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麻田陣屋 [城]

 

2011年12月3日(土)

 

摂津の国、麻田陣屋。

大阪府豊中市、阪急蛍池駅すぐ。

 

1615年、豊臣家旧臣の青木一重が、

大阪夏の陣後に徳川家康公に仕えることに。

かつて徳川の家来だったから元に戻ったらしい。

1万石を与えられ、麻田に陣屋を築き、明治まで続く。

 

今日は、伊丹空港まで行く野暮用がある。

阪急からモノレールに乗り換えるので、

乗り換え駅の蛍池駅で降りてちょっと探すことに。

 

駅前の大きなショッピングモールの裏、

今は公民館みたいな建物の前に碑だけが残る。

アサダジンヤノヒ.jpg

 

麻田藩陣屋とは、の説明書き。

アサダジンヤ.jpg

 

青木氏がどんな大名はか知らないけど、

明治までずっと続いたというのはすごいことだな。

 

それにしても、こんなところにも陣屋があったんだ。

誰も知らないだろうな。それがしも城と陣屋の本を読んでなければ、

来なかっただろうな、と思いながら伊丹空港へ向かった次第。

 

 

 

 

 


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再訪 : 二条城 [城]

 

2011年11月23日(水)

 

紅葉を見に来た帰りしな二条城へ寄る。

去年の夏来た時は暑かったけど、今はとっても寒い。

 

1603年徳川家康公が京都御所の守護と、

将軍上洛時の宿泊所として造営され1626年に完成。

将軍宣下も大政奉還もココ二条城で行われた、

江戸時代の最初と最後が演じられた歴史の舞台。

 

 

外人さんと学生服姿の修学旅行生が多い。

豪華絢爛な唐門を見ながら写真撮ってると、

ゴージャス、って外人さんが言ってました。

ニジョウジョウ.jpg

 

 

ホントはもっと色鮮やかなのに。

なんかデジカメの調子が今一つかも。

そういえば、今日も1回落としたらからな。

菊の御門を見ながら、唐門をくぐる。

キクノゴモン.jpg

 

 

歴史の舞台、二の丸御殿へ。

ヒトオオイ.jpg

 

めっちゃ沢山人がいて、そのあとをそぞろ歩き。

内部は撮影禁止なんで写真はないっス。

格天井、折上格天井、二重折上格天井を堪能。

狩野派の襖絵も見られたし、眼福でした。

 

 

 

二の丸御殿の外に出てお散歩。

ココは京都だからな、紅葉ないかなと探す。

とはいっても、二の丸庭園は緑色ばかり。

ニノマルテイエン.jpg

 

 

本丸へ行き、天守台へ登る。

天守台から見る雁木(石の階段)。

二条城本丸の雁木は立派デス。

紅葉はえんじ色がパラパラ見えるくらいス。

テンシュダイカラミルガンギ.jpg

 

ニジョウジョウホンマル1.jpg

 

 

かつては五重の天守閣がそびえた天守台。

上に人がいるから大きさがよくわかる。

ニジョウジョウテンシュダイ.jpg

 

 

紅葉スポットではないんだろうな、と思いながらも。

お城好きのそれがしには大好きな場所デス。

また来るんだろうな、と思いながら京都を後にした次第。

 

 

 

 

 


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尼崎城 [城]

 

2011年11月13日(日)

 

摂津の国、尼崎城。

近畿と西国を結ぶ拠点の港湾都市として栄えた尼崎。

 

大阪の陣後は、大坂城の西の守りを固める重要な地。

1617年近江膳所から戸田氏が5万石にて尼崎藩主へ。

幕府から尼崎城の築城を命ぜられ、城郭築城が行われる。

かつての尼崎城跡を本丸に取り込み、二の丸、松の丸、三の丸などが

渦巻状になる縄張りで、四重の天守閣がそびえたっていたらしい。

 

同時期に築城された明石城に天守閣がなかったのに比べると、

天守閣があるというのは、相当に重きをおかれた地なんだろうな。

 

 

今は何も残っていない。

明治になって暴風雨の被害を受けた尼崎港の

防波堤修繕に石垣を流用され、周りも開発で遺構は消滅。 

 

川沿いの図書館隣に、石垣風の塀が造られている。

かつての遺構でも何でもないけど、

ココがお城だというコトが忘れられてないっス。いいことだ。

アマガサキ.jpg

 

 

周りをウロウロと散策するも、

あとは小学校脇に石碑が建っているくらい。

アマガサキジョウアト.jpg

 

 

その後、松平氏が4万石にて7代続き明治を迎える。

 

譜代が代々入った重要な地。

大坂城の西の守りの四重天守閣。

今となっては、都市開発され、その痕跡は見つけられない。

近代化の歴史の中で消えていったお城の一つでした。。。

 

 

 

 

 


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高遠城(日本100名城) [城]

 

2011年10月1日(土)

 

長野県伊那市高遠町、高遠城。

タカトオコヒガンザクラで有名な桜の名所。

 

高遠城の築城時期は定かではない。

しかし、城郭としての体裁を造ったのは武田信玄。

江戸時代には譜代大名が入り、

1691年以降は内藤氏の居城となり明治に至る。

  

 

大手門と伝わる門を発見。

それにしても、思い切り傾いている。

ナナメすぎる。

タカトオオオテモン.jpg

 

 

山本勘助が縄張りしたという勘助曲輪をウロウロ。

今は駐車場となっている。車1台もなかったけど。

 

 

勘助曲輪から城内へ突入。

深い空堀がそこら中にある。

タカトオホリ1.jpg 

 

 

方向感がなくなり、ウロウロとさまよう。

どうやら本丸へ向かってた様子。

 

桜雲橋って言うんだ。

桜の季節はこの橋からの眺望はすごいんだろな。

濃いピンクのタカトオコヒガンザクラをいつか見たい。

ホンマルヘ.jpg

 

 

そういえば、本丸で見つけた太鼓櫓。

1913年、大正になってから建てられたもの。

新しいけど、雰囲気あるなぁ。

タイコヤグラ.jpg

 

橋の上から見ても空堀が深い。

いろいろある曲輪ごとに、幅・深さを十分に

備えた堀・土塁がめぐらされている。

ひとつひとつの曲輪が独立している。スゴイっス。

タカトオホリ2.jpg

 

 

どうやら武田氏城郭の典型的なパターンらしい。

三峰川と藤沢川の合流点を見下ろす段丘上。

川を見下ろす断崖を背に、本丸、二の丸、三の丸。

いろんな曲輪がスケール大きな空堀で区切られている。

 

 

有名な高遠城の戦い。

1582年、3万とも5万ともいわれる

織田軍が、信濃を落とすために高遠城を包囲。

3,000の兵で戦うも1日で玉砕。

凄絶な散り方をした仁科盛信の姿は

歴史小説でよく話題として出てくる。

 

この高遠城の戦い前夜からが、

池波正太郎先生の真田太平記の始まり。

『明日、お前、死ぬる身じゃな』

と、お江が向井左平次にささやく一文から

長ーい物語は始まる。

また読み直しているところデス。

 

 

向井佐平次は、どこにいたんだろうな。

ココが法憧院曲輪か。

物語の最初はココからだよな。

あそこからお江はでてきたのかな。

と、物語を思い浮かべながらウロウロ。

 

 

向こうが法憧院曲輪。

意外と狭い曲輪にビックリしました。

広いと思っていたんですが、こんなもんなんだ。

アッチガホウドウインクルワ.jpg

 

 

法憧院曲輪と南曲輪を分かつ空堀。

そこにかかる白兎橋。曲輪ごとが独立している。

タカトオホリ3.jpg

 

 

非常に面白かった。

お城にからむ歴史小説を思い出しながら

ウロウロするのが好きなそれがしですが。

ココは、真田太平記の始まりの地。

いろんな想像・妄想が膨ませながら散策。

とっても楽しかったデス。また来よう。

 

 

 

 

 


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松本城(日本100名城、国宝) [城]

 

2011年10月1日(土)

 

長野県松本市、松本城。

現存12天守閣の中で国宝は4つ。

松本城もその一つ。

ナショナル・トレジャー、国宝。

 

黒い下見板張の五重六階層塔型天守。

月見櫓が工事中・・・ 残念デス。

マツモトジョウ0.jpg 

 

 

10年ぶりに来た。

前来たときは、チビが1人だけだったけど、

あっという間にチビが3人だもんな。時が経つのは早い。

 

月見櫓が工事中なのが残念だけど。

この間寄れなかったから、来られただけでいいや。

 

 

 

市役所の駐車場へバイクを停め、太鼓門から入城。

前来た時は復元したてでピカピカだったけど、

10年経つと木の色合いに風格が出てくるもんだ。

タイコモン.jpg

 

タイコモンイイカンジ.jpg

 

 

天守へは向かわず、

まずは、お堀越しに天守を見学。

左から、乾小天守、大天守、辰巳付櫓。

白いカバーに覆われた月見櫓。 

堀が浅く、石垣が6mと低いので、

そびえる、というよりもたたずむ、って感じかな。

水際にたたずむ黒い姿を見てうっとり。

マツモトジョウテンシュ.jpg

 

 

松本城の本格築城は、1590年に石川数正が入城してから。

家康公の筆頭家老から、小牧長久手の戦いのあと、秀吉公へと寝返る。

徳川家の軍事・政事のいっさいの秘密が、秀吉公へ筒抜けになることに。

 

でも、家康公の下を離れてしまえば大した利用価値もないらしく、

それほど厚遇されずに、松本8万石にとどまる。

家康公の下にいた井伊、榊原、本多のもらった領地に比べると確かにそうかも。

しかも、子の康長の時代に改易されてしまった。

その後は、譜代大名が入れ替わり入り、明治を迎える。

 

 

うっとりしながら天守閣を見ていると。

掃除している人を発見。

この姿を維持するための努力かな。

気をつけて、落ちないでくださいね。

オチナイデネ.jpg

 

 

 

黒門から本丸へ。

管理事務所入り口にて100名城スタンプをゲット。

 

よし、目的も果たした。

松本城内部へ潜入するぞっ。

クロイスガタ.jpg

 

 

重なり合う軒。

黒い板に白、似合うなぁ。

これで青空だったら良かったのに・・・

恨めしい天気。

カサナリアウノキ.jpg

 

 

木造天守内部へ突入。

今の季節なんで寒くないけど、

冬は板張りだから寒いんだろうな。

木の質感に圧倒されながら、

順路の矢印に従って進んでいく。

テンシュナイブ.jpg

 

 

天守内部から見た景色。

当然のごとく、観光客は多かったっス。

天守内部では、日本語に混じって、

違う言葉を話す人も沢山いた。

テンシュカラノゾム.jpg

 

 

こちらは乾小天守方向。

テンシュカラノゾム1.jpg

 

 

あの小島が馬出だな。

上から見ると良く分かりマス。

ウマダシ.jpg

 

 

 

本丸から外に出て、

またお堀越しにグルリと歩き天守を眺める。

やっぱりいいっ、美しいお城だ。

 

 

 

漆黒の下見板張の天守群。

バランスの取れた美しい天守閣。

これぞ、ニッポンのお城。 

 

天気のいい、風のない日にまた来て見たいな。

青空をバックに、水面に映るクロの天守。

想像するだけでもワクワクしてくる。

 

また絶対に再訪するぞ、と心に誓った次第デス。

 

 

 

 

 


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小諸城(日本100名城) [城]

 

2011年9月17日(土)

 

長野県小諸市、小諸城。

小諸なる古城のほとり、の島崎藤村の詩で

有名な場所。どんな詩かよくは知りませんが。

 

現在の縄張りは1554年に武田信玄が領有してから。

1590年豊臣大名仙石氏が入城し、今に見られる石垣や

三重の天守を築いた。その後は譜代大名が入ったお城。

 

 

ちょっと離れたところに大手門。

線路の向こう側が小諸城なんで、

なんか違和感あるなぁ。

コモロジョウオオテモン.jpg

 

 

それがしはバイクなんで、

グルリと回り線路の向こう側へ。

 

三の門から入城。

あれっ、下に降っている。

大手門の位置もよく考えたら上のほうだな。

コモロジョウサンノモン.jpg

 

本丸が城下町より低い位置にある。

これが、穴城と呼ばれる訳だ。珍しいな。

 

入り口で100名城スタンプを押す。

このスタンプのためにこんなに回ってるけど。

いつ終わるんだろう。。。

 

 

ウロウロと古い石垣を見ながら

大きな空堀を渡り本丸へ突入。

コモロカラボリ.jpg

 

千曲川沿いの河岸段丘上に築かれた城には、

群郭式と呼ばれる広大な曲輪が複数設けられたものが多い。

小諸城も侵食によってえぐられた谷を

人によってさらに手を加え大きな空堀にしたらしい。

自然と人間のコラボなんだ。

 

 

苔むした古風な石垣。

うん、これぞ古城の趣きかな。

コケムスイシガキ.jpg

 

 

そのまま苔むした石垣を見ながら歩く。

雨上がりっていうのもあるけど、苔の緑が目にしみる。

おっと、天守台の石垣が見えてきた。古風だなぁ。

コモロジョウテンシュダイ.jpg

 

あまり高くないようにみえたけど。

後で天守台に登り、端から下を見る。

ヒエーッ、意外と高くて怖かったス。

テンシュダイウエカラ.jpg

 

 

 

それにしても、すごい断崖絶壁。

どこまでが自然の侵食で、どこからが人の手によるのか。

そこらじゅうこんな切り立った崖だらけでビックリ。

ダンガイゼッペキ.jpg

 

 

眼下に千曲川を望むポイント。

ココがお城の端っこ。

ココまで降ってきている不思議なお城。

チクマガワヲノゾム.jpg

 

 

侵食された谷の間に造られた。

自然と人の手の絶妙なコラボレーション。

 

お城というと。

登城と言うように、登るのが普通ですが。

小諸城では、降って行くのが登城でした。

なんとも不思議な感覚。

『古城』という言葉が似合ういいお城でした。

 

 

 

 


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上田城(日本100名城) [城]

 

2011年9月17日(土)

 

長野県上田市。

徳川軍を2度撃退した真田の名城、上田城。

 

1583年尼ケ淵に面する要害の地に

真田昌幸の巧みな縄張りによって築城。

今は駐車場になってる尼ケ淵から見上げると。

断崖絶壁の上に南櫓が睥睨するように建っている。

ウエダジョウ1.jpg

 

 

築城の2年後1585年。

早速、上田城は試練にさらされる。

徳川側に付いていた真田氏が、

上杉側に鞍替えしたことにより、徳川軍の猛攻を受ける。

 

前年の小牧長久手の戦いにて、

その強さが天下にとどろく徳川軍を、

昌幸は周到な作戦と上田城を利用して撃退。

天下にその武名と上田城を知らしめた。

 

 

右の方へ坂を上り、けやき並木遊歩道を歩く。

お堀の底を歩いている。かつては水堀だったみたい。

まっすぐに続く気持ちい散歩道、それにしても妙に高いな。

カラボリヲアルク.jpg

 

 

左側が城内。

高いと思っていたら、

登ると、土塁になっていた。

ドルイノウエニ.jpg

 

 

 

博物館にて100名城スタンプを押し、

本丸方向へ深いお堀沿いを歩く。

本丸土塁の北東側屈曲部、鬼門除けの隅欠き。

と、持っている本に載ってるけど、よく分からなかったス。

スミカキノドルイ.jpg

 

 

さあ、本丸へ。

さっき見た南櫓が左、右が北櫓。

真ん中は、復元された東虎口櫓門。

ヒガシコグチヤグラモン.jpg

 

 

真田石を横目に見ながら入城。

サナダイシ.jpg

 

 

 

1600年関が原の戦いへ向かう徳川軍3万8,000名を

真田昌幸・真田幸村父子が、2,000名で上田城で撃退。

そのため、徳川秀忠は関が原の戦いに遅れることになった。

2度も徳川軍を撃退。寡兵で大軍に勝つ、すごいなぁ。

幸村の兄・信之は徳川方に味方し、真田の家は残ることに。 

 

有名な話だけど、ココがその舞台か、と感慨深くウロウロ見学。

松代城もそうだったけど、上田城も観光客の人がめっちゃ多い。

 

 

 

沢山の人がいる真田神社でお参り。

奥の西櫓を見に行く途中、真田井戸。

どうやら抜け穴になっているらしい。

大阪にも真田の抜け穴あったけど、抜け穴好きだな。

サナダイド.jpg

 

 

お参りをしたあとは。

本丸の土塁の上をグルリと回る。

土塁上から下を覗き込む、高くて怖い。

下からお堀を越えて、登っては来れないなぁ。

タカイオホリ.jpg

 

 

西櫓を城内から眺める。

こう見ると普通の櫓なんだけどな。

ニシヤグラ.jpg

 

 

西櫓の横から尼ケ淵に降りて。

こう見ると存在感ありまくりデス。 

尼ケ淵から見上げると、断崖の上に西櫓。

ニシヤグラシタカラ.jpg

 

 

 

実は。

現存する三棟の櫓が

真田氏時代のものではなく、

その後のものであるなんてことや、

石垣も水堀もそうなんだ、

なんてことはどうでもいいや。

 

40年くらいしか在城期間がないけど。

上田城はやはり真田のお城っス、と勝手に納得。

 

 

遺構を見て、何を思い浮かべるかは

それがしの好きにさせてもらいませう。 

 

それがしのような真田ファンには堪らない。

想像が膨らむ、とってもいいお城でした。また来よう。

 

 

 

 

 


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松代城(日本100名城) [城]

 

2011年9月17日(土)

 

長野県長野市。

信濃の国、松代城。

 

前の名前は海津城と言われ、

武田信玄が上杉に対する守りの拠点として

本格築城され、川中島の戦いの際の武田の本拠。

 

千曲川を背にして築かれ、幅の広い外堀も

千曲川旧河川道を利用していたと考えられる。

平地にありながら要害性の強い場所だったらしい。

 

武田氏の後、城主が何回か交代。

1622年真田氏が上田より移封されてくる。

以後、真田氏10万石の居城。真田の城下町。

 

 

長野ICに近い方、

北の駐車場にバイクを置き歩く。

北側入口から入城。

あれっ、これは正面じゃなく裏口だったかも。 

 

いきなり現れたのは。

本丸戌亥隅櫓台の古い石垣。

天守台のようだけど、櫓台らしい。

幕府に遠慮して天守は建てなかったのかな。

マツシロジョウ1.jpg

 

 

土塁沿いにグルリと回り、正面へ。

太鼓門と太鼓門前橋。平成16年の復元。

写真には写ってないけど、結構人が多い。

お城というよりも、真田ファンなんだろうな。

若い女性のグループも何組かいらっしゃたし。

マツシロジョウ2.jpg 

 

 

さきほど見た櫓台に登る。

たしかに平地にあるな。

10万石の居城としては小ぶりっス。

マツシロジョウ3.jpg

 

 

こちら側は土塁になっている。

緩やかな弧が、反対側の石垣と対照的。

マツシロジョウ4.jpg

 

 

本丸から外へ。

二の丸から見た本丸。

三方をお堀に囲まれている。

マツシロジョウ.jpg

 

 

100名城スタンプを無事ゲット。

南側入口から出て、城下町を散策。

真田邸と真田宝物館を堪能しました。

 

 

 

池波正太郎先生の真田太平記では。

物語の最後、上田城を出て、松代城へ向かう。

 

『信濃の山々には新雪が下りていたけれども、

 空は一片の雲もなく晴れわたり、午後の日ざしが

 川中島の盆地へ、おだやかにみちわたっている。

 真田伊豆守の行列は、保基谷・高遠の山脈に

 抱き込まれたかのような松代の城下町へ、

 しずかにすすんで行った。』  で長い物語が完結。

 

真田氏の新しい時代が始まった土地。

町の至る所に六文銭を見ることができた。

昔も今も真田な所。

真田ファンなんで、楽しんで見て回りました。

 

 

 

 


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春日山城(日本100名城) [城]

 

2011年9月17日(土)

 

新潟県上越市。

権謀めぐらした戦国時代において。

いちずに『義』を貫いた、上杉謙信公。

その謙信公の居城、巨大山城、春日山城。

 

南北朝時代からあった小さなお城を

上杉謙信公が大規模に整備、1573年ほぼ完成。

独立峰に近い鉢ケ峰という山全体に、

大小多数の曲輪を設け、大きな堀切を入れ防御。

山全体をお城にして、その山を守るように麓に堀を造る。

遺構が2キロ四方にあってとにかく広い、と書いてあった。

 

 

バイクで上まで登り、

春日山神社のところで案内図を見る。

さすが巨大山城、なんともでかいっス。

カスガヤマジョウエズ.jpg

 

 

うーん、どうしよ。

山の上の方を見ると。

歩いている人たちがいる。

 

雨がパラパラと降ってるし。

カッパ脱いで登ってもしんどそうだし。

この大きな山城を全部見られる自信ないな。

と、いろいろ考えたのち、上に登るのは断念。

 

 

また絶対登りに来ますから。

ズルしてホントにごめんなさいね。

 

あれっ?

そんなそれがしの姿を

誰かに見られているような・・・

ダレダ.jpg

 

 

おおっと。

眼光鋭い謙信公。

そんなに見下さないでくださいよぅ。

ケンシンコウ.jpg

 

また来ますから。

今回ばかりは。

何卒お許しくださいな。

と、逃げるように山を降りる。

 

 

麓の春日山城跡ものがたり館にて

100名城スタンプを無事押すことができた。

展示物を見ながら、ココは再訪するぞっ、と心に誓う。

 

 

外に出て。

復元された監物堀。

山城を守る総構の水堀。

ケンモツボリ.jpg

 

 

この監物堀の広場に春日山城の模型があった。

じーっと見たけど。見れば見るほど大きい山デス。

やっぱり、また来るぞっ。今日はコレでおしまいにしよっ。

 

 

 

越後の武神、上杉謙信公のお城。

『義』を貫いた、芯の通ったカッコいい生き様。

そう、何か絶対に忘れちゃいけないものがある。

今を生きるそれがしの魂までも揺さぶってくるっス。

 

 

おっと。

完全登城してないので、何も言えないっ。

また来ます。はい、絶対に。

 

それがしとしては。

不完全燃焼のお城でしタ。。。

 

 

 

 

 


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高田城 [城]

 

2011年9月17日(土)

 

新潟県上越市。 

越後の国、高田城。

 

1610年徳川家康公に越後・信濃60万石を

与えられた六男松平忠輝が、高田城築城に着手。

奥羽・甲信越・加賀の13の大名家が普請を命ぜられ、

義父の伊達正宗が宰領監督して造られた北陸路抑えの城。

 

完成すれば、名古屋城クラスのものになったらしい。

しかし、忠輝が改易され伊勢に配流となると、計画は縮小。

この後の高田城は、譜代大名が左遷される地になったらしい。

 

 

朝8:00、雨の高田城。

天守代用の本丸三重櫓が復元されている。

黒い姿がカッコいい。晴れていたらよかったのに・・・ 

アメノタカダジョウ0800.jpg

 

 

大きなお堀が残っている。

極楽橋とか言う橋を渡り本丸へ。

タカダジョウオホリ.jpg

 

 

かつての高田城の姿。

石垣はなく、土塁だらけ。

巨大な土塁が周りを囲む。

すごい土木工事だったんだろうな。

タカダジョウエズ.jpg

 

 

ゴツゴツしてるかと思ったら。

近くで見ると、華麗な感じがする。

まだ朝早いので、中には入れない。

小さいけれど、なんかこの黒、主張している。

クロイタカダジョウ.jpg

 

 

 

巨大土塁の上に黒の三重櫓。

どうもアンバランスのような気がする。

 

でも。

なぜか黒が妙に気になってしょうがない。

忘れられない。とっても、印象的なお城でした。。。

 

 

 

 

 


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富山城 [城]

 

2011年9月16日(金)

 

富山城。

越中の国、富山県富山市。

加賀藩の支藩、前田氏10万石の居城。

 

1560年以前に神保氏が在城。

1581年に佐々成政が入城し、近代的なお城にしたと伝わる。

 

お堀や石垣は昔のものだけど。

かつての姿とはまったく関係ない

昭和29年築の3層の模擬天守がご鎮座。

犬山城や彦根城を参考に設計されたらしい。

こうやって見ると、模擬だけど絵になる。

トヤマジョウ1.jpg

 

 

郷土博物館となっているけど、

展示物入れ替えのため9/16まで休館。

結局、周りをウロウロするだけだったっス。

うーん、まだ時間あるから見たかったな。

トヤマジョウ.jpg

 

キョウドハクブツカン.jpg

 

 

富山と言えば薬売り。

二代目藩主が江戸城で急病になった大名に

手持ちの反魂丹を飲ませたところ、たちどころに回復。

とっさのこととはいえ、そのあとの宣伝が上手だったんだろうな。

殿様による特産品のトップセールスの成功例。まさに殿様商売。

 

訳分からないこと考えながら、お城をあとにした次第デス。。。

 

 

 

 

 


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高岡城(日本100名城) [城]

 

2011年9月16日(金)

 

越中の国。

富山県高岡市、高岡城。

 

前田利家の嫡子・利長は、

最初富山城に隠居するも、火災により焼失。

1609年新たに高岡の地にお城を築くことに。

客将となっていたキリシタン大名高山右近が縄張りして、

秀吉公から下賜された秀次遺館の良材を使って建てられた。

 

しかし、1615年一国一城令により廃城に。

江戸時代は、軍事拠点として密かに維持されたらしい。

明治になり市民の手によって公園として整備されていった。

 

 

お堀が見えてきたので、グルリとバイクで1周する。 

お堀がとっても広いっス。

 

城内の高岡市立博物館に入り、

日本100名城スタンプを押す。

なんと、ココは無料かいな。

タダなのに非常に充実した展示内容。なんていい町なんだ。

 

築城当時の縄張りが今もそのまま。

埋め立てられたお堀はほとんどない。

 

とにかくお堀だらけ。

鬱蒼と木が生い茂っている。

タカオカオホリ1.jpg

 

 

本丸土橋の石垣。

明治以降、石垣の大半が

河川の土木工事に搬出された。

なので、残っている石垣はココだけ。

ドバシノイシガキ1.jpg

 

ドバシノイシガキ2.jpg

 

 

本丸は芝生の公園。

まわりにいろんな銅像、彫刻。

なんでなんだろう、と思いながら散策。

ホンマル.jpg

 

 

大きな土塁を下り、

本丸をグルリと囲むお堀。

四方をお堀に囲まれている。

犬走りというか、散策路があって気持ちよい。

タカオカオホリ2.jpg

 

タカオカオホリ3.jpg

 

 

お城と言われればそうだけど。

その名にあるように、古城の公園デス。

高岡城古城公園、市民の憩いの場って感じ。 

タカオカオホリ4.jpg

 

 

それにしても、お堀だらけ。

ココまで木が切られてないのも珍しいな。

ジャングルクルーズとかできそうな感じっス。

タカオカオホリ5.jpg

 

 

城域の3割を占めるお堀。

かつての縄張りを今に伝える。

水が満ちた広く深いお堀だらけでビックリ。

 

 

とにかくお堀がありすぎて、

どこのお堀端を歩いているのか。

さっぱり分からなくなる。 

 

さっきココ歩いたんじゃ?

デジャブ?

ココは、富山だから蜃気楼か?

 

不思議な感覚のしたお城でした。。。

 

 

 

 

 


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七尾城(日本100名城) [城]

 

2011年9月16日(金)

 

石川県七尾市。

能登半島の真ん中くらい。

標高300mの松尾山の上にある。

七つの尾根に展開していたという、七尾城。

日本五大山城の一つにあげられるコトもある。

 

 

能登畠山氏12代150年の居城。

1577年に上杉謙信公の攻撃を受け落城。

謙信公作のただ一つの漢詩 『九月十三夜』は、

この七尾城を落とした際の酒宴で創られたと伝わる。

『秋気清し』 というように、今日は秋の気配たっぷり。

 

麓の七尾城史資料館にて100名城スタンプをゲット。

お金を払い見学するも、展示物が何もなかったっス。

日経新聞で今連載中の『等伯』の故郷七尾だから、

長谷川等伯の何かがあるのかな、と期待したんですが・・・

 

 

一気にバイクで山を登る。ラクチンでした。

駐車場から見える眺望もなかなかのもの。

 

テクテクと山の中に入る。

おうっと、この道歩きやすいっ。

チップ材が撒かれている。

こういう気使いが嬉しいデス。

アルキヤスイ.jpg

 

 

花粉の季節でなくてよかったなぁ。

杉があり杉。昼なお暗い杉林の中。

おっ見えてきた、七尾城の有名な石垣。

ミエテキタゾ.jpg

 

 

 

桜の馬場北側斜面の石垣。

低い石垣が何段にも積まれている。

うーん、古い石垣だ。

古城の雰囲気がプンプンとしてくる。

オゴソカナカンジ.jpg

 

それにしても、下草がないということは。

キレイに整備している人がいるんだろうな。

他の所を歩いてみても、キレイに草が刈られているし。 

地元の方のお城への愛が感じられるなぁ、と思いながら堪能。

 

 

さらに先へ登っていくと、

本丸石垣も同じような感じ。

こちらも低い石垣が何段か積まれている。

ナナオジョウホンマルイシガキ.jpg

 

 

やっほーい。

本丸からの眺望。

空が高く感じられる秋の気配。

山の上なので風が吹き抜け涼しい。

ナナオジョウホンマル.jpg

 

 

そういえば、前田慶次郎の養父が七尾城の城代だったような。

もう一回、一夢庵風流記を読まなきゃ、とこんな所で思った次第。

 

 

桜の馬場から二の丸へウロウロ。

途中の九尺石。2.7mの巨石らしい。

キュウシャクイシ.jpg

 

 

二の丸石垣も古い感じだなぁ。

ガン見しながら登り、二の丸到着。

眺望はまったく開けてなかったっス。

ニノマルイシガキ.jpg

 

 

 

北陸を代表する巨大山城。 

鬱蒼とした杉林の中、古城の遺構が残る。 

キレイに整備されていて嬉しくなりました。

見ていて気持ち良くなる、とってもイイお城でした。

 

 

 

 

 


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金沢城(日本100名城) [城]

 

2011年9月16日(金)

 

加賀百万石のお城、金沢城。

 

白山山系から連続する丘陵地帯の果て。

その台地の先端、がけの上に築かれている。

 

この地に最初に注目したのは蓮如上人。

ココに尾山御坊を建立し、やがて勧進帳で知られる

守護・富樫氏を追放して、加賀の国全体を支配する。

結果、『百姓が持ちたる国』となり、この地方の中心となる。

 

1580年に加賀一向一揆の拠点である尾山御坊を陥落させた

柴田勝家は、その家臣佐久間氏を入封させ、お城を築かせた。

 

近代的な城郭として体裁を整えたのは、

佐久間氏のあとに入った前田利家・利長親子。

以後、幕末に至るまで、加賀百万石の居城として栄える。

加賀といえば、大河ドラマ 『利家とまつ』 を思い出す。

『何から何までまつにお任せくださいませ』 というセリフが忘れられない。

 

 

 

兼六園から橋を渡ると金沢城。

現存遺構の重要文化財、石川門がお出迎え。

おっと、なんか工事してる。

イシカワモン.jpg

 

1788年に再建された石川門。

なまこ壁と鉛瓦が個性的な枡形。

ビニールに覆われ、石垣が隠れていたのが残念。

コウジチウ.jpg

 

 

 

気を取り直して、石川門をくぐる。

まだ8:00前なのに、案内所が開いている。

無事、日本100名城スタンプを押すことに成功。

 

早くも目的を達してしまった。

あとはゆっくり見て回るとするか。

 

復元された河北門の横を登り、お城方向を望む。

 

 

うーん。

とってもいい景色。

白漆喰に海鼠壁、鉛瓦。

火事が絶えなかった金沢城の防火対策とはいえ、

ココにしかない個性的外観、ザ・カナザワ・キャッスル。

カワキタモンカラ.jpg

 

 

 

大手門まで歩いて散歩。

金沢城は広いっス。

というか、贅沢な土地の使い方。

芝生の向こうにお城って組み合わせはいいなぁ。

大手門方向から望む。

オオテモンカラ.jpg

 

大手門には大きな石がご鎮座。

登城する人を圧倒している感じ。

カナザワオオテモン.jpg

 

 

 

大手門を出てお堀を見学。

あれっ? 

犬走りがあるぞ。

石垣の組み具合がちょっとチガう。

腰巻の部分は、後になって積んだのかな。

イヌバシリカイナ.jpg

 

 

いーもん見られた。

よかったよかった。

再び大手門から入城。

ブラブラ歩きながら河北門をくぐり、三の丸広場へ戻る。

 

 

三の丸広場から見る復元の五十間長屋と菱櫓。

これは、ホントにながーい。

五十間というから本当に90mあるんだろな。

スカッとした青空じゃないのがちょっとクヤシイけど。

青空に芝生の緑、白い姿が映える優美な姿、美しいっス。

ゴジュッケンナガヤ.jpg

 

 

右端の櫓、菱櫓から見る五十間長屋。

こんな忠実な復元なら大歓迎。でもお金かかったんだろうな。 

エニナル.jpg

 

 

 

いろんな時代、いろんな種類の石垣を見ながら散歩。

さっき兼六園で、いろんな石垣を紹介している写真入り

パンフレットをもらったので、いちいち見て回った次第。

 

それにしても。

現存の三十間長屋の石垣、

というか石積みには感動した。

パズルようにかっちり組まれている。

近くでみると、はつり加工してある。

表面をわざとザラザラさせ模様をつけている。

サンジッケンナガヤ.jpg

 

 

グラデーションといい、これはまさに芸術品。

泰平の世がなせるものなんだろうけど。

 

さすが金沢。

技がちがう。

さすがのわざかな。

ゲイジュツヒン.jpg

 

 

他にも興味深い石垣沢山あったけど。

石垣紹介のブログじゃなく、それがしの備忘録なんで割愛。

 

 

なにもない本丸へ登り、

五十間長屋を見おろしながら金沢城の広さを実感。

本丸から下りてくる途中に、現存遺構の鶴丸倉庫。

陸軍の倉庫として使われた時期があり、ちょっと改変されている。

ツルマルソウコ.jpg 

 

 

ぐるっと反時計まわりにまわったので、

再び五十間長屋の前に出てきた。

うん、やっぱり絵になる。見てて気持ちイイっ。

サヨウナラマタクルヨ.jpg

 

 

絢爛な文化が花開いた金沢。

その平和主義は、明治以降は評価されず冷遇された。

確かに、鳥羽伏見の戦いでは幕軍だったのが、

錦の御旗が出るとすぐに官軍に味方するくらいだからな。

 

前に読んだ 『武士の家計簿』 は、加賀藩御算用者のお話。

冷遇される加賀藩士の中、主人公は算術の力で明治時代を生きていく。

革命家たちの寄り合い所帯である官軍の兵站業務を担ったのは、

加賀100万石の参勤交代、日本最大の大名行列を差配した加賀藩の御算用者。

芸は身を助く、とはよく言ったもんだ。それがしも何か一芸を身につけなきゃ。

 

 

なんか変なことを考えながら、石川門をくぐり外へ。

 

来るときに気になったので、

しばし歩き本丸南面の高石垣に。

下から見上げると、とっても迫力ある。

優美な姿じゃない、こんな姿も金沢城にはあるんだ。

奥深いお城だなぁ、隣の兼六園といいサイコーな場所。

タカイシガキ.jpg

 

 

加賀100万石の居城。

海鼠壁に鉛瓦の優美な姿がとっても個性的。

優美、繊細、上品、気品、そんな漢字が似合う。

いろんな時代、いろんな種類の石垣も堪能でき楽しい。

 

とってもイイお城でした。

またいつか来ようっ、と思った次第デス。

 

 

 

 

 


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洲本城 [城]

 

2011年8月28日(日)

 

淡路島の洲本城。

洲本港を望む三熊山頂(標高133m)に

脇坂氏が築城した石垣造りのお城が存在。

 

かつて淡路島は、阿波徳島藩領に属していた。

しかし、城代として置かれた稲田氏の家臣は、

陪臣扱いとなり、蜂須賀直参との関係はイマイチ。

 

明治維新の後に争いが起こる。

結果、淡路島は徳島県でなく兵庫県に属することとなる。

来る前に見た徳島城博物館に、その歴史が書いてあった。

とっても、勉強になりました。

そんなこんなで、ココは淡路島の洲本、兵庫県洲本市。

 

海岸線から一気に山肌がそそり立っている三熊山。

三熊山ハイウエイを一気にバイクで上ると、洲本城の石垣が出現。

山の上一帯が石垣で覆われている感じで、規模の大きさにビックリ。

スモトジョウ1.jpg 

 

スモトジョウ2.jpg

 

 

ここもまた荒々しい石垣。

秀吉公子飼い、賤ヶ岳七本槍の一人、脇坂氏が

造ったというからには、相当古い時代の石垣なんだろうな。

キョロキョロ見ながら歩く。でかい石垣に石段、おじいさんとの対比。

スモトジョウデカイカイダン.jpg

 

 

それがしも、高い石段をエッチラと登る。

大きな石垣が来るものを拒む雰囲気。

エイヤ、と登りきったら、絶景が待っていた。

スモトジョウ4.jpg 

 

 

その前に。 

模擬の天守が見えてきた。

昭和3年、昭和天皇御大典記念に建造。

模擬でも青空に映える、なんかワクワクしてきた。

スモトジョウフッコウテンシュ.jpg

 

あれっ。

ロープが張ってある。

どうやら立ち入り禁止らしい。

おーっと、アレの上にに登りたかったス・・・

フッコウテンシュ.jpg

 

 

 

模擬天守の膝元から見る洲本港。

思わず。 息を呑む。 素晴らしい絶景。

遠く紀淡海峡から大阪湾岸を見渡せる。

そう。 波に漂う怪しい小船も見逃さないデス。

言わば、秀吉公肝入りの海上見張り番のお城。

テンシュダイカラノフウケイ.jpg

 

 

 

世界のヒデヨシのため、朝鮮遠征をしたあと、

チャッカリ者の脇坂氏は新たな石垣造りの技術を持ち帰る。

 

それが、大陸仕込みの築城術 『登り石垣』。

彦根城、松山城、ココ、日本に3ヶ所だけ存在と言われる。

万里の長城のような建造物、山麓から山上まで石垣が登っている。

それがしは、彦根城・松山城と見て来たので、ココにも探しに来ました。

 

 

がさ藪の中を探す。

道なき道を歩くのは本意でないんですが、仕方がない。

 

なんとか見つけた西の登り石垣。

斜面の上から見た図。足元が怖いっス。

ノボリイシガキ.jpg

 

 

横まで来て見る。

登ってるけど、崩落している。

ノボリイシガキ1.jpg

 

 

うーん。

他の2城とは、遺構の保存状態が違う。

コレは言われて見てみないと、それとは分からない。

 

 

さらに藪の中をクモの巣と格闘。

東の登り石垣を探す。斜面を登り降りすること30分。

がさ藪の中に隠れているいろんな石垣を見ました。

このお城は、山上を石垣が取り囲む素晴らしい遺構。

 

しかーし。

東の登り石垣は発見できず。ホントに残念。。。

 

 

 

 

豊臣時代の海軍の拠点。

知る人ぞ知る絶景の海上要塞。

登り石垣は消化不良でしたけど。

とっても気持ちのいいお城でした。

ここには、もう一回リベンジに来るぞ。

がさ藪が枯れた冬だな、と心に刻みこんだ次第。 

 

 

 

 


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徳島城(日本100名城) [城]

 

2011年8月28日(日)

 

阿波の国、徳島城。

1585年豊臣秀吉公の四国制圧後、

阿波の国に入封したのは蜂須賀氏。

 

蜂須賀氏と言えば。

三河矢作川の橋の上で、秀吉公と

出会った野武士の頭領・蜂須賀小六。

秀吉公の出世物語の契機となった出会い。

墨俣一夜城の築城を機に、秀吉公の配下となる。

ということを、小さい頃から教えられた、岐阜出身なんで。

 

秀吉公は阿波国を正勝(小六)に

与えようとしたが、正勝(小六)は固辞。

子の家政が、代わりに1585年

阿波国18万6,000石を得て入封した。

 

その翌年に築城された徳島城。

吉野川河口の渭山(標高62m)の山上にお城が、

山麓の部分に御殿などの居館が、造られた山城。

 

 

山麓の御屋敷周りの内堀。

プラプラと散歩したんですが、

まだ時間が早過ぎるみたいで、

目的の博物館が開いてないっス。

トクシマジョウ1.jpg

 

 

しゃあない。 

山の上へと登っていく。

高い山でないので、楽チンな散歩。

途中に古い石垣がゴロゴロ出てくる。

西三の丸枡形虎口。

ニシサンノマルコグチ.jpg

 

『阿波の青石』と呼ばれる緑色片岩。

それを荒々しく積み上げた石垣。素晴らしいっス。

フルイイシガキ.jpg

 

 

 

本丸に入るところにある弓櫓石垣。

迫力を感じさせる大きさ、荒々しさ。

さすが野武士の頭領が藩祖なだけある。

ユミヤグライシガキ.jpg

 

ユミヤグラ.jpg

 

 

本丸は何もなかったデス。

景色がいいかも、と期待してたのですが。

木が生い茂っていて、眺望は開けてなかった。

残念。。。

ホンマル.jpg

 

 

下りてくる途中で見つけた石垣。

青いというか、緑だ。

苔むしているのもあるけど。

 

それにしても。

積み方といい、石の色といい、和歌山城のよう。

あちらは緑泥片岩、とそれがしの本には書いてある。

ちょっと呼び名が違うけど、同じ種類の石なんだろうな。

アオイシイシガキ.jpg

 

 

 

下まで降りてきて。

博物館前の庭園を見学。

表御殿庭園という国の名勝庭園。

洗練されていてなかなか素晴らしい。

 

でも。

写真を撮ると、高層マンション入り込む。

それなんでマンションを避け、パシャリと撮影。

 

こんな庭を見る生活したいもんだ、

と思いつつ殿さま気分でウロウロ散策。

オモテゴテンテイエン1.jpg

 

オモテゴテンテイエン.jpg

 

 

9:30になり博物館に入る。

受付にて100名城スタンプをゲット。

この徳島市立徳島城博物館は、なかなか面白い展示。

とても勉強になったので、ゆっくり帰るとしマス。

 

 

大手門の石垣はカッチリしている。

山上の石垣とは違うけど、なんとなく野武士の趣きは感じる。

オオテモン2.jpg

 

振り返ると大手門。

なんか順序が反対だけど、まあいいや。

ホントはこちらから入城するんですね。

オオテモン.jpg

 

 

最後に。

復元された鷲之門を見る。

さよなら徳島城、いつかまた来るよ。

ワシノモン.jpg

 

 

 

野趣溢れる緑がかった石垣。

山を荒々しい石垣が取り囲む。

戦国の世を戦い抜いた野武士の心意気が感じられる。

 

逆に、山麓では洗練された庭園が人を迎える。

そのギャップが堪らない。

とても気持ちのよいお城でした。

また、いつか来てみよう、と思った次第デス。

 

 

 

 


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鳥取城(日本100名城) [城]

 

2011年7月23日(土)

 

鳥取県鳥取市。

因幡の国、鳥取城。

 

1581年の秀吉公による鳥取城攻防戦。

かつて本で読んだ。

人の肉を食べたといった事件は、

日本の歴史でそうあるわけじゃないけれど、

ココにはそんな悲しい歴史がある、と。

 

池田氏32万石の居城。

岡山の池田氏と兄弟分だけど。

鳥取の方が家康公直系ということで

格上の扱いを受けることも多かったらしい。

 

 

鳥取駅からレンタサイクルで県庁へ向かう。

県庁裏の標高264mの久松山が目指す鳥取城。

麓に着くと、石垣にお堀。こういう景観大好き。

イイカンジトットリジョウ.jpg

 

 

まずは100名城スタンプを押しに、

重要文化財の白亜の洋風建築、仁風閣へ。

ジンプウカク1.jpg

 

無事スタンプを押し、中を見学。

風が吹き抜けて気持ちがいい。

フレンチ・ルネッサンス様式というものを満喫。

ジンプウカクカラミル.jpg

セレブナカンジ.jpg

 

このらせん階段には支柱がない。

どうやらかなり珍しい形らしい。

悲しいことに登り降りは禁止されている。

クルクルウエカラ.jpg 

ジンプウカク2.jpg

 

最初、避暑地にあるペンションか、と思ってしまった。

でも中に入り見学すると。

なかなかどうして。

シャンデリアやらせん階段など素晴らしかったデス。

文明開化の薫り漂う、とっても気持ちのいい場所でした。

 

思わずゆっくりとしてしまった。

もうここで帰ってもいいや、と思ったけど。

ここまで来た以上、山登りして鳥取城を見に行くか。

 

 

 

仁風閣となりにある二の丸中仕切門。

唯一の現存建物、とのこと。

ノボリマス.jpg

 

 

鳥取城は登山だ、と噂に聞いていたので。

覚悟して登っていたけども、最初はラクラク。

全然大丈夫じゃん、散歩気分でウロウロする。

ウエヘ.jpg

ニノマルイシガキ.jpg

 

 

おっと、珍しい。

登り石垣を発見。

そんな事前情報なかったけど。

といっても、ちょっとしか登ってない。

登り石垣じゃなくて、なんか通路のよう。

ノボリイシガキ.jpg

 

さっきまで見学した仁風閣。

上から見ても絵になる白亜の洋館。

ジンプウカクウエカラ.jpg

 

 

かつては御三階櫓が存在。

明治に入り取り壊されたらしい。

健在時の写真が仁風閣にあった。

ここまでは、景色もよく気持ちいい散策。

テンキュウマルカラ.jpg

 

 

小さな稲荷社があり、その裏から山登り。

垂直に、まったく整備されていない山道。

めちゃくちゃしんどい山登りでした・・・

 

それがしいろんな山城登ってきましたが。

ココはとってもきついっス。

それにしても。

地元の皆様がかなり登り降りされていた。

トレッキングコースなんだろうな。

ひょいひょい歩く姿に、ちょっと自信喪失。

 

 

山頂に天守閣があった、というのは本当かいな。

こんな山の上に誰もが登れるわけないよ、と思いながら。

汗だくになり登った山頂には、絶景が待っていてくれた。

やっほーい。気持ちいい。

イイケシキダ.jpg

 

遠くに鳥取砂丘も望める。

あそこまで自転車に乗って行こう。

サキュウホウコウ イイケシキ.jpg

 

 

膝の調子を気にしながら、ゆっくりと下りる。

登った時以上の時間がかかってしまった。

 

 

大阪から意外と近かった鳥取城。

麓の仁風閣や山頂からの絶景は素晴らしい。

山登りはしんどかったけど、いいお城でした。

 

 

 

 


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姫路城(天空の白鷺) [城]

 

2011年7月23日(土)

  

久しぶりに来たよ、姫路城。

姫路城は現在、平成の修理の途中。

 

姫路城の象徴の大天守が、

大きな囲いですっぽり覆われている。

あの囲いの中にて解体せず修理中。

コウジチュウ.jpg

 

修理中の様子を見学させてくれるというので。

ネットで予約して、朝一9:00開城と同時に中へ。

 

普段とは違う、反時計周りが順路。

扇の勾配や、お菊井戸を通り過ぎながら。

3時代のシャチが並んでいたので見学。

だんだんと、デフォルメ強くなってくるんだ。

シャチサンキョウダイ.jpg

 

 

大天守の前までやってきた。

それにしてもデカい建物。

ご丁寧に天守の絵がかいてある。

見学の人まで描かなくてもいいのに。

エガガイテアル.jpg

 

さあ、中へ入るぞー。

 

めったに見れない姿だから。

ワクワクドキドキしながら中へ突入。

ハイリマス.jpg

 

 

1階からエレベーター。

石垣を見ながら上へ。

うーん、よく見えない・・・

エレベーター.jpg

 

 

8階へ到着。

ガラガラっス。

それがし含めて最大5人でした。

見学よりも、警備員や係りの人の方が多い。

8Fフロア.jpg

 

 

8階は天守の最上階屋根部分。

説明文やビデオを見ながら勉強。

イチバンウエ.jpg

 

だれもいない。

今日はお休みか。

瓦もすべて取り除かれて、寂しい感じ。

ダレモイナイ.jpg

 

 

階段を下り7階へ。

同じような感じで、なんか拍子抜け。

7Fフロア.jpg

 

 

でも、よく見てみたら。

作業している人がいる。

修復頑張ってくださいね。

プロジェクトX.jpg

 

まさにプロジェクトXの世界。

昭和の大修理をTVで見たけど、

素晴らしい物語に感動して涙したなぁ。

この平成の修理も番組にならないかな。

 

 

期待してたのとちょっと違ったけど。

貴重なものを見学できたから、よしとしよう。

 

 

 

囲いを出たあとは、ウロウロと見学。

やっぱり姫路城はどこを切り取っても絵になる。

こういうギザギザなんて他では味わえない。さすが姫路城。 

ギザギザ.jpg

 

 

西の丸へ行き。

百間廊下を歩くと。

タイムスリップした気になる。

いつ来ても、とっても気持ちのいいところ。

 

化粧櫓から見たルの櫓方向。

白漆喰に光が反射、目に眩しい。

シロシックイ.jpg

 

姫路城大天守も修理が終わったら、

白漆喰が青空に映えるんだろうな、と思わず妄想・・・

 

 

久しぶりの姫路城散策。

修理中の姿も見られたし、

貴重な体験ができました。

よかった、また来よう、と思った次第デス。

 

 

 

 


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勝龍寺城 [城]

 

2011年5月15日(日)

 

京都府長岡京市。

江戸時代初期まで存在したお城。

勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)。

 

この間、GW中に。

大河ドラマ『江』を見てたら。

最後、ゆかりの地紹介に、ココが出てきた。

 

こんな感じのナレーション。

 

かつて長岡京が置かれた『王城の地』。

明智光秀の娘・たま(のちの細川ガラシヤ)は、

細川忠興に嫁ぎ、婚礼は勝龍寺城でとりおこなわれた。

子宝に恵まれた、幸せな新婚生活。

しかし、本能寺の変が、たまの運命を大きく変えていく・・・

 

 

復元の櫓みたいなのがキレイ。

お堀も整備され、公園化されている。

なかなかイイっ。

ココまできれいに整備されているのは珍しいデス。

ショウリュウジ1.jpg

 

城内の大きな建物は資料館。

細川ガラシヤの展示品が陳列されていた。

ショウリュウジ2.jpg

 

小さい城内をグルっと見て、

かつての土塁の上から望む。

ショウリュウジ3.jpg

 

 

山崎の戦いにて

敗走した明智光秀は。

ココ勝龍寺城へ身を寄せる。

勝龍寺城を出て坂本城へ落ち延びる途中で落命。

 

そういう意味では。

歴史の転換点の一つの地だな、と思ふ次第。。。

その後、曲折を経て廃城になり、今に至る、とのこと。

 

個人的用事もあって来たけど。

キレイに公園化されて。

今に歴史を伝えている、気持ちのいい所でした。 

 

 

 

 


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近江八幡城 [城]

 

2011年5月15日(日)

 

滋賀県近江八幡市。

豊臣秀吉公の甥・羽柴秀次のお城。

 

秀次は20万石を与えられ、

安土城の隣地、標高283mの鶴翼山に築城。

 

安土城下町をそのまま移築し。

楽市楽座で栄えた近江商人発祥の地。

琵琶湖の水を引いて造られた八幡堀も有名。

今は、時代劇のロケでよく使われているらしい。

 

八幡堀周りをウロウロ。

ココは、なんとも雰囲気がイイ。

散歩していて、とっても気持ちがイイっス。

ハチマンボリ1.jpg

ハチマンボリ2.jpg

 

 

ちなみに。

今日ウロウロした時も。

近くの古い町並、新町でロケ。

TVで見た顔を見る。。。

ナンカサツエイシテイル.jpg

 

 

八幡山城は。

標高283m、比高100mの山の上。

ロープウェーで登るコトに。

わずか4分。

往復800円也ですが。

眼下に拡がる眺望、これは乗る価値ありっス。

ロープウェーデウエヘ.jpg イイケシキッス.jpg

 

 

ロープウェーを降り、左方向からぐるりと回る。

ところどころに、古い感じの石垣がむき出し。

ハチマンジョウイシガキ.jpg

 

山の上には。

日蓮宗の門跡寺院、村雲御所・瑞龍寺。

ムラクモゴショ.jpg

 

なんか格式高いお寺や、 

古い石垣がいろんな所にあるけど。

そんなのは、もうどうでもいいっス。

 

だって。

山の上からの景色がめっちゃ素晴らしい。

 

 

西の丸から見る琵琶湖。

これは絶景。

思わず声が出る。

やっほーい。

ヤッホー1.jpg

 

 

北の丸から見る安土城方向。

実際は、もっと眺望が開けている。

いろんな山城に来ているけど。

ココの景色は、それがしの中ではトップに決まりっス。

アヅチジョウホウコウ.jpg

 

 

秀次支配は、わずか5年。

その後京極氏も5年。

10年で廃城となった絶景のお城。

 

お城というよりも。

近江商人発祥の地として有名な土地。

素晴らしい眺望。

殿さま気分が存分に味わうことができる。

 

またこの景色を見に来よう。

サイコーのお城跡でした。。。

 

 

 

 


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平戸城(再訪) [城]

 

2011年5月4日(水)

 

生月島へ行く途中。

いつも横目で通り過ぎるけど。

今日は、久々に登城するコトに。

 

源平の時代から水軍で名を馳せた松浦党。

その本拠となったかつての日本の玄関口、平戸島。

6万3,000石にて家康公より朱印を受けるも。

後に家康公の疑心をかわすため、

藩主公自らが焼却した、というお話があるお城。

 

 

北虎口門から登る。

500円也を払い城内へ。

さすがGW、観光客が多い。

ヒラドジョウヒサシブリ.jpg

 

 

模擬復元された天守閣。

天守閣として見たら、どうかな?

というのか造っていいのかな? と思いますが。

展望台として見るのなら、これはサイコーっス。

ヒラドジョウダヨ.jpg

 

 

今は橋でつながっているけど。

かつては、平戸瀬戸で隔てられた孤島。

天守からの眺望。 

天気はいいけど、黄砂で視界不良なのが残念。

ヒラドテンシュカラ1.jpg

ヒラドジョウ0.jpg

 

 

山鹿流軍学による縄張りと伝わる平戸城。

それがしには、どこがそうなのかは分かりません・・・

 

 

司馬遼太郎先生曰く。

『 景観の中の城として日本で

  もっとも美しいのは平戸城だと思う。 』 

               街道をゆく十一巻より

 

ほめすぎかな、とも思いますが。

天守からの景色を堪能していると、

確かに何もかも忘れられる感じがする。

とっても、気持ちのいい場所でした。。。

 

 

 

 


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園部陣屋 [城]

 

2011年4月29日(金)

 

京都府丹南市。

丹波の国、園部陣屋。

 

亀岡からさらに北西に進む事約20キロ。

北に流れる園部川を迂回させ外堀を造り、

陣屋と城下を内部に、という大きな構えだったらしい。

そんな気配もまったく感じさせない、大いなる田舎の風情。。。

 

1619年小出氏が入封。

秀吉公の母親の妹が奥さんの御仁。

2万6,000石が幕末まで続く。

 

その幕末にココが脚光を浴びる。

大政奉還後、旧幕府軍と新政府軍が軍事衝突。

新政府側は、万が一の事態を想定。

ココ園部を天皇避難の際の行在所と定める。

その時大改修された櫓門。

寺社建築のような優美な姿。

ソノベジョウ1.jpg

 

 

今は園部中学・高校の敷地。

というか、櫓門が正門になっとるやん。

こんな学校に通ってみたいっス。

 

敷地内に見える現存二重櫓。

ソノベジョウ2.jpg

 

学校内に入り、巽櫓を内部から仰ぎ見る。

いい感じなんだけど。

向こうから見たい。

けど。

テニスコートがあって練習してるし。

カメラ構えたおっちゃんには鬼門。。。

ソノベジョウ3.jpg

 

 

実戦向きではない優美な姿。

天皇の行幸は実現しなかった幻の陣屋。

 

代わりにそれがしが堪能してきた次第。

 

 

 

 

 


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丹波亀山城 [城]

 

2011年4月29日(金)

 

京都府亀岡市。

かつては亀山と呼ばれた地。

 

亀山城は、明智光秀が丹波攻略の拠点として築城。

本能寺の変のとき、光秀の軍勢はココから出発。

西国街道と京の分かれ目となる老ノ坂で

『敵は本能寺にあり』 と京をめざした。

 

1609年には豊臣氏の大坂城を包囲する目的で、

藤堂高虎を中心とする天下普請により大修築される。

わが国最初の層塔型の五重天守があったらしいが、

今はまったくその面影がない。

 

現在は、宗教法人大本の本部。

タンバカメヤマジョウ1.jpg

 

 

絵図や古写真から、かつては高石垣で囲まれた

壮大な城であったことが分かっている、とのことだが。

荒れ果てて破却されていたお城を、大本が整備。

今残っているのは、往時のものか整備されたものか、

はっきりとは分からない。

 

受付にて、お城見学の旨を伝え、お祓いしてもらう。

大本の聖地なんで。。。

 

天守跡は禁足地で、立ち入れない。

ゴシンイキ.jpg

 

ぐるりと回る。

雰囲気いいっス。

紅葉とかきれいなんだろうな。

タンバカメヤマジョウ2.jpg

 

きれいに掃除もしてあるし、

気持ちよく見学させていただく。

タンバカメヤマジョウ4.jpg

 

お城の外もぐるりと。 

外堀を見学しながらお散歩。

タンバカメヤマジョウ3.jpg

 

 

本能寺の変の裏舞台、亀山城。

光秀後は、譜代大名が頻繁に交代。

何も残っていないですが、

大本の聖地としてキレイに整備されてました。

気持ちのいい場所でした。。。

 

 

 

 


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伏見桃山城 [城]

 

 

被災地の皆さま、心よりお見舞い申し上げます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

海江田経済産業大臣曰く。 

  『関西や九州の方々はしっかり生産してほしい』

  『日本経済の底割れを防いでほしい』

 

それがしは自分のできることをコツコツやっていこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

2011年3月13日(日)

 

京都市伏見区桃山にあった伏見城。

秀吉公、家康公の両英傑が入り、

関が原の戦いでは鳥居氏奮闘のお城。

廃城になった後は、各地に移築された。 

 

かつて伏見城のあった場所は。

現在、明治天皇の陵墓となっている。

許可なきそれがしは、入れないっ。

 

 

すぐ近くだとは言え。

ココにあるのは、

お城と言っていいものか・・・

 

 

伏見桃山キャッスルランドの

施設の一つとして昭和39年に建設。

模擬なのか。

勝手に造った天守風建造物。

現在は、伏見桃山城運動公園として、

京都市が管理。お城内部は見られない。

 

 

なんとも大きな門。

雰囲気あるなぁ。

なんかの映画の撮影でキレイになったらしい。

フシミモモヤマジョウ1.jpg

 

門をくぐると。

天守が見える。

コレありっス。

フシミモモヤマジョウ2.jpg

 

おおっ。

青空に映える天守閣。

朱色ってのがいいっ。

フシミモモヤマジョウ3.jpg

 

 

家族連れがお弁当食べていたり、

広場で遊んでいたり、草野球していたり。

地域に溶け込んでいる姿に見えました。

 

賛否両論あると思われますが。

それがしは、こんなお城もアリかな、と思った次第デス。。。

 

 

 

 


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大阪城散策 [城]

 

 

被災地の皆さま、心よりお見舞い申し上げます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

海江田経済産業大臣曰く。 

  『関西や九州の方々はしっかり生産してほしい』

  『日本経済の底割れを防いでほしい』

 

それがしは自分のできることをコツコツやっていこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

2011年3月12日(土) 

 

仕事で近くを通るコトが多い。

どこからでも見える大坂城。

やっぱり大阪のシンボルの一つデスね。

 

 

単身赴任のアジトから

歩いて15分くらいで大阪城大手。

もうちょっとお堀沿いを歩き、京橋口方面へ。

 

歩きながら見る乾櫓。

くすんで見えるけど。

コレは貴重な現存遺構。

オオサカジョウイヌイヤグラ.jpg

 

 

京橋口の巨石群を見ながら城内へ。

 

それにしても。

『どやっ!』 な見せしめ的巨石。

こんなとんでもなくデカイ石を見せつけられたら。

確かに、このお城造った人に逆らう気なくすだろうな。

キョウバシグチ.jpg

 

ちなみにコレは。

帰りしなに見た蛸石(たこいし)。

大坂城内No.1の巨石。

まさに、『どやっ!』。

ドヤッ.jpg

 

 

大坂城はとっても広い。

いろいろと見所満載。

お城好きにはタマラナイ。

立派な雁木があちらこちらにある。

オオサカジョウガンギ.jpg

 

 

ナマコ壁の金蔵も残っている。

天守閣は人が多いけど。

天守近くのコレ見ている人少ないんスよね。

カネグラ.jpg

 

人でいっぱいの天守閣へは入らず。

横目に見ながらウロウロ。

蛸石を見て桜門をくぐり、西の丸へ。

 

 

入園料200円也を払い、西の丸庭園へ。

今日の目的は、焔硝蔵。

1回見たかったんデス。

 

耐火・耐久・防水に工夫を凝らされた

すべてが花崗岩造りの堅牢な石蔵。

なんか、大陸的な感じがする。

エンショウヤグラ1.jpg

エンショウヤグラ2.jpg

 

 

さらに西の丸をお散歩。

さっき見た乾櫓を城内から見ると。

左右対称のL字型。珍しい造りだなぁ。

イヌイヤグラウラカラ.jpg

 

 

西の丸からはよく見える。

昭和6年市民からの募金で甦った天守閣。

オオサカジョウ.jpg

 

 

これまた、どやっ! 的な

巨大枡形虎口となっている大手口。

ココにも巨石が見せしめ的に配置されている。

オオサカジョウオオテ.jpg

 

高い&広いお堀を左右に見ながら。

最後に千貫櫓に別れを告げて下城。

センガンヤグラ.jpg

 

 

堀も巨石も。

どやっ! 

と、圧倒されるスケール。 

戦うお城としてもスゴいけど。

やっぱり大坂城は。

見せる城だな、と思った次第デス。

 

また、お散歩に来ようっと。。。

 

 

 

 


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ドライブ to 熊本城 [城]

 

2011年2月26日(土)

 

朝一の新幹線に乗り福岡へ。

朝9:00過ぎに自宅へ帰りつく。

 

それにしても。

今日は、あまりにも天気がイイ。 

しかも暖かい陽気になるらしい。

ボーッとしててももったないから、

どこかに行こう、と家族を連れ出す。

一番上のチビは学校の用事、

1人欠けた家族4人でドライブするコトに。

 

1時間半くらいのドライブ

何処に行こうかと迷った時は。

なぜか。

いや、やっぱりお城になってしまう。

『えー、またお城』 と言われつつ熊本城へ到着。

 

熊本城内の護国神社前でお弁当タイム。

梅がきれい。

梅の花を見ながら、おにぎり食べると。

やっぱり、ウメ~っス・・・

クマモトジョウゴコクジンジャマエ.jpg ハルダネ.jpg

 

食後の運動、 チビたちとドッジボール

をした後は、プラプラとお散歩、熊本城見学。

といっても、何回も来ているので、

中には入らず、外から見るだけに。

 

 

戌亥櫓。

西出丸の戌亥の方角(北西)にある櫓。

空堀でサッカーやってた人たちがいた。

それにしても今日は天気がいいなあ。

アオゾラノクマモトジョウ.jpg

 

 

この角度からは見たことなかった。

戌亥櫓越しに天守、宇土櫓。

絵になるなぁ。

イヌイヤグラ.jpg

 

 

ということで。

それがしの大好きなポイント。

加藤神社鳥居脇からの宇土櫓。

なんか工事中なのが悔やまれる。

でも、やっぱりココはサイコー。

ウトヤグラサイコー.jpg

 

 

 

いつ見ても圧倒される巨大石垣。

ココに来ると、すべてを忘れて童心に戻れる。

思わず下まで降りて、見上げる宇土櫓下の石垣。

 

それがしとの対比で見るとその大きさは歴然。

スゴイイシガキ.jpg

 

 

ホントに素晴らしいっス。

やっぱり熊本城はいいなぁ。

サイコーっス。

 

心からの満足感に浸りつつ、福岡へ戻った次第デス。。。

 

 

 

 


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岡崎城(日本100名城) [城]

 

2011年2月11日(金)

 

三河の国、岡崎城。

神君徳川家康公が出生されたお城。

ということで。

江戸時代には、聖地とされた場所。

 

幼いうちに今川氏に人質として送られた家康公。

桶狭間の戦いで今川氏が討たれたあと

岡崎城へ帰り、以降浜松に移るまで11年間在城。

江戸時代は、譜代の大名が代々と居城した。

 

雪の中、すっくと立つ家康公。

イエヤスコウ.jpg

 

 

徳川四天王の本田忠勝の銅像もあった。

蜻蛉切(かげろうきり)と呼ばれる長い槍を操り、

戦場を駆け抜け数多くも武功を挙げながらも、

かすり傷一つ負わなかったらしい。

戦国BASARAで、今の世にもマニアには有名な御仁。

ふーん、と横目に見ながら天守方向へ。

 

 

雰囲気のある本丸北の石垣を見つつ天守へ。

ココは雪国か。

とめどなく降る雪。

それにしても、降り過ぎっス。

オカザキジョウカラボリ.jpg 

 

 

天守閣入り口にて100名城スタンプを押す。

神君の誕生の地だと思うと。

ご利益ありそう。

偉くなれるかも・・・

オカザキジョウ.jpg

 

お城の中はどこも同じ。

とはいっても、それがしには勉強になる。

ゆっくりとウロウロと見学。

 

 

天守を見終わったあとは。

岡崎城ならではのモノを探すべくウロウロ。

雪景色のお堀もいいなぁ。

オカザキジョウオホリ.jpg

 

 

『五万石でも岡崎様は、お城下まで船が着く』

と謳われた船着場。

川岸堤防そばにある。

城のすぐそばまで、舟が来るって意外と少ないらしい・・・

 

えっ、意外と多いんじゃないっスかね。

それがし学術的には興味ないから、どうでもいいや。

フナツキバアト.jpg

 

石造りの船が存在感ある。

フナツキバアト2.jpg

 

 

船着き場の堤防を上がり、

交差している川沿いを歩く。

 

おっと。

ココは。

めっちゃ縁起イイ場所。

ご利益に預かりたいっ。

東照神君産湯の井戸。

ココから始まったんだ、江戸時代は。

イエヤスコウウブユ.jpg

 

 

稀有の長さの安定政権、江戸幕府。

その始まり、創始者神君家康公誕生の地。

そう考えると。

なんか普通のお城とはチガウかも。

 

どれ見ても。

なんかご利益ありそう。

出世しそう。

 

とうことで。

いろんなところに合掌。

お願いしマス。。。

と、他力本願。

そんなこんなで、ウロウロした次第・・・

 

 

 

 


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名古屋城(日本100名城) [城]

 

2011年2月11日(金)

 

『尾張名古屋は城で持つ』

とも謳われる御三家のお城。

日本三名城のひとつ、名古屋城。

 

今日は。

ものすごい雪が降っている。

そんな中お城に行く、もの好きそれがし。 

 

 

白く煙る空の中でも

燦然と輝く金のチャチホコ。

シャチホコダガヤ.jpg

 

江戸時代に東海道を通った旅人が、

金鯱を雨ざらしにしている豪気さに感心した。

とも伝わるが、さもありなん。

 

だって名古屋と言えば、金鯱。

とってもスペシャルな存在。

それがしも、中学のときかな?

地上に降りてきた金鯱を見に行ったなぁ。

 

 

地下鉄を降りて、お堀沿いにグルっと回る。

それにしても。

ものすごい降っているし、積もっている。

ユキグニダ.jpg

 

雪が降ってウレシくなるお年頃でもないけど。

白い雪景色のお城は珍しいから、寒さも我慢しマス。

 

水堀越しに望む清洲櫓。

現存の三重三階櫓。

他のお城の天守閣くらいの大きさ。

腰が据わった立ち姿がカッコいい。

キヨスヤグラ.jpg

 

 

西の丸から城内へ入る。

入り口で100名城スタンプゲット。

 

本丸西南隅櫓と天守。

なんか工事中、名古屋城は工事が多い。

コウジシトルガヤ.jpg

 

雪の中。

あっちへウロウロ

こっちへウロウロ。

名古屋城はホントにいいお城だぁ。

 

 

1610年大阪城の豊臣秀頼を牽制するため、

那古野の旧城地に巨大なお城を築くことを計画。

西国大名19家20万人を動員した天下普請。

家康公の九男義直が城主となる。

戦争で焼失するまで、豪華な御殿を含めて

創建時の姿がそのまま残っていたらしい。

なんとも残念。。。

 

でも。

現在その本丸御殿を復元中。

大きな木がゴロゴロ。

コレはお金かかってますね。

完成したらまた見に来よう。

ホンマルゴテン.jpg 

 

 

天守閣は、これまた腰が据わっている立ち姿。

破風が沢山あるから見た目はよく分からなかったけど。

層塔式の天守らしい。

色あいは、和歌山城みたいな緑色の銅版葺き。

一点豪華主義のアクセサリーとして金のシャチホコ。

やっぱり、金鯱は目立ちマス。

ナゴヤジョウテンシュカク.jpg 

 

 

天守閣内部を見学。

それがしが覚えているのとちょっと変わっていた気がする。

でも、どこが違うのかよく分かりません。

 

 

外に出て、天守を見ながらフラフラ歩く。

すっげーっス、この石垣。

加藤清正公が造った天守台石垣。

コレは熊本城よりも完成度高い。

ナゴヤジョウテンシュダイ1.jpg

 

弧を描いて立ち上がる清正流石垣。

この曲線美、素晴らし過ぎる。

いろんなお城を見てきた今の歳になってやっと分かってきた。

昔何度も来たけど、どうやら見過ごしていたようだな・・・

ナゴヤジョウテンシュダイ2.jpg

 

 

あっちからも。

こっちからも。

天守台石垣を堪能して、また本丸へ戻る。

 

 

空堀に住んでいる鹿。

それがし、金鯱とこの鹿しか記憶がなかったかも。

小さいころの記憶ってそんなもんス。

といっても、中高大の時にも来てるのにな・・・

シカサムソウ.jpg

 

雪の下のエサを探す。

見ているだけで寒くなってきた。ぶるる・・・ 

ガンミ.jpg

 

 

 

雪に煙る名古屋城。

中でも抜群の存在感、金鯱。

天下普請の超巨大城郭。

ホントに素晴らしいお城。

今回は、珍しい雪景色を堪能。

 

 

小さいころから来てるけど。

今度はチビたちを連れて来よう。

晴れてるときに来なきゃ、と思った次第デス。

 

 

 

 

 


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佐倉城(日本100名城) [城]

 

2011年1月16日(日)

 

下総の国、佐倉城。

千葉県佐倉市にある日本100名城。 

 

『サクラ』 というと。

春を感じさせる音感だけど。

それがしが訪城した時は。

めっちゃ寒い・・・ 

なんと! 雪デス。。。

 

 

JR佐倉から雪道をさまよう。

犬を散歩しているおばちゃまに、

お城はドッチ? と聞く。

アッチ、というので、雪のあぜ道を

サクサク歩きながら近づいてみると。

 

大きな土塁。

なんかの堤防のようにデカイっス。

ナガイドルイ.jpg

 

 

土塁沿いに歩いていると。

出枡形が見えてきた。

水堀越しにいい感じ。

日が当たっているので雪が溶けている。

デマスガタ.jpg

 

 

横から雪道をウロウロ。

日が当たってない出枡形内。

寒いから雪が溶けてない。

 

それにしても。

雪の白もいいかも。

そう。

白は。

城に合うかも・・・

ユキノデマスガタ.jpg

 

 

 

佐倉城は。

幕府の要職にあった土井利勝が、

徳川家康公の命によりこの地に

封ぜられたコトから始まり、約7年の歳月を経て完成。

中世の鹿島城跡を利用した総土造りのお城。

 

その城主は、家門・譜代となんと12回も交代。

老中などを輩出する名門の藩。

幕閣の実力者が入れ替わり立ち替わり。

 

 

 

石材がとれない地域なので。

すべてが土造り。

でも、総土造りはスゴイっ。

 

地形を利用しながら石垣を造るお城と違い、

大土木工事、大造成をしながら自然を改変。

思うようにお城を造る。

粘土をシャーっと削るようにお堀を掘り、

粘土をモリモリ盛るように天守台を造る。

すべて人の手によるもの。

 

 

この本丸も、周りは土塁がグルリと囲っている。

人間の手で造られた感が満載。

雪の中を靴濡らしながらウロウロ。

ユキノホンマル.jpg 

 

 

本丸の向こうには天守台。

土造りの天守台は初めてだ。

サクラテンシュダイ.jpg

 

 

 

三の丸の北側。

角馬出。

ココにたどり着くまでに

とんでもない雪の中を歩いてきた。

とにかく、コレが見たかったんですよね。

 

 

美しい造形美。

お堀と言うよりも庭園のよう。

ユキノサクラジョウ.jpg

カクウマダシ.jpg

 

 

 

雪の積もってないときに。

それがしのヒザが痛くないときに。

また絶対来よう。

と思いながら、公園管理センターへ。

100名城スタンプをゲット。

 

 

センター前の空堀。

めっちゃ楽しそうだな、ソリ滑り。

こういうのは一生忘れられない思い出だよな。

と、うらやましく見て。

望郷の念に駆られる。

ソリスベリ.jpg 

 

 

自然の地形を人間の手で造成。

石で補強しない、総土造り。

子供の粘土遊びのように。

好きに造った、思うまま。

なんか今まで訪れたお城とは根本的に違うかも。

 

今度はゆっくりと。

雪が積もってないときに。

まわってみたいお城デス。

また絶対来よう、と思った次第。

 

 

 

 

 


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鉢形城(日本100名城) [城]

 

2011年1月15日(土)

 

埼玉県大里郡寄居町。

初めて来たけど、もう行けないだろうな。

ということで。

はるばるやって来ました、鉢形城。

 

荒川と深沢川に挟まれた

断崖絶壁の上に築かれたお城。

こんな感じだよ、という地形模型図。

ハチガタジョウモケイ.jpg

 

歩いているときは。

シラス台地のように、深いVで

切り分けられた曲輪群と思ったけど。

こうみると、なんかチガウな。

まっ、いっか。。。

 

対岸から荒川越しに見ると。

切り立った崖の向こう一帯が城域。

コレは、天然の要害。

攻め難いお城だったんだろうな。

ハチガタジョウ.jpg

 

 

と、ここまでは。

ホントは帰りしなに見たので。

順番が逆になってしまった。

 

 

 

寄居駅からタクシーにて鉢形城歴史館へ。

普通に歩ける距離ですが、右ひざが痛いので・・・

歴史館にて、お勉強&100名城スタンプゲット。

 

関東管領の山内上杉氏家臣が築城。

その後北条氏が大改修、北関東の拠点として、

また甲斐・信州からの備えとして重要な役割を担った。

 

 

歴史館から深沢川へと下りる。

天然のお堀。

すごいアップダウンでヒザが痛いっス。

フカザワガワ.jpg

 

こんなになってるくらい寒いし。

ブルブル・・・

どおりで他の関節も痛くなってきた。

ツララ.jpg

 

 

二の丸方面へ。

きれいに整備されている。

ハチガタ ホリ1.jpg

 

そういえば。

ココは障子掘だって、

さっき歴史館で言ってたな。

と思いよく見てみると。

確かに掘底に障子がある。

 

コレが北条氏得意の障子か。

初めて見た。

なんかうれしいデス。

ショウジ.jpg

 

 

一番上、秩父曲輪と

呼ばれている所へ向かう。

土塁とかきれいに復元してある。

ヒロイハチガタ.jpg

 

寒いので声出し。

『頼もうっ』 と門をくぐる。

なんか雰囲気出てきた。

オジャマシマス.jpg

 

秩父曲輪も広い。

大きな土塁とその手前の石垣。

土塁の崩壊を防ぐためのものらしい。 

イシヅミドルイ.jpg

 

 

 

奥の神社に参拝。

ココからノタノタと帰ることに。

 

 

空掘なのか造成なのか。

アレも障子なのか。

よく分からないまま、広い城域をウロウロ。

ゾウセイノヨウ.jpg

 

 

荒川沿い断崖上の本丸に突入。

土塁があるけど、あまり整備されていない。

コッチの方が、戦国の雰囲気感じさせる。

崖の上から川を見ると。

めっちゃ高い、コワっ。

思わずキュッとなりました。。。

ダンガイノウエ.jpg

 

 

こんな崖は見たコトないっス。

まさに天然の要害というのがしっくりくる。

とってもスケールの大きなお城でした。

 

 

 

 

 

 


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