岸和田城 [城]
2010年11月3日(水)
和泉の国、岸和田城。
だんじりで有名な岸和田。
ココも久しぶり、8年ぶりかな。
前来た時は、周りをグルッと回っただけ。
今日は天守閣まで登るとするか。
岸和田駅から歩いくと到着。
広いお堀に、犬走りのある石垣。
なんかいい。
絵になる。
天守閣が、まったく史実に基づいてなくても許せてしまう。
1585年豊臣秀吉公の家臣小出氏により築かれる。
紀伊の根来・雑賀の平定を終えても、
監視のための拠点として岸和田城を整備させた。
その後、松平氏を経て1640年岡部氏が入城。
岸和田藩6万石を明治維新まで13代にわたり治める。
松平氏、岡部氏時代にも城が拡張されているのは、
どうやら紀伊徳川家の叛意を疑っていたための警備強化らしい。
徳川の世になっても紀伊に対する押さえの城の役目。
お堀沿いにテクテク。
かつての姿とはなったく違うんだよな。
と、知っていても。
なんか似合っている。
でも。
本丸の中に入ってこう見ると。
なんかウソくさい。
遠くから見るのがいいんだな。
天守閣に登り見学。
天守から望む庭。
八陣の庭、という庭園。
解説版を読みながら、コレもありだな、と思ってしまう。
お城好きな方には、賛否両論ある復興天守。
とはいっても、復興させる心意気は素晴らしい。
そんな心意気を感じさせる岸和田城。
それがしは、好きデス。いい所でした。
八陣の庭はどんな意味があるのでしょうか。
by yosi (2010-11-06 08:54)
周囲が市街化してるのが残念ですよね。
岸和田出身の清原さんも登城したことがあるんでしょうか。
by takechan (2010-11-06 16:24)
こんばんは。
雑賀孫一、素晴らしい鉄砲の名手ですよね^^
この岸和田城、確かに遠目の方が良いですね(汗)
by perseus (2010-11-07 01:34)
こちらにも小牧城、墨俣城や岩崎城、そして清洲城と模擬天守があります。まあ街のシンボルという存在ですね。
by 水郷楽人 (2010-11-07 14:25)
本当の天守閣ってどんな感じだったのだろう?
上かから見るあのお庭は
何かの遺跡みたいですね。
by 響 (2010-11-07 21:10)
> yosiさん
諸葛孔明の八陣の法からヒントを得て造ったらしいです。しかも、
昭和28年に、将来天守が復興されたら、上から見て映えるようにと。
なんか心意気を感じられました。
by ノリパ (2010-11-07 22:43)
> takechanさん
やっぱり登城してるんじゃないですかね。市街地となってますけど、
お堀がきれいに残っていて地元に愛されてるって感じですね。
by ノリパ (2010-11-07 22:44)
> perseusさん
それがし雑賀孫一は、山本兼一さんの小説しか読んだことないですね。
でも、確かにカッコ良く書かれてましたね。
by ノリパ (2010-11-07 22:46)
> 水郷楽人さん
それがし、実家が岐阜県なんでよく存じ上げてますよ。戦国の三英傑
が出た地ですからしろんなところにシンボルありますよね。
by ノリパ (2010-11-07 22:47)
> 響さん
今の天守は三層ですが、かつては五層の天守だったらしいです。
かつてはもっと高くて、遠くから映えたんでしょうね。八陣の庭は、
たしかになんかの遺跡みたいですね。
by ノリパ (2010-11-07 22:50)
岸和田城は堀が広いですね。
写真でしか見たことないから見に行かないと。
by たかぼん (2010-11-07 23:53)
模擬天守ながら馴染んでいますね。
石垣と堀と塀が絶妙です。
by ねじまき鳥 (2010-11-10 23:07)
> たかぼんさん
お堀越しに見る復興天守が、なかなか良かったです。
和歌山城の帰りにどうぞ。
by ノリパ (2010-11-14 07:46)
> ねじまき鳥さん
おっしゃるとおりですね。妙に馴染んでました。
by ノリパ (2010-11-14 07:46)