2012年3月11日(日)

 

静岡県三島市にある山中城。

三島駅からバスに乗ること約30分。

かつての東海道、今の国道1号線を通せんぼするように造られている。

それもそのはず、関東の覇者北条氏が、小田原城を守る

西方の防衛ラインとして1558~1570年ごろに築城されたらしい。

 

案内図を見ると、1時間コースと2時間コースがある。

こういう山城は、基本走って回るので2時間コースを選択。

おっと、その前に売店にて100名城スタンプをゲット。

 

 

三の丸堀のきれいなVラインを横目に見る。

ゆっくりもしていられないので、上へと急ぐ。

 

きれいに公園化され整備されて分かりやすい。

でも、ツルツルすべるのはなぜだろう。

芝生でないところで滑る滑る、登りにくかったス。

 

どんどん登って西ノ丸へ到着。

 

トレッキングか何かのお年より軍団(バス6台)

がいたので、いなくなるまで景色を見ながらぼうっとする。

天気がイマイチだったけど、いい眺望。

でも富士山が隠れていたのが残念。

 

 

おおっ。

畝掘っていうのか、障子堀っていうのか。

こんなの見たことない、すごいっス。

 

 

おおっ、すごいっス!

やっと見にきたよ障子堀!

さっきもあちらから見たけど、こちら西櫓から見た障子堀。

これが見たかったんですよね。見られてとってもうれしいデス。

まさにワッフルのような造形美。北条氏の築城技術はすごいな。

 

 

 

1590年3月29日、山中城は豊臣秀吉の北条攻めの軍勢を引き受け落城。

7万とも3万ともいわれる豊臣軍を4千で防衛したが、半日で落城したと伝わる。 

 

山中城の攻防戦といえば、司馬遼太郎先生の『功名が辻』。

春日遅々の章の後ろ部分が山中城が舞台。 以下抜粋。。。

 

 

「ごめん」

  といって石垣にとりつき、どんどんのぼりはじめた。

  ついに塀にとりつき、塀のふちに両手をかけ、ぐっと身を持ち上げ、半身、むこうがわへ

  突き入れたとき、どっと城兵が駆けてきてなかの一人が大薙刀をふるい、

ばさっ

  と腰を車切りに両断してしまった。両手はなお塀のてっぺんをつかんでいる。

  胴から下だけが、下へと落ちた。

「あれをみよ」

  観戦している秀吉でさえ、眼をそむけた。

(男なのだ)

  真下にいる伊右衛門はおもった。

(男は所詮、功名の化物のようなものだ。その執念が、塀にぶらさがっている)

「よじろっ」

  伊右衛門も、いっぴきの鬼になった。

  功名が、城の上にある。

 

 

まさに『功名が辻』の題名にふさわしい場面が、この山中城。

だけど、とりついた石垣というのはないんですけど・・・ 土造りの巨大城郭。

 

それにしても、このワッフルはいいな。

ココでしか見られない限定品、サイコー。

 

 

あんまり整備されていない畝堀たちを見ながら駆け足で。

北ノ丸、本丸を見て二ノ丸を突っ切って下る。

 

 

 

国道1号をわたり、岱崎出丸へ。

広ーい芝生が気持ちよさげな公園の趣き。

先ほどのお年寄りバス6台分がお弁当を食べている。

なので写真は割愛。

 

その岱崎出丸下の一ノ堀。

これは高くて登れない。

ここが功名が辻の舞台のような気がしてきた、そう思っておこう。

 

 

箱根旧街道を少し歩きバス停へ向かう。

と、ちょうどココまでで約1時間くらい。いい運動になりました。

 

 

北条流築城法が至るところに見られる。

特に、ワッフルのような障子堀は山中城限定品。

本当に素晴らしかった。

もっと天気のいい日にゆっくりと散歩に来たいな。

絶対にまた来るぞ、と思った次第。