2013年12月8日(日)

 

岐阜県中津川市、苗木城。

 

わずか1万石なのに城持ち大名だなんて、なんとも希少な存在。

さすが東濃の名門、 遠山氏。  遠山の金さんとは親戚らしい。

 

南北朝時代、岩村城主 遠山氏の一族が苗木に城を築く。

戦国時代には苗木を含む東美濃全域が、織田信長公と武田信玄による

争奪の舞台となり、遠山氏の本城 岩村城は開城の憂き目にあう。

その中で苗木城は織田信長公と結んで城を守る。

しかし信長公死後、豊臣秀吉公でなく徳川家康公に従ったため城を追われてしまう。

 

1600年の関ヶ原の戦いに先立ち、家康公に東美濃奪回を命ぜられ

苗木城を取り戻した遠山氏。

その功績で1万石を与えられ、国替えなく12代にわたりこの地を治める。

 

とかいう歴史を、麓にある苗木遠山史料館にてお勉強。

それがし福岡市民になって10年、いろいろ転々としたけど。

今は名古屋に単身赴任中なんス、でも実家は岐阜県。

特にココ、中津川はいろんなご縁がありまして、本日は父上と参上した次第。

 

 

遠山史料館に父上を残し、それがし一人で登城。

巨石・巨岩や石垣に目移りしながら登ると、大矢倉の足元にたどり着く。

岩村城のようにデカイ岩と一体化した石垣、これはすごいやっ。

 

 

そこら中にゴロゴロと、重量感・存在感のある巨石・巨岩。

巨石を抱きかかえるように。巨岩には寄り添うように。

なんともすごいや、この石垣たち。

あまり期待してなかったのですが。 意外や意外、一見の価値あるお城ス。

 

 

 

どえらい山の上だな、と登って上を見ると

巨岩の上に、アスレチックのような木組みを発見。

かつて岩盤の上にあったらしい三重の天守。

どうやら、それを模した展望台になっている様子。 

 

 

ようっし、登ろうっと、気合を入れたけど。

巨岩に取り付くことなく、取り巻いている階段を上がったら、あっさり着いた。

振り向くと眼下には、先ほど見た大矢倉の石垣。

 

 

 

 

 

中山道と飛騨路の交差する要衝、苗木。

それを見下ろす苗木城の標高は、なんと426m。

苗木城のある高森山は、木曽川からの標高差は約170m。

 

となれば、その高さからみる景色は。

絶景っ、に決まってマス。

見晴らしサイコーの展望台でしタ。

 

 

 

麓に戻り父上と合流した後は、苗木藩のウンチクを拝聴。

さすが地元だけあって、本にも載ってない貴重な話が聞けましタ。

 

木曽川を挟んだ苗木藩と尾張藩の確執やら、

苗木は水晶や花崗岩の産地、鉱物資源が豊富などなど。

わずか1万石なのに城持ち大名だった理由が分かったス。

 

 

眼下には大地を切り裂く木曽川。

急峻な岩山を取り巻くような石垣。

巨石巨岩と一体化したその姿は一見の価値アリでしタ。