2011年8月28日(日)

 

淡路島の洲本城。

洲本港を望む三熊山頂(標高133m)に

脇坂氏が築城した石垣造りのお城が存在。

 

かつて淡路島は、阿波徳島藩領に属していた。

しかし、城代として置かれた稲田氏の家臣は、

陪臣扱いとなり、蜂須賀直参との関係はイマイチ。

 

明治維新の後に争いが起こる。

結果、淡路島は徳島県でなく兵庫県に属することとなる。

来る前に見た徳島城博物館に、その歴史が書いてあった。

とっても、勉強になりました。

そんなこんなで、ココは淡路島の洲本、兵庫県洲本市。

 

海岸線から一気に山肌がそそり立っている三熊山。

三熊山ハイウエイを一気にバイクで上ると、洲本城の石垣が出現。

山の上一帯が石垣で覆われている感じで、規模の大きさにビックリ。

 

 

 

 

ここもまた荒々しい石垣。

秀吉公子飼い、賤ヶ岳七本槍の一人、脇坂氏が

造ったというからには、相当古い時代の石垣なんだろうな。

キョロキョロ見ながら歩く。でかい石垣に石段、おじいさんとの対比。

 

 

それがしも、高い石段をエッチラと登る。

大きな石垣が来るものを拒む雰囲気。

エイヤ、と登りきったら、絶景が待っていた。

 

 

 

その前に。 

模擬の天守が見えてきた。

昭和3年、昭和天皇御大典記念に建造。

模擬でも青空に映える、なんかワクワクしてきた。

 

あれっ。

ロープが張ってある。

どうやら立ち入り禁止らしい。

おーっと、アレの上にに登りたかったス・・・

 

 

 

模擬天守の膝元から見る洲本港。

思わず。 息を呑む。 素晴らしい絶景。

遠く紀淡海峡から大阪湾岸を見渡せる。

そう。 波に漂う怪しい小船も見逃さないデス。

言わば、秀吉公肝入りの海上見張り番のお城。

 

 

 

世界のヒデヨシのため、朝鮮遠征をしたあと、

チャッカリ者の脇坂氏は新たな石垣造りの技術を持ち帰る。

 

それが、大陸仕込みの築城術 『登り石垣』。

彦根城、松山城、ココ、日本に3ヶ所だけ存在と言われる。

万里の長城のような建造物、山麓から山上まで石垣が登っている。

それがしは、彦根城・松山城と見て来たので、ココにも探しに来ました。

 

 

がさ藪の中を探す。

道なき道を歩くのは本意でないんですが、仕方がない。

 

なんとか見つけた西の登り石垣。

斜面の上から見た図。足元が怖いっス。

 

 

横まで来て見る。

登ってるけど、崩落している。

 

 

うーん。

他の2城とは、遺構の保存状態が違う。

コレは言われて見てみないと、それとは分からない。

 

 

さらに藪の中をクモの巣と格闘。

東の登り石垣を探す。斜面を登り降りすること30分。

がさ藪の中に隠れているいろんな石垣を見ました。

このお城は、山上を石垣が取り囲む素晴らしい遺構。

 

しかーし。

東の登り石垣は発見できず。ホントに残念。。。

 

 

 

 

豊臣時代の海軍の拠点。

知る人ぞ知る絶景の海上要塞。

登り石垣は消化不良でしたけど。

とっても気持ちのいいお城でした。

ここには、もう一回リベンジに来るぞ。

がさ藪が枯れた冬だな、と心に刻みこんだ次第。