2012年2月12日(日)

 

神奈川県小田原市、

相模の国 小田原城。

 

室町時代から戦国にかけて、関東が準独立国であった頃。

北条早雲という伊勢出身の流れ者が、伊豆を領国とした後に、

小田原城を攻略、この小田原城に本拠を移し、関東の覇者となる。

なんて、下克上の象徴と教えられた覚えがあったんですが、

本当は足利将軍の側近伊勢氏の一族で、将軍秘書官のような人だったらしい。

足利幕府のエリート官僚だったんだ。。。

 

武田信玄や上杉謙信を撃退した天下の堅城だったが、

豊臣秀吉公の小田原攻めによって取り囲まれ、落城の憂き目にあう。

そのときの小田原城と、現在見られる小田原城は、どうやら別物。

 

北条氏の後、関東の覇者として江戸に入った徳川家康公にとって、

関東の入り口である小田原は重要な地。そのため譜代の重臣が封じられた。

大久保氏、幕府直轄、稲葉氏と来て、また大久保氏が返り咲き、幕末まで続く。

稲葉氏時代に幕府のテコ入れにより大規模普請が行われ、

今見られるような形の近世平山城としての小田原城が誕生。

 

 

それがし10年以上前に来て以来ひさしぶり。

明日が御用なので、その前にスーツ・革靴にて登城。

 

 

小田原駅からテクテク歩いてお堀にたどり着く。

お堀にかかる赤い橋を渡りたくなる衝動を抑え、

もうちょっと歩き、平成21年に復元された馬出門へ。

 

 

馬出門から今来た方向を見てみると、

隅櫓とさっき思わず渡りそうになった赤い橋。

 

 

馬出門から馬屋曲輪へ入ると、大量の観光客。

すぐそこが観光バス専用の駐車場だからな。

やっぱり、ココ小田原城は人気の観光スポット。

 

馬屋曲輪から見る銅門方面。

前来た時は、これができたばかりの時。

どうやら平成9年復元らしい。

いろいろあったな、と自分の来し方に思いを馳せる。

 

 

広ーい枡形虎口に大きな銅門。

こんなんだったんだ、忘れてました。

ものすごいきれいでびっくりっス。

こんな立派な復元はどんどんやって欲しい。

 

 

銅門(あかがねもん)の名前の由来となった銅板。

風化によってくすんでいるけど、たしかに赤黒いつやのある色。

 

 

 

空堀を渡り、坂を上っていくと常盤木門。

ここにも大きな空間。

おお、この雰囲気、気持ちいいーっ。

思いっきり深呼吸。

思わず空を見上げると、

とんでもなく大きな松が天に伸びている。

 

常盤木門から本丸へ入る。

本丸には大きな松が沢山あるけど、

先ほど見た巨松を探し、後ろからガン見。

こんな大きな松は今まで見たことない。

それにしても、松なのに、でかすぎ。。。

 

 

 

人が多い本丸をウロウロしていると。

おっと、大きな松越しに天守閣が見えてきた。

 

 

江戸時代に作られた雛型や引き図を基に復興された天守閣。

3重4階の天守に付櫓、渡櫓を付けている、とのこと。

いやーホントに、青空に映えるなぁ。

素晴らしい美しい、思わずうっとり。。。

やはりお城には人を惹き付ける力がある、と観光客の皆様を見ながら実感。

 

 

 

天守閣入り口にて、100名城スタンプをゲット。

いろんな展示物を見て勉強しながら上へ。

最上階は外に出て景色を見られるよう廻縁がある。

あちらは石垣山一夜城方向。

見に行きたかった・・・ いつか行こう。

 

 

風が強くてちょっと寒かったけど、

天気がいいので素晴らしい眺望。

 

 

天守閣を堪能して殿さま気分を存分に味わう。

下りてきて見上げると、青空を切り取るギザギザ。

やっぱりカッコいいなぁ。

 

 

空堀を見ながら報徳二宮神社へ。

二宮尊徳って、小田原の人だったんだ。

知らなかったデス。

神社でお参りして、お堀沿いを駅へと戻る。

 

 

かつて関東の覇者の居城。

何度もの実戦をくぐり抜けた堅城。

東海道の要所に立ち、関東の入口を守る。

風格ある巨松から、歴史を感じることができる。

とっても素晴らしいお城。

今度はゆっくりと見に来よう、と思いました。