。見せしめになった感が漂う悲しい歴史のお城。

 

 

そんなこんなで何もないけど、お堀までは埋め立ててない。

在りし日の姿を想像しながら、お堀沿いをグルグルと散策。

天気が良くて気持ちよかったス。 

クワナオホリ.jpg

 

ミズボリ.jpg

 

 

1601年に徳川四天王の一人、本多忠勝が入封したあとは、

譜代の松平氏が入れ替わり、11万石にて治める。

蜻蛉切をバックにした本多忠勝の銅像。やっぱり強そうやな。 

ホンダタダカツ.jpg

 

 

青空に誘われて、城内を横切り揖斐川の方へ向かう。

外観を復元した蟠龍櫓、内部は水門の管理所。

その向こうは七里の渡し。 

バンリュウヤグラ.jpg

 

蟠龍櫓の名の元になった、龍の瓦があるはずなんだよな。

桑名のシンボルで、旅人の観光スポットになったというんだけど。

おっと、これか。

なんとも、ちっちゃい、というか可愛らしい。

とぐろを巻くドラゴン。

バンリュウ.jpg

 

 

すぐ横の七里の渡しを見るも何もなかった。

わずか5秒で見学終了、これは物哀しいス。 

シチリノワタシ.jpg

 

 

東海道の要衝、桑名。

東海道を旅した人が必ず目にした桑名城、蟠龍。

新政府により破却され、今は何も残っていない。

かつての水城だったこと偲ばせるのはお堀のみ。

静かな水面を見ながら歴史に想いを馳せた次第。

 

 

 

 

 


苗木城 [城]

 

 

 

2013年12月8日(日)

 

岐阜県中津川市、苗木城。

 

わずか1万石なのに城持ち大名だなんて、なんとも希少な存在。

さすが東濃の名門、 遠山氏。  遠山の金さんとは親戚らしい。

 

南北朝時代、岩村城主 遠山氏の一族が苗木に城を築く。

戦国時代には苗木を含む東美濃全域が、織田信長公と武田信玄による

争奪の舞台となり、遠山氏の本城 岩村城は開城の憂き目にあう。

その中で苗木城は織田信長公と結んで城を守る。

しかし信長公死後、豊臣秀吉公でなく徳川家康公に従ったため城を追われてしまう。

 

1600年の関ヶ原の戦いに先立ち、家康公に東美濃奪回を命ぜられ

苗木城を取り戻した遠山氏。

その功績で1万石を与えられ、国替えなく12代にわたりこの地を治める。

 

とかいう歴史を、麓にある苗木遠山史料館にてお勉強。

それがし福岡市民になって10年、いろいろ転々としたけど。

今は名古屋に単身赴任中なんス、でも実家は岐阜県。

特にココ、中津川はいろんなご縁がありまして、本日は父上と参上した次第。

 

 

遠山史料館に父上を残し、それがし一人で登城。

巨石・巨岩や石垣に目移りしながら登ると、大矢倉の足元にたどり着く。

岩村城のようにデカイ岩と一体化した石垣、これはすごいやっ。

オオヤグラ.JPG

 

 

そこら中にゴロゴロと、重量感・存在感のある巨石・巨岩。

巨石を抱きかかえるように。巨岩には寄り添うように。

なんともすごいや、この石垣たち。

あまり期待してなかったのですが。 意外や意外、一見の価値あるお城ス。

イワダラケ.JPG

 

 

 

どえらい山の上だな、と登って上を見ると

巨岩の上に、アスレチックのような木組みを発見。

かつて岩盤の上にあったらしい三重の天守。

どうやら、それを模した展望台になっている様子。 

イワヤマ.JPG

 

 

ようっし、登ろうっと、気合を入れたけど。

巨岩に取り付くことなく、取り巻いている階段を上がったら、あっさり着いた。

振り向くと眼下には、先ほど見た大矢倉の石垣。

カナリタカイッス.JPG 

 

テンボウダイ.JPG

 

 

 

中山道と飛騨路の交差する要衝、苗木。

それを見下ろす苗木城の標高は、なんと426m。

苗木城のある高森山は、木曽川からの標高差は約170m。

 

となれば、その高さからみる景色は。

絶景っ、に決まってマス。

見晴らしサイコーの展望台でしタ。

ゼッケイ1.JPG

 

ミハラシサイコー.JPG

 

 

麓に戻り父上と合流した後は、苗木藩のウンチクを拝聴。

さすが地元だけあって、本にも載ってない貴重な話が聞けましタ。

 

木曽川を挟んだ苗木藩と尾張藩の確執やら、

苗木は水晶や花崗岩の産地、鉱物資源が豊富などなど。

わずか1万石なのに城持ち大名だった理由が分かったス。

 

 

眼下には大地を切り裂く木曽川。

急峻な岩山を取り巻くような石垣。

巨石巨岩と一体化したその姿は一見の価値アリでしタ。

 

 

 

 

 


秋月陣屋 [城]

 

 

2013年9月22日(日)

 

筑前の小京都、福岡県朝倉市秋月。

福岡支藩 秋月藩5万石の城下町。

城下町と言っても天守閣などないので、秋月陣屋と呼ぶべきかな。

何回も行った記憶があるけど、どうやら5年ぶりらしい。 

 

そうだ、城内にある秋月中学校に行こうぜ。

ホンダFITのCMとかに使われた雰囲気のいい処。

お弁当を持っていって、ココで食べようよ。

エニナルチュウガッコウ.jpg

 

 

 

単身赴任先から福岡に戻り、イロイロと聞いてみると。

一番下のチビが秋月に遠足に行くらしい。

おおっ、何回も行ったことあるやん、と訊ねても、

なんにも記憶にナイっス、との応え。

 

それはイカン。

君たちはもう福岡の人、郷土のコトを知ろうや。

じゃあっ、久しぶりに行ってみるか。

だって、それがしも、、、

ちょうど秋月陣屋行ってみたかったんデスよね。

 

 

このごろハマっている作家 葉室 麟。

素敵な語感の名前、、、 

もっとも、、、 

男性作家ですけどね。

現代の藤沢周平、とも言うべき御仁。

もしかすると、藤沢周平先生を超える方かも、

と それがし思って楽しく読んでマス。

『いのちなりけり』、『花や散るらん』 は何度読んでも面白いス。

隆慶一郎氏の『死ぬことと見つけたり』を彷彿とさせる作品。

 

そんな葉室麟氏が書かれた 『秋月記』。

福岡藩とその支藩 秋月藩の確執、いわばお家騒動。

一人の男子が漢になっていく、など藤沢周平先生以外に

こんなの書ける方がいるんだ、と思った素晴らしい作品。

読んで以来、秋月に行きたいな、と思ってたんですよね。

 

 

 

9:30くらいに自宅を出て、都市高速大宰府ICからは下道。

真ん中・一番下のチビと、嫁さん・それがしの四人道中。

11:00前には、秋月記の中でも重要な場所、眼鏡橋(めがねばし)を見学。

福岡本藩の代わりに長崎警護を勤めていた秋月藩。

長崎の石工を招いて造った、日本唯一の御影石の石橋らしい。

メガネバシ.jpg

 

 

眼鏡橋を見て渡った後は、公営駐車場に車を停め散策。

川を渡り杉の馬場、今は杉改め、桜並木の道をお城方向へ。

スギノババ.jpg

 

 

赤い彼岸花と黄金色の稲穂が、秋の訪れを感じさせる。

真ん中と一番下のチビに教えましタ。

アかい、キいろい、だからアキなんだぜって。。。

アキデスネ.jpg

 

 

 

だんだんと歩いていると、見えてきた秋月城の面影。

あちらに見えるは瓦坂。

坂に瓦が縦に突き刺さっている、土留めの盾のように。

カワラザカ.jpg

 

カワラタテニ.jpg

 

 

現存の長屋門、1850年築造らしいっス。

こんなモンをくぐって登校したいモンですね。。。

ナガヤモンアキツキ.jpg

 

 

 

福岡における数少ない紅葉の名所だけあって、

イイ感じに整備されているなぁ。

紅葉じゃないけど、空堀と草に隠れた石垣も絵になる。

アキツキオホリ.jpg

 

 

 

こちらは神社に移築された黒門。

といっても。

城の隣の神社なんで城内なんですけど。

福岡の紅葉と言えば、必ず出てくるスポット。

 

うん、とっても立ち姿のキレイないい門だな。

と、ジっと見ていると。

門だけに。

とういか、塀はないけど門だけだけど。

ヘイカモン、カモンと呼ばれている気がしてきタ。。。

クロモン.jpg

 

 

 

ヘイカモンをくぐり、神社にお参りした後は、

秋月中学校前にシートを敷いて皆でお弁当。

 

久々に訪れた紅葉前の秋月陣屋。

散策するにはとっても気持ちのいい処。

また行こうっ、と思った次第デス。

 

 

 

 

 


墨俣一夜城 [城]

 

 

あっという間に9月も下旬。

今年の夏は暑かったっス、もう忘れ気味だけど。。。

 

暑い中、小田原に石垣山一夜城を見に行ったなぁ。

でも、一夜城 の本家本元と言えば、ココになるからな、行っとかなきゃ。

ということで、一夜城つながりの墨俣一夜城。

 

1566年木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉公)が一夜にして築いたと伝えられる。

秀吉公が天下人に駆け上がるその出発点。

小さい頃読んだ本には、木曽の山中から切り出した木材を筏にして、

一気に川を下り、その木材で墨俣に馬柵をつくり砦を築き上げた、とあった。

いわばプレハブ工法みたいなものらしい。

はるか昔に考えた秀吉公はすごいもんだ。

 

今では史実とは違う城郭建築が造られている。

確かに歴史的には重要な場所だけど、やりすぎ感満載。。。

スノマタイチヤジョウ.jpg

 

信長公の美濃攻略のための足掛かりでもあり、

秀吉公の出世物語の原点とも言うべき、墨俣一夜城築城。

いろんな意味で重要な地。

歴史に想いを馳せながら出世橋を渡る。

スノマタ シュッセバシ.jpg

 

 

歴史資料館の中でいろいろとお勉強。

岐阜出身のそれがしには復習になりましタ。

暑い中、輪中地域特有の景色を堪能。

スイゴウノフウケイ.jpg

 

 

本当はこんな柵で囲われた砦だったんスよね。

ホントは城って言うほどのシロモノではないんデス。。。

ホントノイチヤジョウ.jpg

 

 

暑かった夏の思い出、墨俣一夜城。 

かすかな記憶を引っ張り出し備忘録を書いた次第でした。

 

 

 


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