金ヶ崎城 [城]
2010年9月4日(土)
福井県敦賀市。
金ヶ崎城。
敦賀湾に飛び出た半島の小山の上。
かつては、三方を絶壁、海に囲まれた鉄壁のお城。
今は埋め立てられているけど。
『金ヶ崎の退き口』の舞台。
来年の大河ではココも出てくるんだろうなあ。
ノボリを立ててすでに宣伝してたし。
金ヶ崎城跡の碑。
その築城は鎌倉時代までさかのぼり、
南北朝の動乱では南朝方の有力拠点として
北朝方を悩ませる。
新田義貞と尊良親王が共に立て篭もったことも。
戦国時代には越前朝倉氏の
南の最前線として信長公との戦闘の舞台に。
海抜86mの最高所であることから
月見御殿と呼ばれていた地点から下を見る。
うーん、断崖絶壁。
しかし、思いのほか狭い。
こんなところに長居はできないだろうな。
信長公は1570年4月26日金ヶ崎城を攻め落とす。
直後に、浅井長政の裏切りを知り直ちに撤退。
4月28日には敦賀を引き払い30日には京へ。
お市の方が、両端をしばった小豆袋で
挟みうちを知らせた、とも伝わる。
このとき、しんがりを努めたのが木下秀吉であり、
『金ヶ崎の退き口』 として有名な逸話となった。
それがしにとっては、司馬遼太郎先生の 『巧名が辻』 。
山内一豊が頬に矢がささったまま戦った地。
何年か前の大河でもそのシーンがあったのを覚えている。
激戦の場所らしい。
よく分かりません・・・
蚊に刺されながらウロウロ。
遺構は、それがしには見分けられなかったですが。
ココも歴史の転換点の地だったんだろうな。
日本海を眺めながら遠い昔に思いをはせた次第デス。
86mはゾッとする高さでしょうね。
ロープで縛ってもらわないと下を覗けそうにありません。
by yosi (2010-09-11 16:56)
ここもあまり遺構は残ってないんですね。
上からの景色は、ホント断崖絶壁ですね。
落ちちゃいそうです(^_^;)
by たかぼん (2010-09-12 00:30)
こんばんは。
今度福井県に行きたいと思っているのですが、
その目的地を金ヶ崎城址にしたいな~と思っていた
ところでした。紅葉に合わせて行ければなぁ~!
by perseus (2010-09-12 01:10)
> yosiさん
たしかに高かったです。それがし意外と高いところ平気
なんですよね。
by ノリパ (2010-09-12 07:39)
> たかぼんさん
有名な土地の割には、何もなかったですね。もうちょっと
木を切ってくれれば、いい景色のポイントになるんですが。
by ノリパ (2010-09-12 07:40)
> perseusさん
歴史好きですね。歴史好きな方しか行かないのでは・・・
お城としての遺構は、ほとんど見つけられなかったですよ。
by ノリパ (2010-09-12 07:42)
断崖絶壁の要塞も大軍勢に囲まれるような城攻めには持ちこたえられなくなったんでしょうね。
信長が軍制を近代化させ、秀吉が城攻めの仕方を転換させたことで、
城の形態もより大規模になったのでしょうね・・・
by 袋田の住職 (2010-09-12 10:17)
> 袋田の住職さん
断崖絶壁だったのですが、囲まれたら逃げ場はない感じでした。
いろいろと戦い方も変わったんでしょうね。
by ノリパ (2010-09-13 00:24)