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石垣山一夜城 [城]

 

2013年7月6日(土)

 

小田原にある石垣山一夜城。

1590年の豊臣秀吉公による北条小田原攻め。

水陸合わせて15万とも21万ともいわれる大軍で小田原城を包囲。

その本営として関東初の総石垣の城を築く。

長期戦に備え本格的な造りだったらしいけど、

秀吉公は淀君や千利休を呼んで楽しく過ごしていたみたいっス。

 

 

東に野暮用があったので、名古屋駅から電車に乗り込み、

小田原駅の隣駅、JR早川駅で下車。

 

確認したら結構な山の上なのね、と登城開始。

真夏の太陽が道を焦がす中、荷物を持ち延々と山を登る。

めっちゃ急斜面な農道なのに、なぜか車がブンブン登っていく。

誰かそれがしを載せてくれ・・・ 

みんな一夜城に行くのかな。

約1時間弱、炎天下で体が溶け出した頃、やっと到着。

 

広い駐車場には車が一杯、かっぽーも沢山。

どうやら。

駐車場横のヨロイヅカファームというスイーツの店がお目当てらしい。

ああ、川島なお美の旦那のお店かいな、それくらいそれがしでも知ってるマスよ。

なめたら、あキャンデー。。。

 

 

気を取り直してウロウロ散策。

崩れているとはいえ、こんな山の中にすごいな。

大きな石がゴロゴロしている。

一夜城と呼ばれるくらいの突貫工事とは思えないス。

イチヤジョウ0.jpg

 

 

冬の方が草や葉がないので山城見学には向いてるけど、夏の盛りでもいいや。

うち捨てられ感というか自然と同化しつつある感が、風情あるもんな、

と自分を納得させ体を溶かしながら、もとい汗かきながら、ぶらぶらと散歩。

イチヤジョウ1.jpg

 

イチヤジョウ.jpg

 

 

おおっ、山を削り造成している、いい感じっス。

それにしても誰もいないな、駐車場は大混雑だったのに。

イチヤジョウヒロバ.jpg

 

 

展望台から相模湾を望む。

小田原城は見えるか微妙だったけど、ここかな有名なポイントは。

秀吉公と家康公が小田原城を見下ろし連れションしながら、

『あの城が落ちたら、関東はそっくり家康公に差し上げよう』

と秀吉公が家康公に言ったのは。

うん、ココだと思っておこう。

よしっ、それがしも、、、

なんてはしたない事はせず、歴史に想いを馳せた次第。

イチヤジョウカラノケシキ.jpg

 

400年以上前ココに参集した戦国のもののふたちも同じように見たんだろうな。

 

 

さあ帰るか、登ったら降りなきゃ。

フラフラになりながら急坂を下るも、下りは早かったス。

 

歴史上とっても重要なお城。

小田原城攻めの際のエピソードは歴史小説の中でも沢山出てくる。

実際に行ってから再度本読むと新たな発見があるんですよね。

ということで、小田原攻めが書いてあるところを探して読もうっと。

 

あっ、井戸曲輪見てなかった。

うーん、残念。

また見に行かなきゃ、今度は絶対に車だな。。。

 

 

 

 

 


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加納城 [城]

 

 

2013年6月23日(日)

 

岐阜県岐阜市、美濃の国 加納城。

実家に寄った、その帰りしなにウロウロと散歩。

 

関ヶ原の戦いの後、岐阜城が廃されると、

かつて城があった加納に再び城が築かれることになる。

中部地方の諸大名に助役を命ずる天下普請で行われ、

家康公の女婿奥平氏が10万石にて最初の城主となる。

 

かつては堀をめぐらした大きな城みたいなんですが、

今は何もないっス。古い石垣が残っているくらい。

カノウジョウホンマルイシガキ.jpg

 

カノウジョウ.jpg

 

 

土塁に囲まれた本丸は、加納公園として整備されている。

かなーり広い、気持ちイイ広場。

お年寄りがゲートボールに興じていたり、

昼寝している人がいたり、市民の憩いの場になっていましタ。

カノウジョウ1.jpg

 

 

グルリと土塁沿いに散歩する。なかなか広いなぁ。

土塁の上に登り、さっき見た石垣を確認。

カノウジョウ2.jpg

 

 

地元だったのに初めて訪問したっス。

でもまた来るかな、自信ないなぁ、

と、思いながら岐阜駅へ向かった次第でしタ。。。

 

 

 

 

 


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名古屋城本丸御殿 [城]

 

 

2013年6月1日(土)

 

現在復元作業中の名古屋城本丸御殿。

完全復元されるまで3期10年の年月と150億円の費用。

平成30年に全体が公開される、、、うーん長いっス。

どんなことがあろうと、見に来るんだろうな。

 

ということですが、5月29日に一部公開が始まったので。

早速、名古屋城本丸御殿を見に行ってきた次第。

 

10:00過ぎに名古屋城到着。

知り合いの名古屋城振興協会の方に挨拶したら、

今なら20分くらい待ちじゃないですか、との声。

並んでいると50人ぐらいずつ時間差で御殿へと誘導されていく。

 

砂利道をゆっくり歩いているとテンション高まってきた。

あぁ、あの玄関から入りたい、頼もうって。。。

でも、高貴な方専用の入り口なんで、脇から入りましタ。

0ホンマルゴテン.JPG

 

 

第二次大戦で焼けるまで、御殿も天守閣も現存していた名古屋城。

それゆえ、詳細な資料が現在に沢山伝わっている。

極めて忠実に復元・再現できる、というのが凄いことだな。

いろんな意見がありますけど、

この復元だけで名を後世に残すかも、河村市長。。。

 

 

木の香り漂う本丸御殿に入ると江戸時代にタイムスリップ。

あざやかな障壁画に目を奪われる。

それにしてもトラが多い。

タイガいにせいよ。。。

一休さん呼んで来て、退治してもらいたくなるな。。。

そんな戯言は置いといて、金ぴか具合が素晴らしいス。

1タイガーダラケ.jpg

 

忠実な再現なので、照明がなく薄暗いのですが、

わずかばかりの日の光ここまで光るんだ、とチクと感動。

 

いろいろと見るところは沢山でしたが、

iPhoneでは上手く撮れないので紹介は割愛。

天井も竿縁天井、格天井、折上げ天井などがあるらしい。

もらったパンフレットに書いてあった。

 

おおっと、あちらが上段の間か。

格が一番高いお部屋、折上げ小組格天井とのこと。

5ピカピカ.jpg

 

6ジョウダンノマ.jpg

 

うーん、それにしても名古屋城本丸御殿、

それがしが大好きな熊本城本丸御殿より凄いな。

ココは詳細な資料を基に、復元ではなく再現だしな。

一部公開でこんなに楽しいなんて。

完全再現されたらどうなるんだろう。

これからの復元が、とっても楽しみデス。

 

 

幸せな気分になり、天守閣へ登る。

いつもの脚線美を堪能して、鹿を見てお城を後にした次第。

2キャクセンビ.jpg

 

3ヤッパリシカダヨネ.jpg

 

 

名古屋城本丸御殿、一部公開とはいえ一見の価値アリっス。

かつての姿が現代に蘇っている、素晴しい。

これは後世に伝えるべき文化遺産になりマスね。

また見に来よう。

何回でも来たくなる、素晴らしい場所でした。

 

 

 

 

 


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熊本城 [城]

 

2013年4月27日(土)

 

大好きな熊本城、そのなかでもお気に入りスポット。

加藤神社から眺める宇土櫓。

いつ見てもウットりする、宇土櫓だけに。。。

清正公が造った高石垣はホントにスゴイっ。

久しぶりにそれがしとの比較でもしときマス。

ウトヤグラトソレガシ.jpg

 

 

 

 

3連休の初日、天気がイイらしい。

どこ行くと? と前から聞いていたら。

なんとっ! 熊本城に行こうよ、とのたまう嫁さん。

 

よくわかっとるやん、素晴らしい、まさに模範解答。

夫婦になって長くなると連れ合いの気持ちがわかるのかな、

と思っていたけど、実は違ってたみたい。

どうやらキミは去年食べ損ねた太平燕を食べたかっただけなのか。

 

 

ということで。

朝7:45分くらいに車に乗り込むそれがし一家五人。

熊本城はいつ行ってもサイコー、何回でも行きたくなる。

もっともおっと、くまもっと!

とタケモトピアノのCMを口ずさみたくなりマスよね。

えっ、それがしだけ。。。

 

 

1時間半くらいのドライブで到着。

本日は熊本大神宮の駐車場に停め、須戸口門から初めて登城。

大人3人子供2人、1900円也を支払い城内へ。

スドグチモン.jpg

 

ココからは悠々と歩く嫁さんたちと別行動。

あちらこちらウロウロと歩き回る挙動不審なそれがし。

天守まで櫓群を見ながらのアプローチ。

石垣の曲線美を堪能しながら櫓群を下から見上げる

チクと不貞なアングルを楽しみつつ天守へと向かう。

ヤグラグン.jpg

 

 

今日は天気がめっちゃイイ暖かい行楽日和。

天守閣付近はアジアの言葉が飛び交うインターナショナルな観光地。

お殿様気分を味わうために天守に登ろうよ。

クマモトジョウテンシュ.jpg

 

 

小天守から眺望を楽しみながらフト下を見ると。

おっと、これはっ。

とうとう見つけたぞ。

そうなんだ、このアングルからなのか。

天守閣へ向かう橋の下にある階段から続く道。

立ち入り禁止なんで、いつも気になっているんですよね。

下って左に埋門、そしてさらに抜け穴のような埋門。

コテンシュカラミタヌケアナ.jpg

 

下って左に埋門。                  さらに抜け穴のような埋門。

コッチカラヌケテ.jpg コチラニデルノカ.jpg

 

自分で勝手に納得してニヤニヤ。

後から本丸御殿へ行き、模型で確認。

このアングルからかな。

モケイノヌケアナ.jpg

 

他の人にはどうでもいいことだけど。

それがしには大事、というか得した気分になりました。

やっぱりいいお城だ、いつ来ても新しい発見がある。

 

小天守から見る宇土櫓。

どこから見ても完璧なプロポーション。

創建当時からあるとなると御歳400年超えかいな。

歳を感じさせない美しい立ち姿。

ウトヤグラサイコー.jpg

 

 

 

大天守へと移動して、本丸御殿の大きな瓦屋根を見ていると。

なにやら見えるぞ、なんだなんだ。

ホンマルゴテンヤネ.jpg

 

ズームアップすると見えてきた。

なんだ、くまモンかいな。

そういえば、街中くまモンだらけだったな、困るよ。

まったく、くまったもんだ。。。

違うか、正確には。

くまもとじょうに、くまもとうじょう、 だな。。。

クマッタモンダ.jpg

 

 

戯言のあとは、本丸御殿を見学。

そのあとは、宇土櫓。それがしにとってはメインかな。

やっぱりココはサイコーっス。

ウトヤグラ1.jpg

 

 

気分が高揚したまま、頬当御門を出て加藤神社へ。

いつものお立ち台から宇土櫓を眺めウットり。逆光だけどいいや。

オタチダイカラ1.jpg

 

思わず空堀に駆け下りて、

石垣越しに宇土櫓を見上げて喜ぶそれがしをチビたちが撮影。

それが最初の写真でしタ。

 

最後に十八間櫓をまたまた下から見上げてニヤリ。

うーん、素晴らしい脚線美。

1年ぶりに来て良かった、大満足しました。

ジュウハッケンヤグラ.jpg

 

 

 

それがしはもう胸いっぱい、大満足なんですが。

太平燕(タイピーエン)を食べたことない嫁さんのために、紅蘭亭へ。

去年は裏から入ったけど、今日は開店5分前11:25に正面から入店。

すぐに入れたけど、帰り見たら30人は並んでたな。

 

熊本県民のソウルフード、太平燕。

こちらは普通のタイピーエン。

鶏がらの優しいスープに、麺は春雨。

タイピーエン.jpg ハルサメノメン.jpg

 

それがしは、春限定のあさりとクレソンのタイピーエン。

アサリノターピーエン.jpg アッサリトシタアジ.jpg

 

お味は?

ええ、アサリだけにあっさりとして美味しかったデス。。。

 

 

熊本城、太平燕と、くまもとをまともに堪能した1日でした。。。

 

 

 

 

 


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ぶらぶら名古屋城 [城]

 

2013年3月20日(水)

 

とってもお世話になった御仁が名古屋に来られた。

名古屋観光といえば、やっぱり名古屋城でしょ。

ということで、ブラブラと名古屋城散策することに。 

 

イロイロと見ながら歩いていたら、

きんさんぎんさんが20年前に記念植樹された桜だよ、

と警備員さんに教えてもらう。

知らなかったっス、貴重な情報ありがとうございました。

なぜだか、きんさん桜だけが満開。サクラサク。

サクラサク.jpg

 

 

天気良くないのが悲しいけれども、

曇天にキラリと輝くシャチホコに目を奪われ、

本丸御殿の復元具合を見学した後、

天守閣へ登り殿様気分を存分に堪能。

 

 

天守閣から下りて、グルリと周りながら天守台石垣を眺める。

いつ見ても。

ウットリと見惚れる清正流石垣。

素晴らしい脚線美、もとい曲線美。

キョクセンビ.jpg

 

ウツクシイテンシュダイ.jpg 

 

 

そうだ、それがしはコレを探しに来たんだ。 

名古屋城建設初期には、

西側にもう一つの小天守を連結する計画があり、

初期の設計図にはその小天守が描いてあったらしい。

大天守西側石垣にその入り口の痕跡がある、

と酔んでた、もとい読んでた本に載っていたんスよね。

 

おっと、ココだな。

たしかに後から埋められたように周りの石と違うかも。

と、自分を納得させることにする。

イリグチアト.jpg

 

 

いつ来ても楽しいお城のワンダーランド。

本丸御殿の一部公開ももう間近。

ますます魅力を増すばかりの名古屋城。 

後ろ髪を引かれる思いでお城を後にした次第。

また来よっと。

 

 

 

 

 


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大垣城 [城]

 

2013年3月17日(日)

 

岐阜県大垣市の大垣城。

北には中仙道、南には東海道、と西美濃の交通の要衝。

関が原の東方10キロにあり、京へ向かうためには押さえておきたい地。

 

戦国時代には美濃斎藤氏の支城大垣城があり、

美濃を平定した織田信長公が支配下に置く。

豊臣秀吉公時代は、一族や重臣を大垣城主に据えていることからも、

大垣城がいかに重要な地であったか、を証明している。

 

 

ということで、JR大垣駅からテクテク歩く。

時代を感じさせるチクと寂れた商店街。

いい感じで時代を経てきた商店街を歩いていると、

アーケード横に突然現れる。

こんな登場の仕方のお城も珍しいっス。

オオガキジョウイリグチ.jpg

 

 

かつて戦災で焼失するまでは、四重四階建ての天守閣がご鎮座していた。

その姿が説明書きにあったので、パシャリと撮影、かつては国宝らしい。

カツテノオオガキジョウ.jpg

 

四階の天守というのも珍しい。

四は死に通じるということで、お城には四がないんデス。

二の丸、三の丸は普通ですが、四の丸はないですから。

 

 

門をくぐると見えてきた。

四階建てで復元されている。

オオガキジョウ.jpg

 

 

関が原の戦い時の西軍の本拠。

天下分け目の戦いのいろんな作戦が、ココで考えられたんだろうな。

西軍の本拠になったがために、関が原の戦い後には、

徳川家康公率いる東軍に攻撃され、三日間の籠城後開城。

 

その後1635年に戸田氏が10万石にて入封し、明治まで続く。

徳川幕府の基礎が固まっていくとともに、大垣の地も争いの地から変化していく。

 

復元でも、これだけ忠実ならいいっス。青空に白が似合う。

100円也で天守閣内部に入り込み、

展示物を見ながらイロイロと勉強しました。

オオガキジョウ2.jpg

 

オオガキジョウトオクカラ.jpg

 

 

西美濃の拠点、大垣城。

かつては、揖斐川の氾濫原を取り込んだ水の城。

先達の治水のおかげで、氾濫原は跡形もない。

四重四階の復元天守閣が、かつての姿を今に伝える。

いいお城でした、また来て見よう、と思った次第。

 

 

 

 

 


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清洲城 [城]

 

2013年1月6日(日)

 

愛知県清須市の清洲城。

清洲とパンフレットに書いてあったから、清洲にしとこう。

 

新幹線に乗っているとよく見えるので、とっても気になっていた赤い橋と天守閣。

平成元年に造られた模擬天守。

名古屋城の清洲櫓は、清洲城天守を代用と聞いてたけど、随分と違う気がする。

おおっと、パンフレットには天主と表示してある。

まっ、いっか。 

 

 

ということで、初めて来ました清洲城。

逆光なんで、よく写ってなかった、残念。

ギャッコウキヨスジョウ.jpg

 

反対側の広場が工事中だったので、横からパシャリ。

キヨスジョウ.jpg

 

 

交通の要衝でもあり尾張の政治・経済の中心地として栄えた清洲。

1554年に織田信長公が入城、小牧山城に移るまで約8年間の居城。

1560年の桶狭間の戦いでは、ココから出陣して勝利をおさめる。

 

本能寺の変で斃れた信長公の跡目を決める清洲会議の舞台でもあり、

関が原の戦いでは東軍の最前線。そうか、歴史の転換点だったんだな。

 

「関東の巨鎮」 と朝鮮通信使の記録にも残っている名城だったらしいが、

1610年徳川家康公は、清洲廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物・機能全てを移転。

いわゆる 「清洲越」 が行われ、城も城下町も歴史から消え去ってしまう。

 

なんてことを天守閣内部の資料館でお勉強。

へーそうなんだ、と認識新たにしつつ、天守4階から景色を堪能。

 

 

帰りしなに公園にて信長公の銅像に挨拶。

ノブナガコウ.jpg

 

天下統一の第一歩である清洲城。

ココから始まったんだ、と興味深く散歩した次第。

 

 

 

 

 


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小牧山城 [城]

 

2013年1月5日(土)

 

濃尾平野の真ん中に、ポコっと出ベソのような突起。

まさにお椀を伏せたような隆起、ココは小牧山。

 

単身赴任アジトから、地下鉄・名鉄乗り継ぎ小牧山城へ。

今まで高速走りながら、ああアレが小牧山だと眺めていたけど、

初めて来ました、小牧山城。

篤志家が寄附された復興のお城、遠くからでもよく見える。

コマキジョウ.jpg

 

 

わずか85.9mの標高なれども、四方をさえぎるものが何もない小牧山。

頂上の歴史館4階から眺めると、西は伊吹山から、東は御岳山までよく見える。

とっても眺望が素晴らしいス、だだっ広い濃尾平野のまさに出ベソかな。

 

おおーっと、ホントよく見える。

あっちの3つビルが建ってる所が名古屋駅だな。

ナゴヤエキホウメン.jpg

 

こっちの真ん中の丘みたいなのが金華山で岐阜城。

濃尾平野を睥睨する360度の眺望、ココはすごいっス。

ギフジョウホウメン.jpg

 

 

1563年織田信長公は、清洲城から小牧山に居城を移す。

南に大手口を設け、大手道は直線的に中腹まで登り、

右に折れて屈曲しながら山頂の主郭に至る。

案内図を見ていると。うーん、なんか安土城に似ている感じがするなぁ。

 

小牧城に移った信長公は、犬山方面を支配下に置き、

尾張を統一するとともに美濃攻略を行う。

4年後には稲葉山城を攻略、岐阜と名を改め居城を移す。

わずか4年で小牧山城は廃城となり城下町は廃れていく。

 

 

そうか、信長公が築城して450年か。当時こんな天守はなかったんですけどね。

まっいっか、史実とは全く違うけど。こんなのを寄附できる篤志家になりたいス。。。

 ナンチャッテノオシロ.jpg

 

 

時代が下り1584年、小牧長久手の戦い。

豊臣軍と徳川軍による天下分け目の第一回戦。

徳川軍が、かつての城跡に改修を行い堅固な砦へ変身。

その後、江戸時代・明治時代には、

尾張藩・尾張徳川家の手厚い保護を受けることによって、

山麓の土塁や山中の堀は手を付けられず今にその姿を伝える。

 

そんな土塁、ロールケーキのような断面を見学。

コマキジョウノドルイ.jpg 

 

 

織田信長公、徳川家康公ゆかりの小牧山城。

お城の歴史としては極めて短いけれど、歴史上の存在感はかなり大きい。

後に伝わるお城の原型なのかな、と感じるいろんな造形を堪能した次第。

 

 

 

 

 


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岩村城(日本100名城) [城]

 

 

2012年9月23日(日)

 

岐阜県恵那市。

いろいろと想い出がある所だけど、

今日は、単にお城見学だけに来た。

 

岐阜県恵那市の岩村。

女城主で有名な岩村城。

日本三大山城の一つで、近世城郭の中では最も高い場所にある。

なんと! 標高711m! の城山に築かれた典型的な山城。

 

別名、霧ケ城。 

よく霧がかかるのでその名が付けられている。 

しかーし、今日は悲しいことに雨。

最初から思いっきり霧がかかっていました。。。

 

 

それにしても凄かったなぁ。

山の上には壮大な石垣のワンダーランド。

これは、六段の石垣。

本丸の北東面、江戸時代に積み上げられたらしい。

うーん、マヤ文明のピラミッドのようでしタ。

ダンダンイシガキ.jpg

 

これ以上の段段は、石見銀山で見た9段の石垣だけかな。

あれは鉱山だったから城郭とは違うな、しかも江戸時代でもない。

なんてことを思い出しながら、

山の上に素晴らしい石垣を組んだ先達たちに思いを馳せました。

 

 

 

大阪から名古屋に行き、中央線で恵那駅へ。

恵那駅から明智鉄道に乗り岩村駅に辿り着く。

それにしても、明智鉄道はまったく本数がなかったス。。。

 

時代に取り残された結果、趣きが残ったという

気持ちよい岩村の町並みを見ながら坂道を登ること約20分。

雨の時に散歩するにはイイ町並みでした。しっとりした感じ。

 

 

復元された太鼓櫓、表御門までやってきた。

一番左は藩校で移築されてきたらしい。

門をくぐった向こうの資料館にて、100名城スタンプをゲット。

やっとココで92城、あと8城がどうにも遠い。

タイコヤグラ.jpg

 

 

雨も降っているな、どうしようかな。

と思いながらも、帰りの電車来ないから、やっぱり登ろう。

ということで、日本三大山城を登り始める。

 

おっと、石畳になっている。

コレはすごい。

後世に造られたのか、昔からなのかは知りませんが、

杉木立に石畳、日本人なら旅情を感じる光景デス。

晴れている日なら登り易いんでしょうが、

雨の日は滑って滑って、とっても困りました。

イシダタミ.jpg

 

スベリナガラノボル.jpg

 

 

岩村城の起源は不明だが、遠山氏が歴代居城。

戦国時代になると、信濃に進出した武田信玄と、

美濃に進出した織田信長公の間で争奪戦が繰り広げられる。

美濃と信濃の要衝にある重要な地だったから。

 

遠山氏は織田氏と結び、信長公の叔母を正室に迎え入れる。

そうなれば、岩村城は当然織田派。

旦那がなくなった後は、信長公の叔母さんが女城主となる。

しかーし、その叔母さんが!

なんと!武田氏方と再婚してしまう。

織田方から武田方へ華麗なる転身。

 

身内だから叔母だから、と安心して要衝を任せていた信長公は激怒。

そののち岩村城攻略後は、みんな磔刑に処せられている。 

 

 

石畳の山道を登っていくと石垣たちがお出迎え。

霧がかかり、幻想的な雰囲気になってきた。

キリノナカヲノボル.jpg

 

デムカエルイシガキタチ.jpg

 

あいにくな天気だけど、数人の方とすれ違う。

それがしと同じように、明らかに岩村城見学。

こんな石垣たちに囲まれるんですから、

お城好きには堪らなく心地よい場所でしたよね。

 

舳先のような尖り具合の石垣を見ながらさらに登っていく。

フネノヘサキノヨウ.jpg

 

 

おっと、行く先に見えてきた六段の石垣。

晴れた日に見に来たかったな。残念。

ミエテキタロダンノイシガキ.jpg

 

 

いろんな石垣見てきましたが、

おおっとすごいなぁ、と唸ってしまう、この六段の石垣。

でも残念なことに、なぜか変な所に電柱が建っている。

ちょっとずらしてくれれば良かったのに。

ロクダンノイシガキ.jpg

 

 

上に登り、段段部分を覗き見る。

一段が低くても、六段あると高い、こわっ。

ヒエー ウエカラミル.jpg

 

 

一番高い所、本丸へ到着。

雨も止んだし景色がいいなあ、と眺めていたら、

なぜか人がぞろぞろとやって来た。

どうやら車で上まで来られるようで、

ふと見ると、観光バスが停まっている。

イチバンタカイトコロ.jpg

 

うーん、山登りの苦労が。。。 無念かな。

再度振り返り振り返り、六段の石垣を見ながら山を下る。

 

 

日本三大山城。

と言っても、意外と道は整備されていて登り易かった。

雨だったので石畳がスベるのには困りましたが。

山上は、六段の石垣に代表される素晴らしい石垣たち。

石垣のワンダーランド、とっても素晴らしいお城でした。

またいつか晴れの日に登ってみよう、と思った次第デス。

 

 

 

 

 


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仙台城(日本100名城) [城]

 

 

2012年8月26日(日)

 

宮城県仙台市の仙台城、別名 青葉城。

いつ以来だろ、と数えたら16年ぶりの仙台。

台風の時に来て、雨の中仙台城へ行き牛タン食べた記憶がある。 

 

久々に来た仙台はめっちゃ都会、それにしても街並みの緑が濃いー。

街のど真ん中の道路のケヤキ並木、さすが杜の都の名は伊達じゃないっ。

 

青葉城でお出迎え下さったのはこの御仁。

独眼竜政宗の銅像。

この上から目線がなんとも 『E』。

カッコいい。。。

でも、そんな見下ろさんでもいいんじゃないスか。

ドクガンリュウ.jpg 

 

 

 

山形城を堪能したあと、山形駅から仙台駅へ高速バスにて移動。

なんと900円也、路線バスのように走っている。

山形と仙台はこんなに近いんだ。知らないコトだらけ。

 

仙台駅からは、東北本線に乗り国府多賀城駅へ。

多賀城を見学して、再び戻ってきた仙台駅。

仙台駅はものすごい混んでいてビックリしました。

尋常じゃない混み様、帰りのチケットを取るのに一苦労。

 

 

さあ、お城にいくぞ、っと調べていた仙台市バスへ乗り込む。

バスは緑濃いケヤキ並木を通り過ぎ、市街を抜け広瀬川を渡る。

復元脇櫓をチラリと見ながら、山を登るぅ、かなりの山の中へ突入。

東北大学のキャンパスをぐるっと回り込むように走る。

 

それにしても、こんな山によくもお城を造ったもんだ。

20分くらい乗って、仙台城跡南バス亭で下車。

カクカクとした埋門跡の虎口から城内へ突入しマス。

アオバジョウヘ.jpg

 

 

本丸で沢山の観光客の方々にまじり、お土産物屋を散策。

そうだ、16年前もこんな感じだった。台風で人いなかったけど。

伊達政宗騎馬像の周りをぐるっとして、仙台の街並みを見下ろす。

うん、めっちゃ眺望がいい、気持ち良く殿さま気分を味わいましタ。

本丸にある仙台城見聞館にて100名城スタンプを無事押印。

センダイイイケシキ.jpg

 

イイケシキ2.jpg

 

 

『奥州の虎』 『東北王』と呼ばれ、神格化されている伊達政宗。

生まれてきた時代が少し遅かったのと、

生まれてきた土地が都から離れていたのが、

伊達政宗をして天下が取れなかった、と言われている。

 

山岡荘八先生の『伊達政宗』を読んで以来大好きで、本は擦り切れてマス。

伊達男振りのエピソードは沢山あって、書くときりがない。

ココに書いておくのは、お城のことだけにしておこう。

 

 

関が原の戦いの後、諸国の大名が領国統治のために築いた城はほとんどが平城。

戦乱の世も去り、戦闘や防備に優れていても、

日々の政務に不便な山城は、時代に合わなくなってきた。

そんな中逆行するように、天険の青葉山という要害に築城された仙台城。

伊達政宗は関が原の戦い直後の1600年に許可を得て築城開始し、

1602年に一応の完成をみて入城、1610年に本丸大広間などの建物が完成。

 

完全な山城で、城の西南北は深い山林と渓谷が広がり、

特に南側は深さ50m近くある竜ノ口渓谷、東は60m以上にわたる断崖と、

その下を流れる広瀬川が、天然の要害を成している。まさに難攻不落の堅固な城。

 

築城当時は30歳台半ばの働き盛り。秀吉公はすでにこの世になく、家康公は60歳台。

となれば、伊達政宗の心中は野望に満ちあふれ、次の天下は自分が獲る、と思っていたはず。

そんな気概を城の随所から感じ取ることができる。

 

 

本丸からの眺望を堪能しながら、政宗の野望に思いを馳せたあと、

かなりの傾斜の坂道をノロノロと下りて行く。

どうやら昨年の地震の影響で道は車が通行不可に、ところどころ爪跡が。

 

下りる途中で見た本丸の高石垣。

復元とは言え、すき間のない高石垣、黒い姿がかっこいい。

さすが伊達者の本家本物、普通の石垣と違う気がしてきた。

センダイジョウホンマルイシガキ.jpg

 

 

痛ましいながらも復元中の石垣を横目に見ながら下りマス。

シュウフクチュウ.jpg

 

 

大手門のところまで下りてきて、外観復元の脇櫓を見る。

かつては名護屋城から移築したと伝わる大手門があったらしい。

お城の本には写真がいくつも載ってました。

オオテモンスミヤグラ.jpg

 

 

こちらも地震の影響で崩れている。

元に戻るといいな、心より祈念いたします。

イタマシイセンダイジョウ.jpg

 

 

五色沼の横を通り、三の丸へ突入。

市の博物館に入る車で渋滞の中、それがしは土塁を探す。

おおっ気持ちいいっ、と土塁の上を楽しく散策。

ウロウロウロツク.jpg

 

 

三の丸巽門跡を通り、一番下までたどり着いた。

内堀でもあった長沼の横をブラブラと歩きながら、

それにしてもすごい山だったな、と来し方を眺める。

シタマデオリテキタ.jpg

 

 

 

いやー、スケールの大きなお城でした。

帰ってお城の本を見ていたら、

あれっコレ見てない、というところが多かったデス。残念。。。

 

遅れてきた勇将、独眼竜 伊達政宗。

18歳で家督を相続し、瞬く間に奥羽を席巻。

しかし天下の時流に逆らえず、秀吉公の前に屈する。

その後、徳川政権下で62万石の大名となるも、内心では天下を狙っていた。

そんな尽きぬ独眼竜の野望が感じられる仙台城。

ホントにいいお城デス。 また絶対に来よう。

 

 

 

 

 


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多賀城(日本100名城) [城]

 

2012年8月26日(日)

 

仙台駅から東北本線に乗り込み約15分、着いたのは国府多賀城駅。

宮城県多賀城市にある多賀城にやって来ました。

駅にある小屋みたいな観光案内所にて100名城スタンプをゲット。

おばさまにパンフレットをもらいイロイロと話を聞く。

100名城スタンパーに、っとしおりを頂き、多賀城跡へと向かいマス。

 

724年大野東人によって創建され、陸奥国府と鎮守府が置かれた地。

江戸時代初めに、多賀城碑の発見により多賀城跡であることが判明、

多くの学者に研究されその重要性が知られた、と伝わる。 

 

 

駅から歩いて10分くらいで多賀城碑へ。

国の重要文化財、762年の建立とか。

日本三古碑の一つ、奈良時代のもので高さ196cm、幅92cm。

それがしには到底読めませんが、

平城京や各国境からの距離、多賀城の創建などが書いてあるらしい。

覆屋に囲われていますが、その中にすっくと立っていました。

ボランティアガイドさんにいろいろと説明いただく、ありがたいです。

タガジョウヒ.jpg

 

 

多賀城碑から北を見ると、政庁へと続く一本道。

やっぱり南面しているんだ、偉い人は。

でも不自然な道だなあ、わざわざ造らなくてもいいのに。

雰囲気はありますけど。。。 

暑い中、だだっ広い道、アップダウンしながら進んで行く。

セイチョウヘトツヅクミチ.jpg

 

 

おっ、石段いいかも、と遠くからは思ったのですが。

近くに行ったら、残念な感じだった。 まっ、いいか。

アレヲノボレバ.jpg

 

 

政庁は900m四方、周囲は築地塀で囲まれていて、

城内の中央には重要な政務や儀式を行う建物がご鎮座。

ナニモナイッスヨ.jpg

 

 

礎石らしきものがありましたが、今は工事中、整備中でよく分かりませんでした。

それにしても太宰府政庁跡によく似た感じで、既視感を覚えましタ。

なんで100名城なんだろ、と思ってしまいましたが、

悠久の時の流れを感じるこの場所に立ったら、そんなことどうでもいいや。

タガジョウコウジチウ.jpg

 

ナオシテイマス.jpg

 

 

古代律令国家時代の東北地方を治める拠点。

奈良時代からココに立っている多賀城碑。

松尾芭蕉がこの碑に出会い感激したとか、

どうやら歌の世界ではとっても有名なモノらしいですね。

 

古代の声を今に伝える、まさにポーネグリフだな、

と変なことを思いながら多賀城をあとにした次第デス。

 

 

 

 

 


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山形城(日本100名城) [城]

 

 

2012年8月26日(日)

 

はるばる来ました出羽の国。

そういえば、佐伯泰英先生の居眠り磐音シリーズの中でわ、

磐音が白鶴太夫こと奈緒の幸せを守るため

出羽の国まではるばる遠征に行っていたなあ、と思い出す。

 

 

ココは山形県山形市の山形城。

お出迎えくださったのは、この御仁。

戦国時代の名将、57万石の大守 最上義光。

めっちゃっ、かっこいいっ。

あの有名なアルプス越えのナポレオンの絵をパクってるように見えるけど、

こっちのほうが3Dで凄い。完全に超えてマスね。

ノレテルゼイ.jpg

 

 

後ろから見たウマのプリっとしたお尻もいいっ。

あまりのカッコ良さに。

思わず何周もしながら激写してしまったス。

ノッテルノッテル.jpg

 

 

室町時代初期に奥州探題斯波氏一族が、

羽州探題として山形に入り、山形城の原形が築かれる。

斯波氏は最上氏と称し出羽地域に勢力を広げ、

11代義光のころには戦国大名としての地位を確立。

 

義光は、1592~1615にかけて山形城の整備拡張を行い、

現在見られる城の原型を造った。

何度も読んで擦り切れてしまった山岡荘八先生の

『伊達政宗』の中でわ、かなりの悪役なんデスけどね。

今でわ、銅像を造られているくらいの地元のヒーロー。

 

1622年に改易されたあとは譜代・家門が短期間に入れ替わり、

のべ11家にわたる転封が繰り返され禄も小さく小藩になっていく。

 

 

山形城は、四角形の本丸を二の丸が囲み、

広大な三の丸がさらにそれを囲む典型的な『回』の字形の縄張り。

二の丸のお堀をぐるっと散策。土塁がまっすぐ続いている。中世の館の趣き。

ヤマガタジョウオホリ.jpg

 

ヤマガタジョウオホリ2.jpg

 

 

四角形の四辺のうち三辺を気持ちよく散歩。

残り一辺は鉄道になっていて歩けなかったス、うーん、残念。

土塁が続くまったりとした道だけど、城門になると石垣造りに。

ヤマガタフミョウモン.jpg

 

 

それにしても、ゆったりとした時間が流れているなぁ。

なんでだろ、と思って歩いてふと見渡すと、

お堀で釣り糸を垂れている人が結構いましタ。

だいたいどこのお城でも、お堀で魚釣りは禁止のはずだけど。

どうやら山形城では、休みの日だけ釣りOKらしいス。

釣りは休みだけOK、そんな看板が立ってありましたから。

 

 

不思議な感覚を味わいながら二の丸へと突入。

城域は公園化していて、野球場や体育館がある。

本丸のお堀は埋め立てられていたものを発掘したらしい。

本丸へと続く一文字門が復元されている。いー感じだ。

イチモンジモン.jpg

 

 

本丸に突入するも何もなかった。

重機やらブルーシートやらで発掘中の様相。

 

 

二の丸内にある素敵な洋館、今は山形市郷土博物館。

国の重要文化財、旧済生館本館。

かなーり趣きのある雰囲気のいい建物内を見学。

ココにて100名城スタンプを無事ゲット。

モダーンナタテモノ.jpg

 

 

最上義光像まで戻り、復元されている二の丸東大手門へ。

最上時代の外枡形・馬出の形が、後世に内枡形になったとのこと。

なぜなのかはよく分かりませんが、

白い壁、瓦の重厚感、足元の玉砂利に広い空。

こういう静謐な空気が感じられる場が大好きデス。

ヒガシオオテモンコグチ.jpg

 

 

一度城外へ出て見て、いい角度はないかウロウロ。

結局は鉄道がジャマで、うまく見られるポイントがなかった。。。

ヒガシオオテモン.jpg

 

ヒガシオオテモンショウメン.jpg

 

 

戦国大名 最上義光の居城。

典型的な平城で、市民の憩いの場となっている。

いままだ発掘途上のお城、これからどう変わっていくのかな。

なんといっても山形県は藤沢先生の海坂藩がありますから、

また来なきゃいけない、いやまた来たい土地。

次に来るときが楽しみデス。

 

 

 

 

 


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村上城 [城]

 

2012年7月22日(日)

 

新発田駅から電車に乗り込み約40分。

遠かったなぁ、 やっと村上駅へ到着。

 

皇太子妃雅子さまの本籍地として有名になった村上。

そんなコト覚えているのは、昭和世代くらいかな。

 

そんなこんなで、ココは新潟県村上市の村上城。

スタンプを押して回っている日本100名城ではないのですが、

いつも読んでいるお城の本、日本名城百選(小学館)に載っている。

ということで、せっかくなので来てしまった次第デス。

 

 

お城までは駅から2キロくらいの距離。

あまりの暑さに歩くのを断念。

タクシーに乗り、城山の麓まで連れて行ってもらう。

山登りに向けて、体力温存作戦。

 

麓の城へ登り口にある村上城の碑。

頑張ってね、と運転手さんに送り出され、いざ登城。

ムラカミジョウ.jpg

 

 

さあ、登るぞっ。

標高130mの臥牛山の北・西麓に展開する平山城。

結構な急斜面なので、険しい山道かと思いきや。

かなーり、整備された道。

クネクネと何度もスイッチバックするように登るんですが、これなら大丈夫。

 

期待を胸に、思わずスキップしながら登りましタ。

ですが、3つ角を曲がった時点でもうヘロヘロ。

全部で8コのカクカクした登城道、 あー しんど。

ノボリミチムラカミジョウ.jpg

 

 

越後には珍しい総石垣の城、その片鱗が見えてきた。

城域へ入るための最初の関門、四ツノ門。

かなり低い石垣なんですが。

山登り後にコレが待っているのなら、

確かに攻めてきた人の心を折るのだろうな。

ヨツノモン.jpg

 

 

 

二の丸を見ようと思いきや歩くも。

おおっと、工事チウ。

アレが見たいんですが、立ち入り禁止なので断念。

コウジチウ.jpg

 

石垣を横目に見ながら、なぜか下がって登るという

しんどいルート表示に従いました。

登って振り返ると、こちらも立ち入り禁止。

実質、二の丸はスキップした次第、見たかったな。

ココモコウジチウ.jpg

 

 

村上城は、室町時代の本庄氏の築城が最初とされる。

1598年村上頼勝が9万石にて入城し、石垣や8つの櫓を普請。

1618年堀直竒が10万石にて入り、城下町と山城を大改修。

この時の大改修によるのが現在の村上城。

その後は、本多氏、松平氏など多くの譜代大名の居城となる。

 

 

とうとう山頂部分に到達。

なんだかんだ言ってしんどかった。

真夏の登城は、汗がダラダラ。

 

おースゴいっ、大きく立派な天守台。

こんな山の上によく造ったもんだ。

ムラカミジョウテンシュダイ.jpg

 

 

よっしゃっ、本丸へと突入しますか。

こんな山の中、山の上に、カクカクとした立派な虎口。

雰囲気サイコー、突入するワクワク感が堪らないス。

ホンマルヘ.jpg

 

ホンマルコグチ.jpg

 

 

本丸には意外と人がいる。10人以上いてビックリ。

家族連れやら、おばちゃま達やら。

みんなご飯を食べたりして、ゆったりと過ごしていた。

 

 

これはスゴイ、めっちゃ眺望が開けている。

これを見ながら、ぼうっとしたくなる気が分かる。

眼下に広がる村上の町並み。

ホントはもっと開けているんですが、ウマく撮れないス。。。

エニナルワ.jpg

 

 

本丸からの眺望を堪能しながら、

山の上に吹く風を受けマッタリ。

それにしても、このお城は山ユリだらけ。

石垣にはこのユリが咲き誇っている。

いろんな山城行きましたが、こんなのは初めて。

ヤマユリダラケ.jpg

 

 

 

山の上に素晴らしい石垣が展開。

北越では珍しい総石垣のお城。

素晴らしい眺望に加え、ヤマユリが咲き誇る。

 

ホントにイイお城でした。

工事チウの二の丸を見てみたいデス。

いつかまた訪れたいお城になりました。

 

 

 

 

 


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新発田城(日本100名城) [城]

 

2012年7月22日(日)

 

新潟県新発田市、越後の国 新発田城。

今もナマコ壁が美しい櫓と城門が残っている。

 

鎌倉時代以来、佐々木源氏の一族が新発田氏を名乗り築城。

その後上杉景勝の攻撃により滅亡。

上杉氏が会津転封のあと、1598年溝口氏が6万石にて入城。

途中10万石になり、幕末まで外様の溝口氏が治めた地。

 

 

それにしても、新潟は遠いなあ。

新潟駅から50分くらい電車に乗り新発田駅。

そこから歩いて15分くらいでお城に到着。あー、遠かった。。。

 

復元された辰巳櫓から、現存本丸表門、現存旧二の丸隅櫓。

お堀は夏特有の緑色。 

だけど絵になりますね、コレは。

とっても、いいっス。いい雰囲気、来た甲斐あった。

ホンマルミナミカラ シバタジョウ.jpg

 

 

 

開門まで時間があるので表門前の公園にて休憩。

おっと、ここが生まれ故郷なんだ、堀部安兵衛うじ。

高田馬場の決闘で有名な赤穂浪士四十七士のメンバー。

歴史小説には欠かせない御仁。

AKO47ヤスベエ.jpg

 

 

そういえば、赤穂浪士四十七士の名前は何人言えますか?

普通は3人くらいかな。

大石内蔵助、大石主税、と来て次は、堀部安兵衛が続きますよね。

お義父さんは堀部弥兵衛でしょ、ときたら、

赤穂浪士好きだな、と勝手に判断しますが、どうスかね。

というか、さすがに5人以上名前知ってると言われるとマニアだと思う。

それがしは5人どまりス。

 

今で例えると、四十七士でなくAKB48で考えると分かるのかも。

3人以上言えますか? 

おっと、なんか言えそうでコワイ。。。

堀部安兵衛のポジションは、前田、大島と来るから誰になるのかな。

5人以上名前言えたら、AKBマニアになるのかな。

うーん、それがしにはよく分かりませんが、

とにかく四十七士、48人の全員の名前を言える人はいないだろうな。

 

と、くだらないことをイロイロ考えながら開門を待っていましタ。

 

 

1732年再建の表門。

カッチリした石垣の上に、漆喰ときて腰まわりはナマコ壁。

しかも一歩奥に下がったたたずまい。

なんとも奥ゆかしく優美な門だなぁ、と思わず見惚れ足がとまる。

ホンマルオモテモン シバタジョウ.jpg

 

 

門の下で100名城スタンプをゲット。ボランティアの方のお話を伺う。

自衛隊基地なんですよ、すぐ隣が。

と、言われて見ると迷彩色の車が沢山。

ホントだ、城を自衛隊が占拠している。

ジエイタイノキチデス.jpg

 

復元三階櫓は自衛隊敷地内なので、

外から見るだけなんですよね、と言われる。

自衛隊敷地越しに見る復元三階櫓。

緑色の大きなテントが気になってしまう。

ジエイタイノキチゴシ.jpg

 

 

自衛隊にびっくりしながらもウロウロ見学。

表門内部にも入れたし、旧二の丸隅櫓内部にも潜入。

シバタジョウオモテモンナイブ.jpg

 

 

 

外から見たほうがいいですよ、とのアドバイスをもらい、お堀沿いを散歩。

1668年再建、違う場所から移築されたので、旧二の丸隅櫓と呼ばれている。

こちらも腰まわりのナマコ壁の白と黒がなんとも美しい。

ニノマルスミヤグラ.jpg

 

 

 

お堀沿いを歩いていると見えてきた、復元三階櫓。

平成16年に古写真を元に木造にて復元された。

ミエテキタデサンカイヤグラ.jpg

 

 

 

天守閣代わりの復元三階櫓。

普通、屋根に上げる鯱は2匹なのに、

新発田城はもう一匹サービス。

全国唯一、3匹のシャチがご鎮座。

フクゲンサンカイヤグラ.jpg

 

 

新発田城限定品の3匹のシャチをじつと見つめる。

いろんな角度から見たけど、

ちょうど3匹踊るポイントはここくらいでした。

ミッツノシャチ.jpg

 

 

 

意外や意外、とってもいいお城。

堀部安兵衛の故郷であることにも気付かされたし、

自衛隊基地との距離感にもビックリしました。

 

漆喰にナマコ壁が美しい現存表門に現存旧二の丸櫓、復元三階櫓。

なんと三階櫓には、日本で唯一3匹のシャチがご鎮座。

どこを切り取っても、意外性があり絵になる素晴らしいお城でした。

 

 

 

 

 


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吉田城 [城]

 

2012年6月24日(日)

 

かつて吉田と呼ばれていた愛知県東部の拠点都市 豊橋。

ココ豊橋市の吉田城は、三河吉田城とも呼ばれている。

 

徳川家康公が関東移封後は、池田輝政が15万石にて入封。

のちの姫路城主の輝政により、吉田城は拡張整備されていく。

1600年に池田輝政が姫路移封後は、譜代が入れ替わり、

1749年浜松より14松平の一つ、大河内氏が再封され幕末へ至る。

 

 

豊橋駅から歩いて行くとしマス。

結構な距離はありましたが、きわめてフラットな道。

街並み見学・散歩しながらゆっくりと登城。

 

空堀がきれいに残っている。

しかもデカイっス、意外や意外、凄い所だ。

ヨシダジョウカラホリ.jpg

 

 

虎口の石垣は大きく高く、周りを威圧している。

すっげーや、と思いながら、勇んで石垣に上りパシャリ。

あんまり期待してなかったけど、ココはいいっス。

オオキナイリグチ.jpg

 

 

復興されている鉄櫓。

天守がなかったので、実質的な天守らしい。

フッコウノヤグラ.jpg

 

 

入り口で待ち構えているボランティアの方々。

郷土自慢を聞いてよ、という感じ。

それがしいつも聞きマスよ、と話を拝聴した次第。。。

 

そんなこんなで櫓内部から見る豊川。

川の間際に建っている、これぞ背水の陣。

トヨカワヲノゾム.jpg

 

 

櫓を出て、豊川まで下りていくとしますが、

あまりの、崖とも言っていいほどの傾斜にびっくり。

川際から上ってくる人たちを眺めながら、

これは下りたら上るのはしんどいや、とルートを検討。

カワカラノボルヒトタチ.jpg

 

 

とりあえず下っときます。

すると、とんでもない傾斜の階段。

これは足を滑らしたら大変なことになる。

ひえぇー。

体を横にしてコワゴワと下りていく。

コレハオチルヨ.jpg

 

 

無事下ったあとは、川沿いをブラブラと散策。

とっても気持ちのいいお城でした。

あとで豊川にかかる橋から見た吉田城。

こちらから見ると、なかなか絵になる。

カワゴシ ミカワヨシダジョウ.jpg

 

 

豊川沿いの背水の陣。

池田輝政が構想した吉田城。

壮大な感じがする縄張り。

 

結局は未完成のまま幕末まで続く。

完成したらどんなだったんだろうな、妄想は膨らむ。

意外に見所満載、とってもいいお城でした。

 

 

 

 

 


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長篠城(日本100名城) [城]

2012年6月24日(日)

 

はるばるやって来たココは、

愛知県新城市長篠の長篠城。

 

長篠の戦いで有名な地、長篠。

そう、教科書にも載ってた、世界で初めて鉄砲が大量使用された地。

でも、ホントの鉄砲戦は、ちょっと離れた設楽原で行われたらしいデス。

 

 

宇連川と豊川が合流する切り立った断崖絶壁の地が長篠城。

牛渕橋までぐるっと歩き、橋の上から城址を望む。

うーん、これは凄い。

めっちゃ谷が深い、まさに天然の要害だなぁ。

ダンガイゼッペキ ナガシノジョウ.jpg

 

長篠城の篭城戦はいろんな小説にあるけど、 

それがしは池波正太郎先生の『鳥居強右衛門』かな。

主人公すねえもんは、男の中の男。

まさにこれこそ、『   ってやつデス。

 

 城は、二つの渓流が落合う崖の上にあった。

  一万七千の敵軍が、城を包囲していた。

  城にこもる味方は、わずか五百である。

  いかに籠城戦だとはいえ、比較にならぬ戦力の差であった。

  北面に山嶺を背負い、三方の崖下を急流がめぐっている要害の城だから、

  どうやらここまでもちこたえてきたのだ。 』        と、物語は始まる。

 

 

 

豊橋駅から飯田線で約1時間電車に乗り長篠城駅へ到着。

駅から歩いて10分程度で長篠城址史跡保存館。

マイナーな施設なのに、5人くらい見学者がいてビックリ。

教科書に出てくる土地だから子供を連れて見学に来るのかな。

保存館にて100名城スタンプをゲット。

 

展示を見学していると。

すねえもんの磔の絵が出てきた。

どこかのお城でも見たな、と思い後で調べたら中津城でした。

まっ赤に血をみなぎらせ磔刑柱に縛り付けられている。

漢の最後の姿、これは忘れられないス、夢に出てくる。

スネエモン.jpg 

 

 

 

武田勝頼軍に包囲され、落城寸前まで追い込まれ、

辛うじて崖の上の本丸に押しつめられている籠城軍。

川の中まで張り巡らされた武田軍の包囲網を抜け、

約10里離れた岡崎まで、徳川・織田の援軍を頼みに行く。

 

その決死行の使者の役に名乗り出た鳥居強右衛門。

なんとか無事岡崎まで着いたすねえもん。

援軍みなに止められるにもかかわらず駆け戻る。

味方を鼓舞するため、援軍は来るぞ、と伝えるため。

 

しかし、武田軍に捕まってしまう。

 

援軍は来ないと言え、と武田軍に強要されるも、

『 援軍は来る!

    早まって城を明け渡すな!

          今日1日の辛抱ぞ! 』

と叫んだために、磔になってしまう。

 

やっぱり、すねえもんは漢だっ。

生き様、いや、死に様がとてつもないス。  

 

 

 

そんなこんな感傷に浸りながら。

保存館を出て、城址をウロウロ。

土塁や空堀がきれいに残っている。

ナガシノジョウ.jpg

 

本丸は意外と広い。

ここに押し込められていたのか。

ナガシノジョウホンマル.jpg

 

ここからぐるっと回り対岸へ行く。

橋が遠いので、かなり歩く必要がありました。

あーしんど。

途中、すねえもんのお墓などを見学、立派でした。

 

 

対岸にある磔の地。

ココですねえもんが処刑されたのか。

思わず合掌。

ハリツケノチ.jpg

 

しかーし、保存館でもらった資料によると、

ホントの場所から移動されているらしい。

まっ、いっか。。。

 

 

叫んだ場所と磔された場所は同じだから。

ココから叫んだんだ、と思い込み、碑の後ろから崖下の川を覗く。

確かに木がなければ、向こう岸長篠城はすぐだ。

それがしも深呼吸して。

ぜったいまってろよーっ、あきらめんなっよーっ、と川に向かって叫ぶ。

時代を超えすねえもんとシンクロ、不思議な感覚。

ミカタハクルゾー.jpg

 

 

 

世界初の鉄砲戦の地として有名な長篠。

ホントの戦場の場所はちょっと違うのですが。

ココ長篠城の篭城戦はもっと劇場的デス。

 

なんといっても、漢!すねえもん。

その磔の姿、血潮みなぎる赤い裸体は一回見たら忘れられない。

そう、夢にうなされそう。

おっと、それがしはとっても大好きデスよ。

 

数ある歴史の主人公の中でも特に印象深い。

一瞬に燃え尽きる、その姿のみで後世に名を残す。

その一瞬が誰にも真似の出来ない死に様ですから。

 

それがしはずっと忘れないぞ。

すねえもんに思いを馳せながら、長篠城址を散策した次第デス。

 

 

 

 

 


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滝山城 [城]

 

2012年5月20日(日)

 

『日本中世城郭の最高傑作』と、

「日本名城百選(小学館)」に紹介されている滝山城。

いつも本を読みながら、ココは行きたいな、と思ってました。

 

八王子城へ登山後、高尾駅から八王子駅へ。 

八王子駅からバスに乗り約20分、滝山城址下で下車。

今は都立滝山公園となっている。

 

 

ゆるい坂道を上っていくと、きれいな空堀が出てきた。

こんな空堀がそこらじゅうにある。

どうやらココは立体迷路のようなお城。

タキヤマジョウ1.jpg

 

 

フラフラと歩いていると、吸い込まれてしまいそう。

そうすると迷路にはまり込んでしまうんだろうな。

空堀や堀切のV字やU字だらけ、すごい造形。

横に続く空堀を横掘と呼ぶらしい、初めて知りました。

タキヤマジョウ2.jpg

 

タキヤマジョウ3.jpg

 

 

武蔵国守護代の大石氏が1521年に築城。

その後、関東を制覇した北条氏の支配下におかれる。

1559年北条氏照が入城し、城を拡充し大改修。

当時、関東屈指の山城と称され、今にその姿を伝えている。

 

滝山城は、1569年に武田信玄・勝頼父子の猛攻を受け、

三の丸まで破られたが、かろうじて落城は免れる。

しかし、より激しい戦闘を想定してか八王子城を築城し、

1580年代に八王子城に本拠を移転、滝山城は廃城となる。

 

 

おおっと、すごい。

本丸と二の丸を分ける大堀切のV字。

こんなの掘るのは相当な労力だったんだろうな。

タキヤマジョウオオホリキリ.jpg

 

 

先ほど見た木橋を渡ると枡形虎口。

カクカクと曲がり本丸広場へ突入。

ココモカクカク マスガタコグチ.jpg

 

後で見たもう一つの本丸への入口。

こちらもカクカク。キチンと造ってある。

カクカクシテイル.jpg

 

 

本丸はあまり広くないなあ。

でも、遠足とかで来たくなるような公園。

ココでお弁当タイムかな。

タキヤマジョウホンマル.jpg

 

その本丸には井戸がある。

中を覗き込んだけど、暗くて見えなかったス。

タキヤマジョウイド.jpg

 

 

裏手を覗くと断崖絶壁。

これも人の手で造り出している、スゴイ。

ダンガイデス.jpg

 

 

「日本名城百選(小学館)」によると。

 『 関東いや日本の中世の城郭の最高傑作といっても過言ではない。 』

 『 多摩川に臨む突出した尾根を堀切で順次切っていき、曲輪群をつくった。

  その曲輪群を大きな横掘で囲ったもの。

  主郭部に入る馬出や本丸などの枡形虎口、空堀の組み合わせで

  何度も折れ曲がる通路など、縄張りの粋を集めた城といってよい。 』

 

 

お城にもいろんな種類があるんだな。 見学してとても勉強になりました。

 

 

 

 

 


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八王子城(日本100名城) [城]

 

2012年5月20日(日)

 

東京 八王子市の八王子城。

急峻な山地を生かした天然の要害。

ココは、まさに戦国末期の典型的山城。

そう。山登りがとてもしんどかったス。

 

JR高尾駅北口からバスに乗り約5分、霊園前にて下車。

バス停から歩くこと約15分、八王子城の麓に到着。

八王子城跡管理棟にて100名城スタンプをゲット。

ボランティアの方に八王子城跡の説明の紙をいただく。

 

 

うーん。

山に登るべきか、登らないで帰るか。

案内図と説明の紙を見ながら悩みマス。

ちなみに説明の紙には所要時間が書いてある。

登るのは相当にしんどそう、どうしよっかいな。

ハチオウジジョウトハ.jpg

 

 

関東の覇者北条氏は、さまざまな場所に城を築く。

この八王子城もその一つ。

甲斐と武蔵の国境に造られたこの山城は、

甲斐方面からの侵攻を防ぐための縄張となっている。

 

北条氏康の三男 氏照が近くの滝山城から本格的に移転してきたのが1586年頃。

でもまだ築城途中だったようで、その3年後には豊臣勢の攻撃により1日にして落城。

主人の氏照が小田原城に行ってしまい不在だったのが落城の理由らしい。

 

 

山登りをするかどうか、心決めかねるまま平行移動。

麓にある居館跡、御主殿の曲輪へと向かう。

ボランティアガイドさんが案内してくれると言うけど、

それがし自分のペースで見たいので、丁重にお断りしてウロウロ。

 

苔むしていて気持ちの良い遊歩道。

戦国時代には御主殿へ入る道として使われていたらしい。

フンイキハ アルクサッ.jpg

 

 

おっと、趣のある橋だなぁ、曳橋というのか。

かつての雰囲気を考えられて架けられた模擬建築。

フッコウジャ.jpg

 

 

のちほど下から見上げた図。

復元なんだろうけど、段々になった石垣がいい感じス。

当時は高石垣の技術はなかったから、

本当にこんな段々の石垣だったんだろな。

シタカラミアゲル.jpg

 

 

この下には悲しい伝説の場所。御主殿の滝。

落城時に主殿にいた北条方の婦女子や武将らが、

自刃し身投げ、その血で三日三晩赤く染まったと伝わる。

とっても小さな滝。滝に向かって合掌。

合掌していたらなんか背中がゾクゾクっと。

カナシイデンセツ.jpg

 

 

そんなこんなをウロウロしながら、

北条氏照の居館のあった御主殿へ。

しかーし、なんもない。

その名の通り、広場とはこのこと。

でも、この土塁は昔のままなんだろうな。

ダダッピロイ.jpg

 

 

広場では、どでかいカメラを構えた方々が沢山。

なにを見てるんだろ、声を掛けられない雰囲気。

 

探し物は何ですか?

見つけにくいものですか?

ふっふっふーん。

なんて口ずさみながら横目に通り過ぎる。

ニホンヤチョウノカイ.jpg

 

 

下を見たら、きれいな枡形虎口。

ボランティアガイドの方が一生懸命説明している。

きれいに復元してあるし、木も切って見やすい。

後世に歴史を伝えていこうとしている、素晴らしいデス。

ウエカラハチオウジ.jpg

 

 

 

さあ、どうしよ。とりあえず登っとくか。

説明の紙を睨みながらウロウロ。

こういう山ならいろんなルートがあるはず、と適当に歩いていたら。

見つけた城跡の名残りの虎口。

このカクっとしたのがいい感じだなあ。

マスガタコグチ.jpg

 

 

山頂を目指しながら、上へと歩く。

紙に載ってないけど、いろんなルートがありそう。

そこら中に人の歩いたあとが残っている。

 

わき道を歩き、どうやら本当の登山道に合流。

トレッキング姿のおじいさま、おばあさまと沢山すれ違い挨拶。

トレッキング、ハイキングは今の流行りなんだろな。

 

 

九合目辺りに開けた場所。

やっほーい。すっごい眺望。

この写真では1/10も伝わらないですが。

ヤッホー.jpg

 

 

 

なかなかにしんどかった山登り。

お城跡じゃなけりゃ、絶対に来なかった。

 

やっと山頂、本丸に到着。

と思って周りを見渡しても。

うーん、なんだかな。

山頂の本丸は、えらい狭い、狭すぎる。

こんなところで籠城なんてムリですね。

セマッ ホンマル.jpg

 

 

本丸を1周するも見るべきものはなかったス。

右膝に注意してゆっくりと下りて帰りました。 

 

 

甲武国境を守る大要塞。 

舐めてかかったらしっぺ返しを喰らう山登り。

登って感じた、大きな縄張り。

スケールがでかいな、北条のお城は。

お城もイイですが、たまには山登りもよかったデス。

 

 

 

 

 


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やっぱり熊本城 [城]

 

2012年4月29日(日)

 

朝7:00過ぎに車に乗り込み自宅を出発。

車の多い都市高速・九州道を巡航速度で一路熊本へ。 

 

それがしの目的地は、当然のごとくココ!

加藤神社入口から望む宇土櫓。

やっぱりサイコー、毎日これを見て暮らしたい。

サイコーデス.jpg

 

 

 

お義父さんお義母さんの熊本見物にかこつけて、

それがしの行きたい所に連れて来てしまいました。 

真ん中と下のチビも連れて5人で8:30過ぎに熊本城近くに到着。

今日は県民百貨店前に車を停めて、下から歩いて登城するとしマス。

それにしても、GWだけあって人が多かったなぁ。

 

行幸橋を渡りながら坪井川と長ーい塀を見ていると、

心がウキウキワクワクドキドキ。

走り出したい衝動を抑え、櫨方門から城内に突入。

今日はツアコンの役目なので、色々とウンチクを語りながら見学。

竹の丸から天守を望む。折り重なる石垣がイイっス。

スゴイイシガキ.jpg

 

 

大きな石垣をえっちら登り二様の石垣へ。

加藤時代の弧も細川時代の弧もどちらも好きデス。

ニヨウノイシガキ.jpg

 

地上5階地下1階の現存建物、宇土櫓。

表からも見ても裏からも見ても、絵になるその姿。

靴を脱いで中を見学、木の質感に心打たれる。

ウトヤグラ.jpg 

 

 

復元御殿の下の闇り御門を通り抜け本丸へ。

天守に突入したら、あまりの人の多さにビックリ。

クマモトジョウ.jpg

 

人に酔いながらも最上階になんとかたどり着き、

宇土櫓を見下ろす。

うん、この角度もイイっス。

上から見ても絵になるプロポーション。

本当に完璧だな、君の虜になってマス。

ウトヤグラヲミオロス.jpg

 

 

歩き疲れた足を引きずり、本丸御殿へ突入。

縁側で日なたぼっこをしながら休憩。

折上格天井のウンチクを語り、若松之間・昭君之間を堪能。

あの金ピカの天井画を眺めながら寝てみたいス。

ホンマルゴテン.jpg

 

ヤッパリスゲース.jpg

 

 

城内を出て、加藤神社へ向かう途中で抜け穴を望み、

いつものお立ち台から宇土櫓をうっとりと眺める。

ヌケアナ.jpg

 

サイコーデス.jpg

 

 

 

熊本城を堪能したあとは、お腹も空いてきた。

今日もうひとつの目的を果たしにいくか。

それは、太平燕(タイピーエン)を食べること。

熊本だけでしか食べられない地のモノ、

熊本県民のソウルフードらしい。

熊本城から10分くらい歩き、有名店のひとつ紅蘭亭へ。

コウランテイ.jpg

 

実は知らずに勝手に裏口から入ってしまった。

えらい混んでるなぁ、と思ったら表に並んでいたみたい。

まっ、いっか。

店員さんもしゃあないなコイツら、

みたいな感じだったけど、すんなりと席へ通される。

 

ということで太平燕(タイピーエン)。

見た目はチャンポン。

鳥ガラと豚骨の共出しらしい。

タイピーエン.jpg

 

麺が春雨になっているのが違い。

ツルツルとした食感が新鮮、こんなのもアリだな。

これは女性うけするんだろうな。

意外や意外に美味しかったデス。

ハルサメダ.jpg

 

 

 

それがしの2大目的も果たしたので、熊本見物も無事終了。

また高速に乗り福岡へ帰ってくる。 

 

あれっ、そういえばお義父さんお義母さんと一緒に行ったんだ。

それがしは満足だったけど、どうだったのかな。

うーん。まっ、いっか、と勝手に納得してしまった次第。。。

 

 

 

 

 


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高崎城 [城]

 

2012年4月22日(日)

 

群馬県高崎市、上野の国 高崎城。

高崎城跡は現在、官公庁や公共施設になっている。 

 

1590年関東に移った徳川家康公は、井伊直政を箕輪城に封じる。

しかし、中山道の要衝和田を重視した家康公は、

1598年に直政に和田城を取り込んだ形の新城を築かせ、名を高崎と改めた。

 

残っている現存遺構は2つだけ。

一度は払い下げられた乾櫓と東門、城内に移築されてきた。

県内唯一の城郭建築、しかも現存の櫓では最小のもの。

なんとも希少な物件デス。

タカサキジョウ1.jpg

 

表からも裏からじっくりと見学、説明書きもしっかり読む。

意外と人通りが多くて、写真をうまく撮れない。

しかも、なんかレンズが汚れているのかな、カメラ換えたい。。。

 

近くに石垣が復元されていたり、埋門みたいのがあったりと、きれいに整備されていました。

 

 

見るべきものは見たので、高崎駅へ帰ろう。

と、お堀際を歩くも、たんなるアスファルトの歩道。

せっかくなので土塁の上を散歩することに。

桜が散ってしまっているけど、風情がある散歩道。

タカサキジョウ.jpg

 

タカサキジョウ2.jpg

 

家に帰り、お城の本(学研の「城造りのすべて」)を見てみたら、

土塁を説明してある章の中で、高崎城の土塁が紹介してあった。 

 

 

井伊氏のあと、譜代の重鎮が次々と交代した要衝の地。

遺構は少ないですが、気持ちの良い散歩道となっている土塁。

楽しみながら散策して、高崎駅へと向かった次第デス。

 

 

 

 

 


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箕輪城(日本100名城) [城]

 

2012年4月22日(日)

 

群馬県高崎市箕郷町にある箕輪城。

 

新大阪から始発の新幹線に乗りこみ、

東京に着いてからはJRの鈍行にて高崎へ。

それがしにとっては未踏の地、高崎。

ゆっくりと駅前見物するまもなく、バスに乗り込み約30分。

箕輪城近くに着いたときにはお昼前。かなり遠かったっス。

 

市役所支所にて100名城スタンプをゲット。

説明の紙をもらい、行き方を教えてもらいひたすら歩く。

 

こんな看板が見えてきたので、素直に順路を行っときマス。

山城という感じではなく、台地の上に造られている感じ。

ミノワオサンポコース.jpg

 

 

散歩道みたいなのが整備させているので楽チン。

それにしても紙を見ながら歩いているけど、

どんな城だったのか、イメージが湧いてこない。

ノボルミノワ.jpg

 

これは堀切のかな、と思いながら進むと。

土橋みたいな所が出てきた。

こういうのに詳しくないんスよね、と思いながら見学。

アルキマス.jpg ドバシッポイ.jpg

 

おっと、視界が開けてきた。

なんだ、木が切られている。

空堀を見やすくするためなのか。

その心まことに潔よし、と勝手に唸っていたら。

キガキッテアル.jpg

 

 

 

なんだこれは。

なんともすごいっス。

こんな大きな長い堀切みたことない。

あっ、と、うっ、とかしか言葉が出ない。

つまりは、圧倒されました。

デカイタテボリ.jpg

 

幅30m、深さ20mらしい。

しかも麓まで続いている、すごい長さ。

氷河が流れ落ちて出来た跡みたい。

木が切られていて、見やすいことこの上ない。

 

 

この土橋の左側が、さきほどの大堀切。

右側も大きな堀切というか空堀みたいなのが続く。 

ドバシ.jpg

 

 

 

箕輪城は1500年頃に長野氏によって築かれた。

長野氏は西上野の支配者となるも、武田信玄により箕輪城は落城し、滅亡。

その後、武田・織田・北条・徳川氏の城として使われ、最後の城主になったのが井伊直政。

徳川家康公の家臣として最大の領地12万石を拝領し、箕輪城に入城したのが1590年。

1598年には、高崎に新城を築いて移転、箕輪城は廃城となる。

今残っている堀などは井伊氏時代のものだが、北条時代に今の形になってたらしい。

 

 

 

大土木工事に思いを馳せながら順路の矢印を歩く。

同じような景色と空堀が続き、方向感覚がマヒしてきた。

ドコマデモツヅク.jpg

 

 

 

あれっ、ココはなんだ。

いつの間にか空堀の底に導かれて来た。

振り返って、歩いて来た道を確認。

それにしても、大きくて深い、すごいなココ。

オリテキテシマッタ.jpg

 

 

 

空堀の底をひたすら歩く。

誰もいないし、両側は崖。

立体迷路の中の迷い込んだ気持ちに。

心細いス・・・

ホリキリノソコ.jpg マヨッタカモ.jpg

 

 

あとから本丸から見下ろした空堀。

かなりの高低差。

そういえば、鹿児島の知覧城で見たのと同じ感覚かも。

シラス台地を切り開いた大堀切に、独立した曲輪群。

ここも同じように火山でできた土地なのかな。

ウエカラミル.jpg

 

そんな学術的なことはどうでもいいや。 

それがしはただウロウロと迷い歩くだけ。

 

 

 

何にもないのに、なぜだろう。

見ていて楽しくなってきた、不思議な感覚。

こんな城跡というのもあるんだ。

中世山城とかの魅力はこういうものなのかな。

石垣とかもあったけど、やはりココは空堀。

こんな山の中によく造ったものだ。ホントにスゴイ。

スゴイホリキリ.jpg

 

 

木が切ってあり、かつての姿がよく見られるように整備されている。

ココを訪れるお城好きには堪らない。

お城好きにフレンドリーな姿勢に感動。

 

 

山の中に現れる壮大なスケールの堀切・空堀。

空堀底を歩きながら人間の小ささと、

自然を造形する人間の知恵の偉大さを感じる。

 

何もないけど、確かにココはお城でした。

不思議な気持ちにさせられました。また行ってみたいデス。

 

 

 

 

 


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お花見 @福岡城 [城]

 

あっという間に もう四月も終わってしまう。

早いもんだ、時がたつのは。

四月もいろいろあったな。

というか、ブログ全然更新してなかったっス。

忘れないように、備忘録として書いておかなきゃ。

 

 

 

2012年4月1日(日) 

 

家族5人で自転車に乗ってお花見へ。

西公園の桜を堪能。

でも花見の人でゴチャゴチャ混んでる。

ちょこっと南へ下り大濠公園へと向かう。

大濠公園の池の周りを自転車でグルグル。

 

ココまで来たら行っときマスか。

大濠公園の隣ですからね。

ということで、今年も桜の季節に福岡城へ。

 

 

石垣と桜。

やっぱり合う、ベストマッチング。

それがしの心を鷲掴みする組み合わせ。

フクオカジョウ.jpg

 

 

天守台横を登り、南の丸にてお花見。

みんなでお弁当を食べて春を満喫。 

現存遺構、南の丸多門櫓。

今年も内部開放されていた国の重要文化財。

ミナミタモンヤグラ1.jpg

 

ミナミタモンヤグラ2.jpg

 

いつもは人がいないお城に、沢山の人が来てくれて嬉しいス。

桜の名所となっているお城は多いですから、

この季節はみんなお城に誘われるんだろうな。

今年も楽しいお花見、やっぱりお城はいいっ、と再確認した次第。

 

 

 

 

別の日のこと。

たまには乗っておこう、ということで嫁さんと走る。

いつもの唐津城を望むポイントでタッチダウン。

糸島の海岸沿いを走り家へと戻る。

イツモノカラツジョウ.jpg 

 

その前にちょっと乗ったけど、実質的には今年初めてのツーリング。

そろそろバイクにも乗ってやらんといかんな。がんばろうっ、と思った次第。

 

 

 

 

 


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久しぶりの大坂城 [城]

 

2012年3月25日(日)

 

かつてお世話になった方々が来阪。

いろいろとお話したり酒飲んだり。

大阪観光といえば、やっぱりココは外せない。

 

ピカリと輝く大坂城。

こんな巨大石垣は大坂城だけ。

オオサカジョウテンシュ.jpg

 

 

久しぶりに天守閣の上まで登る。

登るのに600円也。

 

それしにても、ものすごい人が多かった。

さすが大坂城。 

人の多さ、過剰ス。。。 

 

 

人の波に押されながら、天守閣最上部から見た景色。

テンシュカラ1.jpg

 

テンシュカラ2.jpg

 

 

この巨大城郭はやっぱりスゴイ。

来るたびにその大きさに圧倒される。

新たに知ることも多いデス。

 

久しぶりに天守に登り、殿さま気分を味わった次第。

 

 

 

 

 


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山中城(日本100名城) [城]

 

2012年3月11日(日)

 

静岡県三島市にある山中城。

三島駅からバスに乗ること約30分。

かつての東海道、今の国道1号線を通せんぼするように造られている。

それもそのはず、関東の覇者北条氏が、小田原城を守る

西方の防衛ラインとして1558~1570年ごろに築城されたらしい。

 

案内図を見ると、1時間コースと2時間コースがある。

こういう山城は、基本走って回るので2時間コースを選択。

おっと、その前に売店にて100名城スタンプをゲット。

ヤマナカジョウアンナイズ.jpg

 

 

三の丸堀のきれいなVラインを横目に見る。

ゆっくりもしていられないので、上へと急ぐ。

キレイナカラボリ.jpg

 

きれいに公園化され整備されて分かりやすい。

でも、ツルツルすべるのはなぜだろう。

芝生でないところで滑る滑る、登りにくかったス。

ヤマナカノボル.jpg

 

どんどん登って西ノ丸へ到着。

ヒロバ.jpg

 

トレッキングか何かのお年より軍団(バス6台)

がいたので、いなくなるまで景色を見ながらぼうっとする。

天気がイマイチだったけど、いい眺望。

でも富士山が隠れていたのが残念。

 

 

おおっ。

畝掘っていうのか、障子堀っていうのか。

こんなの見たことない、すごいっス。

ウネウネウネ.jpg

 

 

おおっ、すごいっス!

やっと見にきたよ障子堀!

さっきもあちらから見たけど、こちら西櫓から見た障子堀。

これが見たかったんですよね。見られてとってもうれしいデス。

まさにワッフルのような造形美。北条氏の築城技術はすごいな。

ワッフル2.jpg

 

ワッフル1.jpg

 

 

1590年3月29日、山中城は豊臣秀吉の北条攻めの軍勢を引き受け落城。

7万とも3万ともいわれる豊臣軍を4千で防衛したが、半日で落城したと伝わる。 

 

山中城の攻防戦といえば、司馬遼太郎先生の『功名が辻』。

春日遅々の章の後ろ部分が山中城が舞台。 以下抜粋。。。

 

 

「ごめん」

  といって石垣にとりつき、どんどんのぼりはじめた。

  ついに塀にとりつき、塀のふちに両手をかけ、ぐっと身を持ち上げ、半身、むこうがわへ

  突き入れたとき、どっと城兵が駆けてきてなかの一人が大薙刀をふるい、

ばさっ

  と腰を車切りに両断してしまった。両手はなお塀のてっぺんをつかんでいる。

  胴から下だけが、下へと落ちた。

「あれをみよ」

  観戦している秀吉でさえ、眼をそむけた。

(男なのだ)

  真下にいる伊右衛門はおもった。

(男は所詮、功名の化物のようなものだ。その執念が、塀にぶらさがっている)

「よじろっ」

  伊右衛門も、いっぴきの鬼になった。

  功名が、城の上にある。

 

 

まさに『功名が辻』の題名にふさわしい場面が、この山中城。

だけど、とりついた石垣というのはないんですけど・・・ 土造りの巨大城郭。

 

それにしても、このワッフルはいいな。

ココでしか見られない限定品、サイコー。

ワッフル3.jpg

 

 

あんまり整備されていない畝堀たちを見ながら駆け足で。

北ノ丸、本丸を見て二ノ丸を突っ切って下る。

ウネ.jpg

 

オモムキアルウネ.jpg

 

 

国道1号をわたり、岱崎出丸へ。

広ーい芝生が気持ちよさげな公園の趣き。

先ほどのお年寄りバス6台分がお弁当を食べている。

なので写真は割愛。

 

その岱崎出丸下の一ノ堀。

これは高くて登れない。

ここが功名が辻の舞台のような気がしてきた、そう思っておこう。

ノボレナイナ.jpg

 

 

箱根旧街道を少し歩きバス停へ向かう。

と、ちょうどココまでで約1時間くらい。いい運動になりました。

ハコネカイドウ.jpg

 

 

北条流築城法が至るところに見られる。

特に、ワッフルのような障子堀は山中城限定品。

本当に素晴らしかった。

もっと天気のいい日にゆっくりと散歩に来たいな。

絶対にまた来るぞ、と思った次第。

 

 

 

 

 


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川越城(日本100名城) [城]

 

2012年2月12日(日)

 

埼玉県川越市、川越城。

 

お城の遺構は少ないけれども。

なんといっても、日本でも数少ない現存本丸御殿。

 

大きな唐破風が川越城の格式を感じさせる。

なんかうまく撮れていない、カメラ換えたい。。。

カワゴエホンマルゴテン.jpg

 

この格式、それもそのはず。

川越城は鷹狩りでたびたび将軍の『御成り』があったため、

将軍のための『御成御殿』であったと考えられているらしい。

といっても、現在の御殿は1848年に建てられたものなんだけどな。

 

川越城は太田道灌が築城、上杉氏が居城とした。

川越夜戦という決戦によって北条氏に奪われ、

これによって北条氏の関東における覇権が確立。

徳川家康公が関東移封後は、江戸の『大手』が小田原城なら

『搦手』は川越城、といわれるほどの重要なお城。

ちなみに大手は正門、搦手は裏門。

万が一のときは、搦手から逃れるために、むしろこちらの方が大切かも。

幕府重臣や譜代大名が8家21人も入れ替わり、明治維新を迎えることになる。

 

 

川越城本丸御殿入口にて100名城スタンプをゲット。

城跡も見ていってね100名城スタンパーなら、と城跡説明の紙も渡される。

それにしても、スリッパがないなんて。

ううう、足の裏が凍えるぅぅぅ・・・

黒光りした廊下が歴史を感じさせるけど、冷たすぎマス。

クロビカリ.jpg

 

 

現存している建物はコレ、という図を見ると、

当時の御殿のほんの一部だけしか残ってないんですね。

部屋は襖ではなく杉戸。

その杉戸に直接絵が描いてある。へえー、初めて見た。

シシャノマ.jpg

 

 

隣に家老詰所が移築されている。

詰所の中では何やらお取り込み中。

オトリコミチウ.jpg

 

カワゴエジョウホンマルゴテン.jpg

 

 

 

本丸御殿を堪能した後は、富士見櫓跡を見に行く。

行き方を教えてもらい、ちょっと歩いたら見つけた丘。

かつては三重三階の富士見櫓が天守の代用として建っていた。

今は神社になっている。登ってみたけど、富士山は見えず残念。

フジミヤグラアト.jpg

 

 

富士見櫓跡から少し歩いたら中ノ門堀跡。

かつては相当大きな城郭だったんだろうな。

今は宅地化、土造りのお城だったからしょうがないかな。

ナカノモンボリ.jpg

 

ここまで来ると、土蔵やらが出てきて

小江戸の町並みといった趣きが濃くなってくる。

そぞろ歩いている観光客がどんどん多くなってきた。

 

 

それがしも久しぶりに時の鐘を見て、

江戸情緒に浸りながら散策し、駅へと向かいました。

トキノカネ.jpg

 

 

 

希少な現存本丸御殿が残る川越城。

黒光りする廊下がとっても印象的でした。

 

お城の痕跡は少ないけれども、

かつての城下町を偲ばせる町並みが今も残る。

『世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり』

と詠われた川越、とってもいい風情でした。

ゆっくりと町並みを堪能しに行きたいな、と思った次第デス。 

 

 

 

 

 


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小田原城(日本100名城) [城]

 

2012年2月12日(日)

 

神奈川県小田原市、

相模の国 小田原城。

 

室町時代から戦国にかけて、関東が準独立国であった頃。

北条早雲という伊勢出身の流れ者が、伊豆を領国とした後に、

小田原城を攻略、この小田原城に本拠を移し、関東の覇者となる。

なんて、下克上の象徴と教えられた覚えがあったんですが、

本当は足利将軍の側近伊勢氏の一族で、将軍秘書官のような人だったらしい。

足利幕府のエリート官僚だったんだ。。。

 

武田信玄や上杉謙信を撃退した天下の堅城だったが、

豊臣秀吉公の小田原攻めによって取り囲まれ、落城の憂き目にあう。

そのときの小田原城と、現在見られる小田原城は、どうやら別物。

 

北条氏の後、関東の覇者として江戸に入った徳川家康公にとって、

関東の入り口である小田原は重要な地。そのため譜代の重臣が封じられた。

大久保氏、幕府直轄、稲葉氏と来て、また大久保氏が返り咲き、幕末まで続く。

稲葉氏時代に幕府のテコ入れにより大規模普請が行われ、

今見られるような形の近世平山城としての小田原城が誕生。

 

 

それがし10年以上前に来て以来ひさしぶり。

明日が御用なので、その前にスーツ・革靴にて登城。

 

 

小田原駅からテクテク歩いてお堀にたどり着く。

お堀にかかる赤い橋を渡りたくなる衝動を抑え、

もうちょっと歩き、平成21年に復元された馬出門へ。

ウマダシモン.jpg

 

 

馬出門から今来た方向を見てみると、

隅櫓とさっき思わず渡りそうになった赤い橋。

スミヤグラ.jpg

 

 

馬出門から馬屋曲輪へ入ると、大量の観光客。

すぐそこが観光バス専用の駐車場だからな。

やっぱり、ココ小田原城は人気の観光スポット。

 

馬屋曲輪から見る銅門方面。

前来た時は、これができたばかりの時。

どうやら平成9年復元らしい。

いろいろあったな、と自分の来し方に思いを馳せる。

アカガネモンホウコウ.jpg

 

 

広ーい枡形虎口に大きな銅門。

こんなんだったんだ、忘れてました。

ものすごいきれいでびっくりっス。

こんな立派な復元はどんどんやって欲しい。

アカガネモン.jpg

 

 

銅門(あかがねもん)の名前の由来となった銅板。

風化によってくすんでいるけど、たしかに赤黒いつやのある色。

ドウバン.jpg

 

 

 

空堀を渡り、坂を上っていくと常盤木門。

ここにも大きな空間。

おお、この雰囲気、気持ちいいーっ。

思いっきり深呼吸。

思わず空を見上げると、

とんでもなく大きな松が天に伸びている。

トキワギモンマエ.jpg

 

常盤木門から本丸へ入る。

本丸には大きな松が沢山あるけど、

先ほど見た巨松を探し、後ろからガン見。

こんな大きな松は今まで見たことない。

それにしても、松なのに、でかすぎ。。。

マツダケドデカスギ.jpg

 

 

 

人が多い本丸をウロウロしていると。

おっと、大きな松越しに天守閣が見えてきた。

キネンシャシン.jpg

 

 

江戸時代に作られた雛型や引き図を基に復興された天守閣。

3重4階の天守に付櫓、渡櫓を付けている、とのこと。

いやーホントに、青空に映えるなぁ。

素晴らしい美しい、思わずうっとり。。。

やはりお城には人を惹き付ける力がある、と観光客の皆様を見ながら実感。

オダワラジョウテンシュ.jpg

 

 

 

天守閣入り口にて、100名城スタンプをゲット。

いろんな展示物を見て勉強しながら上へ。

最上階は外に出て景色を見られるよう廻縁がある。

あちらは石垣山一夜城方向。

見に行きたかった・・・ いつか行こう。

イッテミタイナ.jpg

 

 

風が強くてちょっと寒かったけど、

天気がいいので素晴らしい眺望。

キモチイイス.jpg

 

 

天守閣を堪能して殿さま気分を存分に味わう。

下りてきて見上げると、青空を切り取るギザギザ。

やっぱりカッコいいなぁ。

ギザギザオダワラ.jpg

 

 

空堀を見ながら報徳二宮神社へ。

二宮尊徳って、小田原の人だったんだ。

知らなかったデス。

神社でお参りして、お堀沿いを駅へと戻る。

カラホリ.jpg

 

 

かつて関東の覇者の居城。

何度もの実戦をくぐり抜けた堅城。

東海道の要所に立ち、関東の入口を守る。

風格ある巨松から、歴史を感じることができる。

とっても素晴らしいお城。

今度はゆっくりと見に来よう、と思いました。

 

 

 

 

 


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柳生陣屋 [城]

 

2012年2月11日(土)

 

奈良県奈良市の柳生の里。

譜代柳生氏1万石の陣屋、柳生陣屋。

徳川三代に仕えた柳生宗矩が1642年陣屋を築く。

 

奈良駅からバスに乗って約50分。

かなり遠かったですが、歴史小説好きとしては一度は来て見たかった柳生の地。

だって、歴史小説と柳生一族は、切っても切れない関係ですから。

 

将軍家剣術指南役の柳生家は、江戸駐在の定府大名だったため、

陣屋はただの代官所みたいな趣き。お城という雰囲気はなかったデス。

かつては小学校となっていた入り口から入ると、石舟斎と十兵衛が出迎えてくれる。

ジュウベエガマツ.jpg

 

 

建物跡や井戸が基壇で一段高く示されている。

あとは何もなかった。ウロウロと陣屋跡を散歩。

ヤギュウジンヤ.jpg

 

 

 

歴史小説ではいたるところに出てくる柳生一族。

柳生のイメージを強烈に植え付けた『柳生武芸帳』、何度読んだことか。

厚くて面白くて時を忘れさせてくれるサイコーのエンターテイメント本。

もうボロボロになってます。

惜しむらくは未完なんですよね。何度読んでも結論が出ないまま、モヤモヤ。

一体誰が一番強かったんだろう。

それがし十兵衛びいきだけど、奥義 西江水を使えそうなのは兵庫だし、

宗矩には及ばないと十兵衛言ってたな、浮月斉は宗矩と引き分けたしな。。。

 

 

結局陣屋は何もなかったス。

看板も読めない、かすれていた。

ヨメナイッス.jpg

 

 

 

陣屋を後にして、谷を挟んだ向こう側の山を登り芳徳禅寺へ。

正木坂道場を見ながら、寺の裏手にある柳生家のお墓へ。

代々の柳生の方々の名前を確認。

おお、この人はあの小説に出てた人だ、とイチイチ納得。

ヤギュウノオハカ.jpg

 

 

もうひとつ目的の場所に行ったけど、それは別に書いておこう。

 

 

帰ろうと、バス亭近くから見た十兵衛杉。

柳生十兵衛が諸国放浪する前に植えたと伝わる。

ジュウベエスギ.jpg

 

枯れてなお、すっくと立っているその姿にちょっと感動。

カレテイル.jpg

 

 

お城として考えたら物足りない柳生陣屋。

でも、柳生一族の里ならでは、という物件もあり楽しかった。

いつかまた来たいな、と思った次第デス。

 

 

 

 

 


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浜松城 [城]

 

2012年1月14日(土)

 

静岡県浜松市。 

遠江の国、浜松城。

 

1570年今川氏から遠江を奪った徳川家康公は、

三河に近く天竜川を防衛線とできる浜松に目をつけ本拠にした。

この浜松城から幾多の合戦に出陣したが、

三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた家康公が逃げ戻り、

九死に一生を得たのも浜松城。

29歳から45歳まで17年間、脂の乗り切った時期の居城。

 

駿府城、掛川城と2つのお城に行ったあとに浜松城へ。

この間、takechanさんが訪問されていたのを読んで、来たくなったんですよね。

takechanさんの浜松城訪問の記事 → コチラ

 

 

浜松駅から結構距離があり、20分近く歩いて到着。

登り始めると、荒々しい石垣が目に飛び込んできた。

アラアラシイイシガキ.jpg

 

 

おっと、ここにも家康公。

今日はよくお会いしますね。

その丸いのなんですか、何を持ってるんデスか。

ハママツノイエヤスコウ.jpg

 

 

それにしても、このゴツゴツ感すごいな。

よく崩れないもんだ。

と感心しながら歩いていたら天守が見えてきた。

ハママツジョウ.jpg

 

 

史実には基づかない復興された模擬天守。

徳川幕府が確立したあとは、次々と譜代大名が入れ替わり

二十二人の城主の半数以上が、浜松在城中に

老中、大阪城代、京都所司代など幕府要職に取立てられる。

いわゆる徳川幕府における『出世城』。

そんな重要なお城だから、復興模擬天守だけど、あってもいいっス。

ハママツジョウ1.jpg

 

 

天守閣の中に入り見学。

天守地下には井戸があった。珍しいもんだ。

これ見ると、五右衛門風呂みたい・・・

オフロミタイ.jpg

 

 

帰りは違う道を下る。

とはいっても、コチラもすごいゴツゴツ感。

戦国武将が造ったお城、といった香りがプンプン漂う。

スゴイナコノイシガキ.jpg

 

 

 

お城の裏にある日本庭園を歩く。

こちらは日が陰ってきて、

ちょっと寂れた感じがいとおかし。。。

テイエン.jpg

 

鎧掛松の3代目。

ちっちゃかったデス。

サンダイメ.jpg

 

 

若き徳川家康公が、29歳から45歳まで在城。

周辺諸国の名家、強大な戦国大名に囲まれながらも

戦い生き延び、天下取りの夢をつかんだ場所、浜松城。

質実剛健を形にしたような荒々しい石垣が印象的でした。

 

 

 

 

 

 


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掛川城(日本100名城) [城]

 

2012年1月14日(土)

 

静岡県掛川市。

遠江の国、掛川城。

 

新幹線で掛川駅を通り過ぎるときに、小さいながらも気品のある天守閣が見える。

見に行きたいな、と新幹線に乗るたびに思っていたけれど、今日やっと来ることができました。

平成六年に、山内一豊が掛川城を模して築いたという高知城を参考に、創建当時の天守が復元。

木造で復元されたその姿を見て、各地で木造再建ブームが起きたらしい。

カケガワジョウ.jpg

 

 

 

掛川駅からまっすぐに歩いて10分かからず到着。

青空をバックにいい感じだなぁ、と思いながら階段を上がっていく。

ミエテキタテンシュ.jpg

 

だんだんと近づいていくが、代わり映えのしない景色。

うーん、もしかすると遠くから眺めるのがいいのかもな。

ノボリマスカケガワ.jpg

 

と思ってお城を眺めていたら、

後ろから曲者が現れる。

ビックリさせないでくだないよ・・・

太鼓櫓をバックにパシャリ。

クセモノジャ!.jpg

 

 

 

掛川には今川氏の重臣朝比奈氏が城を構えていたが、徳川家康公がこれを攻略。

1590年に家康公が関東に移封されると、豊臣秀吉公の家臣・山内一豊が入城し、

近世城郭に改修、天守閣も造られた。家康公を関東に封じ込めておくための策の一つ。

 

山内一豊築城で有名なので、帰ってから司馬遼太郎先生の『功名が辻』を

読み返しているけど、掛川六万石の章にも掛川城のことが、これぽっちも載ってないっス。

まあいいや、千代が面白いから、もう1回読み直そうと思った次第。

 

関が原の戦いの際に、家康公に掛川城を明け渡すことを申し出たことが功績となり、

土佐一国の太守となって転封していく。その後は、中小譜代大名がめまぐるしく代わり明治を迎える。

 

 

 

標高40mの独立した丘陵に築かれた天守閣へ登る途中、二の丸御殿を望む。

1861年に再建された現存の御殿。

城郭御殿としては、全国に4つしかない現存御殿の一つ。

カケガワジョウニノマルゴテン.jpg 

 

 

天守閣にたどり着き、復元された天守閣内部を見学。

小さいのですぐに最上階まで登れる。

上からみた、これまた現存の太鼓櫓。

違うところから移築されたので、

下の石垣と建物がシックリきていないのはご愛嬌。

タイコヤグラカケガワ.jpg 

 

 

 

天守の後はもう一つのメイン、二の丸御殿へ。 

書院造と呼ばれる建築様式。

と言われもよく分かりませんが、床下がなんかイイ感じです。

ニノマルゴテン1.jpg

 

 

うん。やっぱりな。

アチラは遠くから見たほうがいいや。

エニナルネ.jpg

 

 

御殿入り口にて、100名城スタンプを押す。

御殿の中は畳を敷き詰めた多くの部屋が連なる。

各部屋はふすまによって仕切られているが、今日はフルオープン。

寒いけど、日が注ぐ畳に座ると、ポカポカといい気持ち。

カケガワニノマルゴテン1.jpg

 

カケガワニノマルゴテン2.jpg

 

いろんな用途の部屋が約20もある。

こちらは御書院上の間、城主の対面所。

質素な造りだけど、凛とした空気が満ちている。

櫓や天守もいいけど、こういう御殿もいいもんだ。

日常の営みはこちらの方がメインだからな。

ジョウダンノマ.jpg

 

 

おっと。

やっぱり遠くから眺める方がいい。。。

ゴテンカラミルテンシュ.jpg

 

 

山内一豊築城と伝わる掛川城。

貴族的な外観の天守閣は、東海道の名城としてその美しさが伝えられた。

木造で復元された今の天守閣も、気品ある姿で青空に映えていました。

 

 

遠くから眺めると、サイコーに絵になる天守閣。

現存の二の丸御殿も気持ちよかった。

来て、見て、とっても良かった。大好きなお城になりました。

 

 

 

 

 


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駿府城(日本100名城) [城]

 

2012年1月14日(土曜日)

 

静岡県静岡市の駿府城。

いわゆる 『大御所の城』。

明治に改称されるまでは、

静岡市は駿府(駿河府中)と呼ばれていた。

 

駿河の国の守護今川氏の居館があった駿府。

徳川家康公が19歳までの12年間人質として過ごす。

そういえば、巽櫓の中に家康公が押し込められた小部屋、

というか勉強部屋みたいなのが再現されていた。

 

天下人徳川家康公が臥薪嘗胆の日々を送った地。

その後江戸幕府を開いた徳川家康公は、

駿府を隠居の地と定め『大御所』と称し有力外様大名に命じ

16707年天下普請でお城を築かせた。

幼少のつらい思い出があっても、終の棲家と決めたからには、

やっぱりココ静岡はいろんな意味でいい土地なんだろうな。 

 

 

それがし昨日東京で御用だったので、

今日はお城を見ながら大阪へ戻ることにする。

朝6:30過ぎのこだまに乗り、8:00前に静岡到着。

 

静岡駅から歩いて10分もたたずに駿府城。

時間があるのでお堀の周りを一周することに。

御用帰りなので、革靴にスーツという窮屈な格好だけど、

平城なんで大丈夫。普通に散歩している会社員の様子。

 

築城名人藤堂高虎による三重の水堀に囲まれた輪郭式縄張り、

と伝えられるが、今残っているお堀は真ん中の中堀(二の丸堀)くらい。

その二の丸のお堀をぐるっと一周散策。

スンプジョウオホリ.jpg

 

 

ほぼ正方形の縄張り。

いろんなお城を周っていて思うけど、

こういうカチッとした正方形の縄張りは、分かりやすくて回りやすいですね。

それにしても大きい、かなり歩いた、朝から疲れました。

 

 

平成21年の地震で崩落した部分も直っていました。

よかった、よかった。

ちょうど、光が当たっている部分が復旧したところ。

ナオッテヨカッタ.jpg

 

 

約30分強歩いて一周。

やっと復元巽櫓の前まできたっス。

ココには、東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんの像。

楽しそうな道中を感じさせるとってもイイ表情。

ヤジサンキタサン.jpg

 

 

 

復元された巽櫓と東御門。

これだけの縄張り・歴史もあるお城なら、

後世の人は何か復元したくなるんデスよね。

こういう復元なら大歓迎ですが、お金かかってるんだろうな。

御門と櫓の中も見学しましたが、いい木材を使ってそうな感じでした。

タツミヤグラ.jpg

 

 

 

周りをぐるっと歩いたし、

それがしも城内へ入ることにするか。

といっても、公園なので誰でもいつでも入れるけど。

 

復元された東御門から城内へ。

たのもう~。

タノモウ.jpg

 

門をくぐったら、きれいな枡形。

誰もいない。静寂な空間。

青空に映える白壁を見ていると、タイムスリップしたよう。

おサムライさんになった気分になってくる。

ヒガシゴモン.jpg

 

 

駿府城内部、といっても今は駿府公園をウロウロ。

こういうものは初めて見る。二の丸水路。

本丸堀(といっても今は埋め立てられてほとんどない)の水位を

一定に保つもので、二の丸堀とつながっている。

なぜか、クネクネクネクネと4回も折れ曲がっている。

ニノマルスイロ.jpg

 

公園の中央には、辺りを睥睨するように家康公が立っている。

『 E 』 立ち姿。

かっこいいですね。

スンプノイエヤスコウ1.jpg

 

家康公お手植えの蜜柑などを見ながら、

天守閣跡という案内に誘われていくが、何も痕跡がなかった。

明治維新後、歩兵連隊が置かれたため、天守台とか本丸堀とかが破壊されたらしい。

かつては、六重七階の天守があり、それを支える天守台があったであろう付近をウロウロ。

 

 

東御門に戻り、100名城スタンプを無事にゲット。

復元東御門と復元巽櫓の内部を見学させてもらう。

入り口で家康公がお出迎え。 まいど。

スンプノイエヤスコウ2.jpg

 

中にはいろんな資料があり勉強になりました。

当時のお城の模型図やら、天守閣の模型やら。

外は復元したけど中はお金かかってない、

というのではなく、中もしっかりお金かけてますよ、という感じ。

とっても気持ちよく見学させていただきました。

スンプジョウモケイ.jpg

 

 

家康公から将軍職以外のすべて、家臣・領土・駿府城を譲られた10男頼宣。

頼宣が将軍家ににらまれ和歌山転封になると、その後秀忠の三男忠長が入る。

しかしこれまた将軍への対抗心をあらわにしたため、改易されてしまう。

その後は、大御所の城というカリスマをバックにした殿さま出現を嫌ったためか、

幕府直轄となり幕末までに城代が管理し、その数は42人に及んだらしい。

 

 

見るべき遺構はほとんどないけれど。

なんといっても、大御所の城ですから。

意見など控えおろう、

というオーラを感じてしまったお城でした。

 

 

 

 

 


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